「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」に戻る
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」に戻る
自分はいまだに上司やマネジャー、仕事仲間に繰り返し
言われる事がある。
「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の同僚や、
特に上司にアピールしたほうがいいよ。」
と。
これを初めて言われた時に思ったことは、日本人的
な感覚からして
「んん?」
であった。なぜ自分の仕事をわざわざ同僚や
上司に主張しなくてはならないのか?と思った。
仮にきちんと仕事をしているのであれば、そんな事は
他人に、ましてや上司にアピールする事ではない
だろうと。
自分の中の基本理念はこうである。仕事とは、自分が
やりがいがあり、自分で作りたい映像があり、よい仕事
をすれば、その結果により次の仕事や、よりやりがいの
ある次のタスクにつながる。
そして、結果をだしていけば、成果はいずれ自然
とついてくる。つまり、自分の仕事ぶりを、そのため
わざわざ上司やマネージャーに主張する必要など無い
はずである、といったものである。
しかし、現実はこうではない。このブログのいろいろな
ところのテーマにもなっているが、自分の生活している
環境は、個人主義で自己主張の強く、それが普通な社会
である。
自己主張の強い環境においては、少なくとも最低限自分
の得るべく権利は主張しなくては、自分の得るべくものが
得にくいという現実がある。それは周りがみな主張している
ためである。
(この読み物はその応用編で、自分の権利を自己主張の強い
社会で守る基礎は、
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」
を見てほしい。)
自分の知り合いの中には、仕事が一つ終わるたびに、
自分がこれだけの仕事をしたのだから、これだけの手柄
(休暇、給与、精進など)が欲しいと、交渉している
ひとも結構いる。
こっちのカルチャーは、自分の権利を主張することが
横柄であるという感覚はない。もし上司やマネジャー
が自分の要求した権利に同意をしなかったら、その理由を
言われ、「そうか」と話が終わるだけである。
自分の思う得るべく権利を、仮に間違っていても、主張
すること自体は問題はない。もちろん、ただただ主張する
のではなく、このタイトルにもある「スマートな」主張が
必要であるが、それはまた後の読み物で具体例を書きたい。
(ちなみに、もし度が過ぎた主張をした場合でも、あとで
「あいつあんなむちゃくちゃな要求しやがったよ」と冗談で
言われるぐらいである。さすがにそれを繰り返しするの
はまずいが。。。おそらく我々日本人的な感覚では欲しい
物を全て主張しても足りないぐらいであろう。)
「欲しい物は欲しいと言わなくてはいけない」
この一言も、自分が何度も上司やマネジャーに言われている
セリフなのだが、自分が最初にこれを言われた時はかなり
驚いた。しかしこれが自己主張の強いカルチャーの日常であり、
こっちの人はこれが普通と思っているという事実を、海外で
働く我々は認識しなくてはならないと思う。
日本人の感覚からすると、むしろ欲しいものを主張するのは
いけないことといった感覚の方が強いと思う。謙虚に、与え
られる物を頂戴するというのが我々のカルチャーであり、
美徳である。
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」にも
書いたが、どちらが良い悪いかを議論するのが目的ではなく、
両者には文化に基づいた理由があると思う。考えなくては
ならないのは、片一方のカルチャーがもう片方に入ったときに、
いかに対応するかであると思う。
話を戻すと、「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の
同僚や、特に上司にアピールしたほうがいいよ。」という
意見は、それをみなしているよ、そうでないとここでは
損をするよ、という事実に対するアドバイスである。
同じ仕事をしている人がいるとすると、やはり自己主張
をしていない人は、それをしている人においていかれて
しまう。残念ながらこれが現実である。
みなが自分の主張をするのが普通のカルチャーにおいて
は、最低限、自分の得るべく権利を守る為に、彼らの主張
の仕方を覚える必要があるというのが現在の自分の考え方で
ある。仕組みやカルチャーが自分の権利をまもってくれない
場合は、それを守る手だてを覚えるのは自分の責任であると
思う。
そのためにも、こっちでは我々も仕事のスマートな
主張の仕方を覚えなくてはならないと思う。
次は、上の基本理念である、自己主張など気にせず、
仕事をした人が、きちんと自然と手柄を得られる
仕組みを作るための考えを書いてみたい。
2009年10月31日土曜日
2009年9月3日木曜日
社内政治が嫌い、または不得意で不快な思いをしている時に
突然だが、こんな状況を想像してみてほしい。
例えば人物Aが長年あるバーで働いており、Aはその店の
まわし方を誰よりも知っており、その店での経験は誰よりも
長く、知識も経験も豊富であるとする。いずれはそこの店長
になる事が目標で、そのポジションをうまくこなすためには
何が必要かを、いろいろ考え、勉強や努力もしている。
あるとき今の店長が店をやめる事となり、そのポジションを
引き継ぐひとを現在の社員のメンバーから決めなくてはいけ
ないとする。
そして、次期店長に選ばれたのは、「オーナーのお気に入り」
の「人気者」のBであったとする。Bは「クール」な性格で、
特に「管理職に気に入られる」様なタイプの人である。
(この上の4つのキーワードの理由は後半で説明したい。)
Aは自分の方がこの店長の仕事にBより向いていると思って
おり、なぜ自分ではないのだと、不愉快な思いをする。
さて、このAの状況に自分がいると仮定した場合、
どう思い、どういう行動をするだろうか?
このような状況で、以前自分が思い、とっていた行動は
大抵こんな感じであった。
* むかつく
* Bを選んだオーナーのせいにする、もしくは
オーナーに見る目がないと愚痴る
* Bはごますりがうまいといった趣の悪口を友達と言う。
* 自分はこの店には向いていないと考える
* 自分は社内政治に向いていないと考える
* この店は自分のことが分かっていない。こんな店で
働くのは無駄だから、店を辞める、もしくは辞めると
愚痴る。または自分と同じような境遇にいる同僚と、
そんな会社辞めた方がいいんじゃないといった会話をする。
さて、ここ数年思う事は、上のような考え方は間違って
いたということである。少なくとも、上のような考え方
よりも、より自分にとってプラスになる考え方があると
考える様になった。
このような話から自分の得た事は2つである。
一つ目は、どんな理由であり、自分が何か目指す物がある
とする。それにたどり着くための仕組みが自分の理想とは
合わない場合、どうするか。それに対する愚痴を言う、
自分には合わないとあきらめる、場所、環境が変われば
良くなると思う(これは多くの場合、結局どこに行っても
大抵の仕組みは一緒なので、その考えは現実逃避の場合が
多い)。というのが以前の自分の考え方であったが、いまの
考えはこうである。
この場において、愚痴を言うのは甘かったということである。
本当にそこを目指す価値が自分にとってあると判断し、その
仕組みが気に食わないのなら、まずはその仕組みに従い、
その流れに対応するくらいの辛抱がまずは必要である。
そして、そのときにまだ自分が仕組みが気に入らないので
あれば、自分がその仕組みを変えられる位置まで辿り着い
たら、そのときに自分の理想に変えれば良いのである。
今現在その仕組みをコントロールできる位置に居る人々は、
当然彼らにも理想があり、そこに辿り着くまでは、だれか
他の人の、自分の理想とは異なる仕組みの中で、辛抱もし、
現在その位置に居るのである。その辛抱もせずに、自分の
理想論や愚痴を言ったり、その場を逃げるのはあまいと
いうことである。
二つ目は、Bのことをごますり上手といった様な見方
をしているうちは、自分はまだ管理職になるために
必要な、いろいろな性格やスキル、人間性を備えて
いないということである。
上のBの人間性の説明は、以前の自分の見方であり、
すべて愚痴、皮肉、ひがみといった種の表現である。
しかし、上の例で、Bを「クール」と表現したのは、
言い方を変えれば大事なクライアントと対応する際に、
仕事を任せてもらう上での信頼を得る為のリーダーと
しての大切な人間性である。どんなに個人として仕事
ができても、例えばクライアントにこの人の率いる
チーム大丈夫か?と思われるようなイメージではリーダー
はつとまらない。
「人気者」と表現したのは、リーダーの立場にいる
人は、たとえばキツい仕事を受けたときに、みんなが
きついなか、その職場を自分の存在、言動により和める
ぐらいの、社交性が必要である。
「オーナーのお気に入り」とう表現をしたのは、
仕事では、各役職ごとにその仕事の性質により求め
られる人間性が異なると思う。管理職には管理職ゆえ
の仕事に対する責任があり、それをこなす上に必要な
人間性もまた異なる。「管理職に気に入られる性格」
という表現も、つまりはリーダーの立場の人からみて、
リーダーの仕事に必要な素質があるという意味でもある。
つまりは、Bのことを上のような捉え方をしているうちは、
自分は、まだまだあまかったということである。
個人としての仕事のスキルと、組織を率いるリーダー
に必要とされるスキルは全く違うと思う。このスキル
の違いの存在は一般的に広く認知されているかもしれない。
しかし、自分の様に、そのリーダーシップに必要なスキル
が備わっていない場合、その存在や必要性に気づかず、
なぜ自分がその役割を任せられないのかが分からない
ものであると思う。
自分はずいぶんと長い間こういった疑問を持っていた。
そして、自分が辿り着けないそのポジションに辿り
着く人を、上のBの説明のように、マイナスのイメージ
でとらえていたのである。
恥ずかしながら、このマイナスの考え方から抜け出すの
にずいぶんと時間がかかってしまった。この考え方が
正しいかは自分の経験がもっと増さないと分からない
だろうが、これが現時点での自分の経験から信じている、
社内政治、リーダーシップに対する考え方である。
少なくとも、以前の考え方よりは成長している
事を願う(笑)。
例えば人物Aが長年あるバーで働いており、Aはその店の
まわし方を誰よりも知っており、その店での経験は誰よりも
長く、知識も経験も豊富であるとする。いずれはそこの店長
になる事が目標で、そのポジションをうまくこなすためには
何が必要かを、いろいろ考え、勉強や努力もしている。
あるとき今の店長が店をやめる事となり、そのポジションを
引き継ぐひとを現在の社員のメンバーから決めなくてはいけ
ないとする。
そして、次期店長に選ばれたのは、「オーナーのお気に入り」
の「人気者」のBであったとする。Bは「クール」な性格で、
特に「管理職に気に入られる」様なタイプの人である。
(この上の4つのキーワードの理由は後半で説明したい。)
Aは自分の方がこの店長の仕事にBより向いていると思って
おり、なぜ自分ではないのだと、不愉快な思いをする。
さて、このAの状況に自分がいると仮定した場合、
どう思い、どういう行動をするだろうか?
このような状況で、以前自分が思い、とっていた行動は
大抵こんな感じであった。
* むかつく
* Bを選んだオーナーのせいにする、もしくは
オーナーに見る目がないと愚痴る
* Bはごますりがうまいといった趣の悪口を友達と言う。
* 自分はこの店には向いていないと考える
* 自分は社内政治に向いていないと考える
* この店は自分のことが分かっていない。こんな店で
働くのは無駄だから、店を辞める、もしくは辞めると
愚痴る。または自分と同じような境遇にいる同僚と、
そんな会社辞めた方がいいんじゃないといった会話をする。
さて、ここ数年思う事は、上のような考え方は間違って
いたということである。少なくとも、上のような考え方
よりも、より自分にとってプラスになる考え方があると
考える様になった。
このような話から自分の得た事は2つである。
一つ目は、どんな理由であり、自分が何か目指す物がある
とする。それにたどり着くための仕組みが自分の理想とは
合わない場合、どうするか。それに対する愚痴を言う、
自分には合わないとあきらめる、場所、環境が変われば
良くなると思う(これは多くの場合、結局どこに行っても
大抵の仕組みは一緒なので、その考えは現実逃避の場合が
多い)。というのが以前の自分の考え方であったが、いまの
考えはこうである。
この場において、愚痴を言うのは甘かったということである。
本当にそこを目指す価値が自分にとってあると判断し、その
仕組みが気に食わないのなら、まずはその仕組みに従い、
その流れに対応するくらいの辛抱がまずは必要である。
そして、そのときにまだ自分が仕組みが気に入らないので
あれば、自分がその仕組みを変えられる位置まで辿り着い
たら、そのときに自分の理想に変えれば良いのである。
今現在その仕組みをコントロールできる位置に居る人々は、
当然彼らにも理想があり、そこに辿り着くまでは、だれか
他の人の、自分の理想とは異なる仕組みの中で、辛抱もし、
現在その位置に居るのである。その辛抱もせずに、自分の
理想論や愚痴を言ったり、その場を逃げるのはあまいと
いうことである。
二つ目は、Bのことをごますり上手といった様な見方
をしているうちは、自分はまだ管理職になるために
必要な、いろいろな性格やスキル、人間性を備えて
いないということである。
上のBの人間性の説明は、以前の自分の見方であり、
すべて愚痴、皮肉、ひがみといった種の表現である。
しかし、上の例で、Bを「クール」と表現したのは、
言い方を変えれば大事なクライアントと対応する際に、
仕事を任せてもらう上での信頼を得る為のリーダーと
しての大切な人間性である。どんなに個人として仕事
ができても、例えばクライアントにこの人の率いる
チーム大丈夫か?と思われるようなイメージではリーダー
はつとまらない。
「人気者」と表現したのは、リーダーの立場にいる
人は、たとえばキツい仕事を受けたときに、みんなが
きついなか、その職場を自分の存在、言動により和める
ぐらいの、社交性が必要である。
「オーナーのお気に入り」とう表現をしたのは、
仕事では、各役職ごとにその仕事の性質により求め
られる人間性が異なると思う。管理職には管理職ゆえ
の仕事に対する責任があり、それをこなす上に必要な
人間性もまた異なる。「管理職に気に入られる性格」
という表現も、つまりはリーダーの立場の人からみて、
リーダーの仕事に必要な素質があるという意味でもある。
つまりは、Bのことを上のような捉え方をしているうちは、
自分は、まだまだあまかったということである。
個人としての仕事のスキルと、組織を率いるリーダー
に必要とされるスキルは全く違うと思う。このスキル
の違いの存在は一般的に広く認知されているかもしれない。
しかし、自分の様に、そのリーダーシップに必要なスキル
が備わっていない場合、その存在や必要性に気づかず、
なぜ自分がその役割を任せられないのかが分からない
ものであると思う。
自分はずいぶんと長い間こういった疑問を持っていた。
そして、自分が辿り着けないそのポジションに辿り
着く人を、上のBの説明のように、マイナスのイメージ
でとらえていたのである。
恥ずかしながら、このマイナスの考え方から抜け出すの
にずいぶんと時間がかかってしまった。この考え方が
正しいかは自分の経験がもっと増さないと分からない
だろうが、これが現時点での自分の経験から信じている、
社内政治、リーダーシップに対する考え方である。
少なくとも、以前の考え方よりは成長している
事を願う(笑)。
2009年8月27日木曜日
[読み物タイトル] 外国における社内政治
社内政治はどこの国でもあるであろうし、日本にも得意な人、
不得意な人といると思う。
海外で仕事をしていて頻繁に思う事が一つある。仮に日本国内
で社内政治がニガテでない場合でも、海外(自分の場合はアメリカ)
に来ると、英語における社内政治がからっきしだめであるという
ことが起きるということである。
そして、ここで強調したいのが、我々日本人が海外における
社内政治がニガテな理由は、一般的に思われがちな「それは
英語が苦手だから」という理由より、もっともっと深い
というところである。一言で言うと、このブログのいろいろ
なところで表現している日本と西洋の文化的な違いが理由で
あると思う。
自分はこれが我々が海外でリーダーシップを発揮しにくい
大きな理由の一つであると考えている。
この読み物は、自分の経験する、海外における社内政治
のあり方について、そして、日本人にとってつまずき
易い点、それの対応方法も、見つけられれば書いていきたい。
不得意な人といると思う。
海外で仕事をしていて頻繁に思う事が一つある。仮に日本国内
で社内政治がニガテでない場合でも、海外(自分の場合はアメリカ)
に来ると、英語における社内政治がからっきしだめであるという
ことが起きるということである。
そして、ここで強調したいのが、我々日本人が海外における
社内政治がニガテな理由は、一般的に思われがちな「それは
英語が苦手だから」という理由より、もっともっと深い
というところである。一言で言うと、このブログのいろいろ
なところで表現している日本と西洋の文化的な違いが理由で
あると思う。
自分はこれが我々が海外でリーダーシップを発揮しにくい
大きな理由の一つであると考えている。
この読み物は、自分の経験する、海外における社内政治
のあり方について、そして、日本人にとってつまずき
易い点、それの対応方法も、見つけられれば書いていきたい。
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