2009年1月21日水曜日

アメリカンジョークに対する基本姿勢 Part. 2

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さて、Part. 1で話したように、アメリカンジョークは我々日本人
のように、慣れていない人にとっては見分けるのがすごくむずかしい。

なのでずいぶん前に、アメリカ人の友達に、どうやってお前らは
ジョークかどうか見分けるんだ?と聞いた事がある。その時の
友達の返答は、

「冗談である事を前提に話をする」
(もちろん、これは冗談を言って良い環境において)。

であった。

そんな事でコミュニケーションが成立するのか?と思われるかも
しれない。

ただし、もちろんそれではまじめな話が全くできなくなるので、
仮にそれが冗談で無かった場合に、冗談ととらえると何か
まずいことが起きるような内容であった場合、
"You're joking, right?"(冗談でしょ?)と冗談である
ことを確認するのである。
  
さらに、この冗談が前提という、アメリカンジョークの混ざる
会話に慣れすぎると、多くの事を冗談と仮定するのが普通に
なる為、疑いもせず冗談と決めつけることが起こる。すると、
冗談でないのに冗談であると決めつけてしまうことが起こり、
その際に、「なーんだ、冗談かと思ったのに本当だったのか」
という意味の"I thought you were joking"という
訂正の表現をよく使うのである。本当にややこしい。

つまり、考え方としてはこうだ。

「話している方は、相手が冗談と疑える事を前提で話してい
 る(つまり、逆に言うと、疑えない方がわるい。疑えない方が
 わるいという具体例は「移民局からの電話」へ)」
   ↓          
「だからジョークは、なるべく冗談であろうと疑っている
 相手を引っ掛けられる様に真顔で言う」
   ↓
「それゆえ、聞いている側は、冗談という前提で反応するか、
 すごくまじめに聞こえる内容は、冗談と仮定して実際に
 冗談でなかった場合にまずいので、"you're joking, right?"
(冗談でしょ?)という確認方法を使う(すごくまじめに聞こえる
 なら初めからまじめな意見として聞け!といいたくなるが、
 ここに冗談を前提とするというカルチャーが伺える。)」
   ↓
「そして、上の3つが普通のため、"I thought you were
joking"(冗談かと思ったよ)という、冗談であるという前提が
 間違っていた場合、その反応の訂正をする。

もうひとつ例を挙げる。

A: "blah blah"(相手が何か言ったとする)
B: "haha, you're funny"((冗談と仮定した反応)はは、
  面白い奴だな、冗談なんていって。)             
A: "no I'm dead serious!"(冗談じゃないよ!超まじめに
  いってんだよ!)
B: "oh..."(なんだ、マジなのか。。。)

これも良く日常で聞く会話の流れである。これは「A」が何かを
まじめに言っているのに「B」が冗談と仮定し、信じない場合である。
「A」は再度、「いんや、まじめに言ってるんだけど。。。」と
信じない「A」を説得しなくてはいけない。ここにも、多くを冗談と
仮定する会話の流れが見られる。

これらの例から、アメリカでのカジュアルトークには、多くの部分
を冗談と仮定してコミュニケーションを進めるカルチャーがあること
が分かると思う。

まじめに言っているのに、冗談としてとられる会話、そして、真実
っぽく聞こえる場合には、逆に「冗談だろ?」とわざわざ確認しな
くてはいけないのが、ここのカジュアルトークの枠組みである。

日本語の場合は、会話においてまず前提として、言っている事は
基本は冗談と仮定するなどということはしない。

では、この基本対応を考慮して、Part. 1の「他人」との会話の、
対応を考えてみよう。

元は:

他人:「あれ、お前のボールが1つか2つ足りなくないか?」
自分:「え?そんなことないよ」
他人:「俺がいない間にズルしたんじゃない?」
自分:「数え間違えじゃない?」
他人:「ははは、落ち着けよ、おまえ、冗談だよ」

アメリカ的な対応は:

他人:「おい、おまえのボール1つか2つ少なくないか?」
自分:「(疑わしいので、冗談と仮定して)、はは、面白い
    奴だな、おまえ」
他人:「ははは」(実際に冗談であった)


で会話は終了である。「他人」からすれば、ジョークをかまし、
それに相手が対応した、どこでもあるカジュアルトークである。

もう少しカジュアルトークを進める、手強い相手の場合は、

他人:「おい、おまえのボール1つか2つ少なくないか?」
自分:「(疑わしいので、冗談と仮定して)、はは、面白い
    奴だな、おまえ」
他人:「冗談じゃないよ、本当にずるかなんかしてないか?」
   (まだジョークを続ける)
自分:「はは、へたくそなお前が俺の為に間違えて沈めてくれ
    たんじゃないの?(等)」<--- br="">他人:「ははは」

こんな感じで、外国人はどうでもよい冗談を言い合い、お互いの
存在を楽しむのである。

いくつか上で述べた、他のパターンはこんな感じである。

他人:「おい、おまえのボール1つか2つ少なくないか?」
自分:「(疑わしいので、冗談と仮定して)、はは、面白い
    奴だな、おまえ」
他人:「いや、まじだよ」(冗談ではなかった場合)
自分:「ああ、なんだ、冗談かと思ったよ。じゃあ、それは
    お前の勘違いだよ。」
他人:「あ、そっか、ならおっけー。」


他人:「おい、おまえのボール1つか2つ少なくないか?」
自分:「(冗談だと思うが、相手がマジで気にしてると相手に
    悪いから)冗談だろ?」
他人:「いや、まじだよ」(冗談ではなかった場合)
自分:「ああ、なんだ、じゃあ、それはお前の勘違いだよ。」
他人:「あ、そっか、ならおっけー。」

こういうカルチャーにおいて、カジュアルトークに参加する場合、
「基本は冗談である」、という習慣のない日本のカルチャーで対応
すると、コミュニケーションに少々ギャップができるのは想像して
頂けるのではないだろうか?