外国で生活する以上は、外国人と過ごす時間がどんな人でもある
はずである。せっかく時間を過ごす以上は、それが楽しい方がよいと
思うのは自分だけではないはずである。自分の場合は特に、国際環境
に置ける生活能力を上げるために外国人と過ごす時間を意識的に
多くしている。
しかし、やはり日本人と日本語を話していた方がしっくりくるのは、
今でも変わりない。話題やメンバーによって程度は違えど、まだまだ
外人と会話をしていると「なんか楽しくない」と思う事が多々ある。
これに気づくまでにずいぶんと時間がかかったが、(というかそれを
認めたくなかった?)そういった状況の時は、自分の場合「会話の為の
会話」をしていることが原因に有る。そして、通常その場の会話にうまく
参加できず、エンジョイできていないときの社交辞令として、もしくは、
くやしさからやっている事が多い。
前者の社交辞令は誰でも経験した事があるであろう。これは何語を
話していようと、自分の興味の無い話題に参加しなくてはいけない
事はいくらでもある。問題なのは、後者の方で、さらにはこれが
自分の気心しれた仲間たち、そして自分が興味のある話題の
ときに、会話に参加できず、その場の友達の存在を楽しめていない
ときである。外国語を話す上で、こういった状況に共感できる人は
多く居るのではないだろうか。
ここで一つ言える事は、仮に「コミュニケーション英語」がある
程度できている場合でも、この現象は起こるという事である。
厄介な事に、単純に「英会話ができないからでは?」ではかたずけら
れないのである。「英会話ができる様になれば自然と楽しめる様に
なるのでは?」も残念ながら適用されない。つまり、「カルチャー英語
力」が足りない事が原因であると思う。
(ここで仮に「え、コミュニケーション英語がまだ不自由な自分は
この先どんなに長いんだ?」と思ってしまった場合、これは別項目で
書くが、コミュニケーション英語とカルチャー英語は同時進行で学べる
と言う事を書いておきたい。このカルチャー英語に関して自分が最終的
に言いたいのは、コミュニケーション英語だけではなく、カルチャー
英語を平行して覚える努力をした方がよいということである。自分は
これに気づくのが遅かったため、いまいろいろ苦労しているのである。)
そしてもう一つ、日本語を話しているときはこれが起こらないと
いう事である。自分の気心の知れた友人達と、日本語で自分の興味の
ある話題を話しているときに、その場が楽しめないという事はあまり
無いはずである。
それではなぜコミュニケーション英語ができる場合でもこれが
起こるか、そして、その状況に陥りやすい場合、具体的に何が
足りないのか、そしてどうすれば自分の友達との会話がより
楽しめるようになるのか?
そこを次は考えたい。