2009年2月28日土曜日

B君の些細な行動

以前友達数人と南カリフォルニアにある
Six Flagsという遊園地に行った時である。

みんながチケットを買い終え、ゲートをくぐった
あとに、友達の女の子がふとチケットを落とす。

すると横にいた友人のB君は反射的に自分のチケット
をその子に手渡す。

その瞬間は自分はB君は何やっているのか?とおもった。
渡されたその子も「えっ?」といった反応だったの
だが、B君はチケットを渡した次にその子の落とした
チケットを拾い自分の分にする。

落ちたものを拾ってあげることは普通の事かもしれ
ないが、このとっさの状況で自分の分を先に手渡す
行為を見たのは初めてだった。

考えてみるとすごくGentlemanな行動である。ただ人の
落としたチケットを拾ってあげるのではなく、きれいな方の
自分のチケットを先にその子にわたし、汚い方をひろって
自分のものにしたわけである。些細な違いかもしれないが、
その細かい気遣いに感心した。

あとで思ったのだが、あの場でB君がチケットを拾い、
汚れたものがもう一つあるなか自分の方を渡そうとしたと
すると、チケットを落とした子は「いえいえ」、と遠慮を
していたかもしれない。反射的にチケットを先に渡したB君が
かっこいいのである(笑)。

B君の気遣いにはいつも驚かせられる。そして、このB君は
まだ若いのだが、会社の中の有力な時期リーダー候補である。


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2009年2月23日月曜日

ジャグジーにおける社交性

「Eye Contact、社交性の基礎編 Part. 2」にもどる

こんな経験に共感できる方はいるのではないだろうか。

一人でも、二人でもよいが、大勢でさわぐほどの
人数でない状況で、海外において公共のジャグジーに
入りに行ったとする。そして、ジャグジーに入っている
自分たちは日本人によって構成されているとする。

ジム内の施設でも良いし、アパート内の公共プール、
スノボ旅行中の宿のジャグジーでもよい。

そして自分たちだけが入っているときに、外国人の
カップルがあとから入ってくるとする。この時点で、
海外で仕事をし始めた頃の自分がとった行動は、基本は
まったくコミュニケーションをとらないというものであった。

向こうが"Hi"「こんにちは」と挨拶をすれば、返事は
したものの、自分から挨拶をしたり、会話を試みたり
ということはしなかった。

さらには、我々はこういったシチュエーションにおいて、
即席で他人と英語でコミュニケーションをとるのに慣れて
いない、もしくはとりたくないため、「俺に声をかけるなよ」
的な雰囲気を出し、わざと目を合わせないといったことさえも
する。そういった行動をとった経験のある人は自分だけで
はないであろう(苦笑)。

そして、通常は、目を合わせようとせず、会話をしたく
なさそうな雰囲気を醸し出している人に対して、相手は
わざわざ挨拶はしてこないし、コミュニケーションを図ろう
ともしない。

そしてそのあとにまっているものは...
かなりの近距離に向かい合って人がいるのに、目を
あわせず、見てみぬふりをする数十分がつづく。
これはかなり気まずい。

こんな理由から、ジャグジーに入る時はだれも他人が
いない方が気が楽だ、「頼むから誰も入ってこないでくれ」
と考えた事があるひとはいるのではないだろうか。
または、まだあまり出たくもないのに、外国人が入って
来たらこの状況の気まずさが嫌なため出てしまう、なんて
経験をしたことがある人は多いのではないか。自分はこの
気まずい状況にしてしまう自分の社交性の無さがかなり嫌で
あった。

つい最近友達の外国人に彼らの意見を聞いてみた。
このような自分の説明する状況は感じた事はあるか?と。
すると、帰って来た答えはおもったよりもマイナスなもの
であった。

その友達曰く、確かに日本人に限らず、アジアのひとはこう
いう場で話しかけても良いのか戸惑うとのことだ。あたかも
1メートル先にいる自分たちが全く存在しないかのように
まったく無視するのはちょっと変で、なぜなのかと逆に聞き
返された。場合によってはそれは失礼にあたるかと聞いた所、
そういう解釈をする人もいるのではないかとの返答であった...

もちろん、誰でも社交的で無い気分の時もある。また、
ジャグジーにゆっくりしようと思い行っているのに、面倒
くさい英会話を他人とする気分でないという理由もすごく共感
できる。社交的な気分なときは頑張って雑談をすればよいが、
何かゆっくりでき、この気まずい状況を回避する方法はないで
あろか?と思った人に、ちょっとしたミニSocial Skillを
紹介する。

やらなくてはいけない事はすごく簡単である。これは仮に英語が
しっかりと話せなくてもできるのでうれしい。とりあえずは
Eye Contactで書いたように、こちらからEye Contactを
試みる。そして笑顔で"Hi"と挨拶をする。これだけでも相手に
自分はきまずい雰囲気をつくるような社交性でないということが
伝わる。これが第一歩である。(というか、このEye Contact
と笑顔はどんな状況においても社交性の基本である。)

次に、ここがミソなのだが、(残念ながら、この"Hi"だけでは
狭い空間で向かい合うジャグジーという設定においては、まだ
気まずさは回避できない)、何か一言雑談をするのである。

英語で雑談というと難易度が高く感じる人もいるかもしれないが、
一言で良いためなんとかなる。いくつか決まったパターンを用意
しておいても良いかもしれない。大事なのは、Eye Contact、笑顔、
"Hi"に加えて、一言でも雑談を交わすと、他人としての壁がとれるため、
不思議な事にその後近距離で会話が無くても気まずくないのである。

さらにはすでに雑談を交わしているため、その後見てみぬふりを
する必要も無いし、一言会話をしたあとは、ふと近距離で目を合わせ
ても不自然でないのである。通常はこの場合向こうから笑顔をして
くる。なので笑顔で返せばEye Contactもそこからは自然にとれる。

つまり、ちょっとジャグジーにゆっくり休みたくて、日本人と
いる場合は、あとから外国人が入って来たり、または先に外国人が
入っていた場合、Eye Contact、笑顔、"Hi"、そして一言雑談をし、
すぐに自分の友達との日本語の会話に戻ればよいのである。これさえ
行なえばその後の時間が気まずい事はなくなる。これはまだ英会話が
苦手な場合も、何度か練習すれば行なうのはそう難しい事ではない。
なのでジャグジーの気まずさが苦手なひとは、ぜひトライしてみては
どうか。

さて、これができる様になったら、次はそのまま雑談を続け、相手の
カップルの存在を楽しめる様になることが理想である。そうなると、
ジャグジーにおいて誰か他人の外国人がはいってくる事が楽しくさえ
なってくる。

そういった社交性を身につける為には、もっとカルチャー英語
スキルをあげる必要があるが、それはまた別の記事で書きたいと思う。

最後に参考までに、簡単な一言雑談の例をいくつか。

* 自分のアパートにおいて(どこでも使える)

自分: "Hi" (こんにちは)
相手: "Hi" (こんにちは)
自分: "Do you come here a lot?"
(ここ(ジャグジー)ヘはよく来るのですか?)
相手: "yes/no/sometimes" (はい/いいえ/たまに来ます)
自分: "oh nice :)" (そうですか)
相手: "How about you?" (貴方はどうですか?)
自分: "Once in a while/I come here, probably
couple of times a week." (たまに/週に何度か)
相手: "ah nice" (そうですか)


* ジムにおいて

自分: "Hi" (こんにちは)
相手: "Hi" (こんにちは)
自分: "How was your workout?" (エクササイズはどうでした?)
相手: "um, it was great" (よかったですよ)
自分: "oh yea? :)" (そうですか)
相手: "How about you?" (貴方はどうですか?)
自分: "It turned out pretty good" (私もよいトレーニングできましたよ)
相手: "ah nice" (そうですか)


* スノボ旅行中の宿において

自分: "Hi" (こんにちは)
相手: "Hi" (こんにちは)
自分: "How was your day?" (今日の山はどうでした?)
相手: "oh, it was great/oh it was really cold/etc." 
   (良かったです/寒かったです/等)
自分: "oh nice :)" (そうですか)
相手: "How was your day?" (貴方はどうですか?)
自分: "Oh, I had a great time too" (私もよい一日でした)
相手: "cool" (そうですか)



「待ち時間における社交性の極意?」に進む

「Social skills(社交性)はかなり大事!」の
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2009年2月20日金曜日

ルームメイト達のSocial skill

先日の夜、自分の家に帰って来た時の出来事である。

家に帰り、キッチンへ向うと、ルームメイトが友達と
3人でリビングルームで雑談をしていた。自分の
ルームメイトはドイツ人で、その日はドイツ人同士で
集まっていたようで、話している言語は当然ドイツ語
である。しかし、自分がキッチンへ入ったことに気づく
と同時に、3人が英語で話し始める。

ここできちんと状況を伝えたいのだが、キッチンから
リビングの3人がいた場所までは10メートルほど
離れており、さらには自分はキッチンの後ろにいたため、
3人の顔も見えず、当然会話にも参加していなかった。

そんな状況でも、3人は、ドイツ人ではない自分が
部屋の会話の聞こえる距離に入ったため、自分たちしか
理解できない言語で話すのをやめ、会話を英語に切り
替えるのである。

そして、ルームメイトも含め3人とも、発音などから英語を
お互いに話す事が楽である人たちでもない。

あまり大した事には聞こえないかもしれないが、逆の
立場で考えてみてほしい。

自分の気心知れる日本人友達と、自分の家で日本語で
会話をしているとする。そして、ドイツ人のルームメイト
が夜家に帰ってくる。そして、10メートル離れた顔の
見えないキッチンにルームメイトが入ったことに気づいた
とき、そのルームメイトが日本語がわからないという
理由により、3人の日本人は自分たちの会話を英語に切り
替えるであろうか?繰り返しになるが、その3人の会話には
ルームメイトはまだ参加していないので、会話をしているのは
3人の日本人だけである。

自分の場合、これは間違いなく、この時点でルームメイトに気を
使って英語で3人で話すという事は無い。

仮に会社などで、日本人が数人いる中、外国人が会話に参加し
てきた場合は日本語の分からない人に対して失礼でない様に、
会話を英語に切り替えるよう努めている。

しかし、先日の出来事が特に印象に残ったのは、自分が会話に
参加しておらず、距離もかなりあったにもかかわらず、会話を
英語に切り替えたルームメイト達のSocial Skillに感心した
からである。

いろいろな国のひとが混ざっている環境で生活していると、
様々な考え方を学べて面白い。その日、この母国語と
英語の切り替えに関して、もうちょっと意識を変えなくてはな、
と感じた。

2009年2月16日月曜日

国際環境の会議でなぜ発言できないか 〜現状分析

「国際環境での会議はどんな感じか 〜状況説明」に戻る

前の「国際環境での会議はどんな感じか 〜状況説明」で
書いた様に、仮に英語のしゃべれる人でも、外国における
外国人の多くまざる会議で、なかなか発言ができないという
のは、経験の有る方も多いかもしれない。

これは、日本における会議の発言形態と、外国のカルチャー下
での発言形態に大きな違いがあるからであると思う。

日本人同士の会議や談義においては、以下のような基本ルール、
もしくはその中のいくつかが、暗黙の了解であると思う。

* 人の発言を尊重する
* 次の発言は、前の人の発言が終わってからする
* 誰かの発言が終わったら、自分が次に発言してよさ
  そうか伺う
* 誰かと同時に発言をしてしまったら、「どうぞどうぞ」と
  相手に勧める
* 会議の種類によっては挙手をし、許可が出るのをまって
  から発言する
* 議題に精通する人がそのミーティングに参加している場合、
  その人の知識、経験は尊重され、発言権等に敬意を払う

つまり、我々のカルチャーにおいては、複数のひとが何か
議論をする時は、自分の前の発言者が言い終わるのを確認した
うえで、次の人が発言をする、というのが前提である。
われわれは無意識でそれを行ない、習慣になっている。
そして、それを守らないと、少々「自分勝手」、「礼儀の
なっていない」ひと、ととられてしまうかもしれない。

また、そのミーティングでベストの結論、方法を導く為に、
専門知識や議題に関して経験のある人が参加している場合は、
その人の意見や貢献を皆が期待し、尊重する。

では海外における外国人の発言形態はどうか?

もちろんミーティングにもよるが、上のようなルールが
結構適用されていないことがある。そして、日本の習慣で
こっちの会議に臨むと、発言のタイミングがつかめないと
いうことがおこる。

また、みな個人主義で、ここは自己主張の強い社会のため、
ミーティングにおいては自分の意見を積極的に発言していく。

これ自体は悪い事ではないのだが、ときには仮にミーティング
の議題に精通する人が他に居ようが、その議題について自分の
意見、知識(極端なケースは仮にその知識が間違っていてもかま
わず)、そして自分のミーティングにおける存在および貢献度を
アピールしようとするのである。結果それがしゃべるべく適任の
人の時間をとることになっても。。。

つまり、ベストなミーティングを行なう為に誰が意見するのに
適任であるかといった配慮よりは、いかに「自分」がミーティング
で一番発言、および貢献できるかという点の方に重点を置く人が
結構いるのである。これは自分の思うに、自己主張の強い社会の
マイナスな面の一つであると思う。

さらには、思うに、日本人がつまづく大きな理由としては、
こっちの会議では、誰かの発言の次に自分が発言をする
タイミングが、少々日本とは違うところであると思う。特に
熱の入ったミーティングにおいては、その前の人の発言が
完全に終わるほんの少し前に、次の自分の発言を始めると
いうところである。

つまり、現在発言している人が何かを言い終わって、
それを確認してから自分が何かを発言しようとすると、
そのタイミングでは自分の発言の機会があまり回って
こないのである。。。

もちろんペースの遅いミーティングや、たまたま誰も
次に発言しようとしなかった時は、このタイミングでも
発言の機会はくる。しかし、大事なミーティングや、
自己主張の強いリーダー達が集まるミーティングなどでは、
通常みんなの発言が盛んなため、このタイミングが来る事
は滅多に無い。

しかし、みんな人の発言を尊重せず好き勝手話し
ているわけでもない。日本とはちょっと違った基準の
ルールがある。なので、じゃあ俺も周りを気にせずがんがん
発言していけば良いのでは?というほど単純でもない。

つまり、大事なミーティングできちんと参加者として責任を
持ち、発言をしていくためには、こっちのミーティングの
発言形態に慣れるしかない。我々の感覚でこっちのミーティ
ングに臨むと、仮に自分がその会議の判断にとって大事な
経験や知識を持っていても、なかなかそれが考慮されない
という事が起こる。英会話がぺらぺらでも、この問題には
全く関係ない。

一つ前の読み物でも書いたが、正直「自分の意見が求め
られないのなら別にいいか」と思いたい時もある。しかし、
チームを指揮しだすと、自分がその会議で有意義な発言をし、
計画を正しい方向に持っていくことはむしろ自分の責任でも
ある。話題に参加できなかったではすまされないのである。

もちろんもっと参加者の経験等を考慮したミーティングも
あるが、責任の有る以上はミーティングの形式の善し悪しに
左右されず発言できなくてはならないし、自分の経験上、
上のようなミーティングスタイルの方が数が多い。

こっちのミーティングできちんと発言していくには、
どうすれば良いか? 次は、もっと具体的に、自分の
とった対応策を紹介したい。


「熱の入った外国の会議で発言していくには 〜前編」に進む

2009年2月11日水曜日

日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2

「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」に戻る

Part.1で述べた様に、日本とアメリカでは仕事に対する姿勢が
ずいぶんと異なる。そして、ここで考えなくてはいけないのは、
アメリカで仕事をしている我々が、その姿勢の違いを意識しない
と損をする事があるということである。

仕事の上で、理想論を語ると、熱心に仕事をし、それによって
スキルが上がり、成果が上がる事により仕事仲間の敬意が
上がり、自分のやった仕事に対し給料や、与えられるタスク、
ポジションなどもあがる。そして、自分の気にしなくてはいけ
ない事は、熱心に仕事をし、仕事の腕を上げる部分だけで、
残りのステップは自然とついてくる、といったものである。

しかし、現実はそうではない... これは世界中どこへいって
も同じかもしれないが、とくに個人個人の自己主張の強い
自分のいる仕事環境では、彼らの仕事スタイルを把握してい
ないと、理想論で仕事をしているとより損をする事になる。

自分はアメリカで仕事をはじめてから、ずいぶんと長い間この
理想論で仕事をしてきた。とにかく仕事を一生懸命し、実力さえ
上がれば、成果など自然とついてくる、と思っていた。そんな
ことを気にする暇があったら仕事を一生懸命やろうと。

われわれ日本人の感覚からするとこうである。仕事で与えられる
タスク、自分の参加したいプロジェクトと、基本は与えられた物を
やる。もしより自分がやりたいタスクや、プロジェクトに参加
したい場合は、それに見合う仕事のスキルを身につけ、それに
よって自然とそのタスク、プロジェクトを与えられるのを期待する。
結局、「与えられたものをこなす」というのが基本姿勢で、自分から
なにかを要求するとうことは「横柄」であるという感覚があるの
である。

給料や、昇進といったものにも同じ考え方が適用される。より高い
給料や、昇進を求めるのであれば、自分が頑張って仕事をし、成果は
向こうから与えられるものであり、「給料を上げてほしい」「昇進して
ほしい」などと言うこともまた、「横柄」である。

ここで、我々がアメリカで仕事をする上で知っておかなくては
いけないことは、周りの外国人はこのルールに従っていないという
ことである。

こういったカルチャー的な考え方が共通している日本で仕事を
している場合はよいが、ここでは周りがみな違う仕事の姿勢で
いるため、少し考えなくてはいけないのである。

もちろん、仕事に一生懸命にならず、スキルをあげるより横柄な
自己主張をしていかなくてはならない、と言っているのではない。

外国人は、行きたいプロジェクト、行ないたいタスク、欲しい給料
を結構頻繁に主張している。もちろん、これはマネジャーとの
ドアの閉じた部屋での会話のため、普通に仕事をしているとあまり
こういった話を聞く機会はない。

こんな例を考えてみてほしい。

家族を持っている人を想定してみる。
例えばあるプロジェクトが終わったとする。そしてそのプロジェクト
はキツく、ここ1ヶ月ほど、土日も出勤していたとする。すると家族
とあまり時間が過ごせていなく、本人としては次のプロジェクトは
すこし初めが楽なプロジェクトに入り、より家族と時間を過ごせる様
にしたいとする。

このとき、同時期に走っているキツい仕事がもう一つあるとする。
その仕事はこれからあと2ヶ月間、土日出勤であるとする。

ここで外国人がとる行動は、間違いなくこうである。まずマネジャー
の部屋にいき、

「ここ一ヶ月も、自分は会社の為に土日働き、家族とほとんど
時間を過ごせていない。だから、次のキツい仕事には入りたく
ない。家族と時間を過ごせる仕事にいれてほしい。もしどうして
も次のプロジェクトが自分を必要としているのであれば、特別扱い
で土日出勤はなしの条件にしてほしい。」

と。

この言い方は、個人として当然の主張であり、言われてみれば
「横柄」でも何でもない。そして、自分の会社であれば、これを
言われて「ダメだ」というマネージャーは絶対にいない。

しかし問題は、我々の感覚では、こういった事を言っても良い
という事を知らないということである。そして、周りのみんなが言って
いるということも知らない場合が多い。

さらには、自己主張をすることが前提のこのカルチャーでは、
主張をしない人は自動的に「必要としていない」ととられてしまう。

マネジャーが、会社にいる全ての異国のカルチャーを把握して
いるわけはなく、日本人に「おまえは家族の主張をしていない
けど、これはカルチャー的な違いで、本当は家族の為に次のキツ
い仕事に入りたくないんじゃないか?」とは当然言ってくれ
ない(笑)。

なので、当然マネジャーやプロジェクトは、自分を次のキツい
プロジェクトへ誘ってくる。仕事ができれば需要は高いため
なおさらである。次のプロジェクトの人事を管理している人から
すれば当然のリクエストで、自分のプロジェクトが締め切り
間際で、優秀な人は当然欲しいわけである。すると、現プロ
ジェクトが終了し、優秀な人材がフリーになれば、もちろん
次のプロジェクトにお誘いが来る。

ここで、やはり日本のカルチャーのある我々は、一つ返事で
また2ヶ月の土日出勤を承諾してしまう。前のプロジェクトでは
同じだけ辛い仕事を会社の為にしているはずなのに、周りの外国人
達は自己主張をし、次のプロジェクトではきちんと家族と時間を
過ごせる中、この環境に置ける外国人の仕事に対する姿勢を把握して
いないため、我々はまた「仕事だからしょうがない」と土日に家に
帰らない理由を家族に伝える結果になる。海外で仕事をする上で、
我々は日本人であるから、日本人の美徳で海外でも仕事をすれば良い、
だけでは良くない場合も時にはあるのが分かっていただけるのでは
ないだろうか。

つまり、ここで自分が言いたいのは、この自己主張が前提と
されるカルチャーでは、少なくとも最低限自分の得るべく権利は
主張しなくてはいけないという事である。それは周りがみな
主張しているため、それが普通で、それをしない人は自動的に
「欲しくない」ととられるからである。これを主張することは
もちろん横柄なんかではない。

次は給料や、昇進、といったもっと競争が激しく、また
より繊細なトピックの主張の仕方を考えてみたい。今回の
家族と時間を過ごす為の主張は、だれからみても妥当な主張
であるとおもう。しかし、ここにお金や認知、政治といった
ものが絡むと、話が数段ややこしくなる。

「仕事のスマートな主張の必要性」に進む

2009年2月9日月曜日

なぜアメリカではサービス残業をしてはいけないか? Part.1

先日、会社の若いアメリカ人と残業の話になった。
そしてこの話は、自分が10年前インターンで働い
ていた時に、その時の上司に自分が言われ、覚えた事
でもある。

一言で言うと、

「サービス残業はしてはいけない」

である。

この話は、結構基本的な事で、若い頃の仕事始めに
まず学ぶ事である。

この若くしてサービス残業をする彼の意図は決して悪い
ものではない。仕事始めでいろいろ習得したい、周りに
自分の仕事を認めてほしい、ただで長い時間働こうと
良い成果を挙げたい。すべて責任感のある尊敬できる良い
理由である。

この感覚は、我々日本人の仕事に対する姿勢に似ている
ところがある。ただし、違うのは、これをやるとまず
若いうちに、やってはいけないと上司に指摘されるので
ある。なぜか?

本人がやる気があって、ただ働きでもかまわない、という
のだから、仕事をして何がいけないのだろうか? プロジェ
クトや、会社が得をするのだから、本人が進んでするので
あれば良いのではないか? と思われるかもしれない。

つまり、これはこの残業を気にしない若い彼の為を思って
言っているのであろうか?

もちろんその意味もあるが、実はこのサービス残業をして
はいけない理由はもっと深い。

ここで一つ忘れてはいけないのが、ここの仕事環境は、
サービス残業が基本は無いという環境であるという事である。

大きな仕事で、大人数が関わるプロジェクトにおいて、その
プロジェクトの効率性をきちんと管理する為には、個々の仕事
のパフォーマンス、およびタスクの難易度を正確に把握すること
がとても大事である。そのため、自分の上司に、自分の仕事の
パフォーマンスを正確に伝えるのはその人の責任でもある。

たとえば、こんな例を考えてみよう。あるひとが、仕事の速度
が10段階中7であったとしよう。その人が、なにかの理由で自
分はスピードは10であると言うとする。

本来であれば、ここでスピードが10の人が必要なプロジェクト
であれば、新しくそのタスクの要求に合う人を募集、面接、と
いったことを行なわなくてはいけない。プロジェクトにあった
人事を行なう事は大切なことである。

しかしこの場合は、上記の人が10であるという事を前提に
プロジェクトは進み、新たな面接は行なわれず、彼に10の
スピードを期待され、タスクが与えられる。

そして、時間がたち、締め切りが近づき、どうも仕事が上がって
こない。そして、プロジェクトの責任者が彼のスピードは実は10
ではなく、7であるという結論に達した時は、締め切りが間際で
この時点で新たな面接などを行なう余裕が無いことが多い。すると、
そのため誰か10のスピードの人が他のプロジェクトから緊急に、
めちゃくちゃなスケジュールでかり出され、なんとかその仕事が
あがる。この助っ人のひとと、他のプロジェクトまで影響が
およんでしまうのである。

この例において、もちろん、その10と言ってはいるものの、
実際は7であることを見抜くのも、上司の仕事である。
しかし、自分のスピードを7ではなく、10と伝えていた人
にも責任はある。

さて、ことサービス残業においては、記録の外で行なわれるため、
どれだけその人が見えない所で仕事を上げているかがモニターし
づらい。さらには、このサービス残業が行なわれない事が前提とさ
れている仕事環境では、基本はだれも記録されていない残業は行なわ
れていないと仮定され、だれも疑わない。

つまり、記録外で行なわれている労働時間は、上の仕事の速度の
例の様に、この環境においては自分のパフォーマンスを正確に
プロジェクトに伝えていない事と同意にとられるのである。

そして、記録外の労働時間により、自分のパフォーマンスを
間違って伝えてしまうと、もっと問題は深くなる。それは、その
タスクを上げるのにかかっている時間は、実際にかかっている
時間よりも短く記録されているため、そのタスクの難易度を
プロジェクトが把握しようとすると、難易度を低く見積もって
しまうのである。

その結果、もしこの類のタスクが他の人に与えられた場合、実際の
むずかしさより簡単であると見積もっているので、そのひと、および
そのタスクを見積もった人にも迷惑がかかってしまう。これらは全て、
自分のパフォーマンスを間違って伝えているという事に起因する。
自分のちょっとしたサービス残業が、プロジェクトに対してこのよう
にいろいろと影響を及ぼすのである。

もちろん、長い時間をかけてでも良い仕事を上げたいという
考えは、だれでも通る道である。しかし、プロジェクト管理
のためだけではなく、たとえばプロジェクトの後半、本当に残業
(これは実際に給料が払われる、記録上の残業)が必要な時は
本人も大変になる。記録にのこる残業が必要なキツい時に、
その上にサービス残業をしなくては自分のタスクが上がらなくなる
からである。長時間の上にサービス残業を重ね、結果疲労なども
重なり、効率も通常より下がってしまうことさえもある。
これは本人にも、プロジェクトにもよくない。

こういった理由により、自分の為にも、プロジェクトのためにも、
仕事のパフォーマンスは正確に伝える必要がある。そして記録上の
労働時間しか行なわれていないことが前提のこの環境においては、
サービス残業も自分のパフォーマンスを間違ってプロジェクトに
伝える物として、ここではやってはいけないと注意されるのである。

さて、ここまでは自分の働く環境で、一般的に言われていることで
ある。

次のPart.2では、それを少しアレンジした、自分なりの見方を
考えてみたい。

2009年2月8日日曜日

A君の贈ったクリスマスプレゼント

こんな話を聞いた事があるだろうか?

これは自分の親友のA君の話である。
A君はヨーロッパ出身、そしてA君の彼女はアメリカ人である。

数年前のクリスマス時期、A君は家族の行事でヨーロッパの実家に
帰らなくてはいけなかった。そして彼女はアメリカで仕事があった
ため、仕事を終えてから新年にA君とヨーロッパで合流することに
なっていた。

A君の彼女は、それによってその年のクリスマス時期は、アメリカで
一人で過ごす事になる。A君も、A君の彼女も、自分の親友の為、
A君が不在の間、自分はA君の彼女の話し相手になる約束になっていた。

ある日自分がA君の彼女の話し相手になるため訪れた時である。
すごいA君の"Gentleman"を目にする事になる。

その日、A君の家を訪れたとき、まず初めに目についたのが、
A君の家のテーブルにあった物である。

そこには、十数個のクリスマスプレゼントが置いてあるのである。
そこでA君の彼女に、なんでこんなにプレゼントが置いてある
のかと聞いてみる。

すると彼女はこう答える。

自分が見落としていたのは、この十数個のプレゼント全てに
黒マジックで日付が記載されていたことである。

つまり、このプレゼントは、12月17日から彼女がヨーロッパに
A君を訪れる12/30日までの分、遠いアメリカに一人残る彼女に
毎日サプライズがあるようにと、一日一個、きちんと日付が
付けられた、日めくり的クリスマスプレゼントであったのである。

それを聞いた瞬間、このA君はすごいなあと思った覚えがある。

その日は確か12月21日であった。そして、12/17のプレゼントは
A君と彼女が見に行って、彼女が気に入った映画のDVDが出て来た
という。

12/18は彼女の大好きな女性誌の最新号が出て来たらしい。
12/19におしゃれな包みに入っていた物は彼女の好物の
チョコレートやキャンディー、12/20の分は彼女の欲しがっていた
アーティストの最新アルバム、そして自分が訪れたその日は
彼女の大好きな"Sex and the City"DVDセットであった。

そしてA君の彼女は、明日はなにが出てくるか楽しみだ(^_^)と
すごくうれしそうに語っていたの覚えている。その時の彼女の
表情は今でも忘れない。

こんな話はいままで一度も聞いた事が無かった。

自分が家族の事情でクリスマス時期に彼女をは離れなくて
はいけない時に、毎日彼女が楽しめる様に、一人で寂しくない
様に、そして、その一日ごとにでてくるプレゼントの選択の仕方、
心遣いに、あやうく自分もA君に惚れるところであった(笑)。

有る意味、浮気、不倫が少々黙認されている日本社会、
自分の大切な人をすごくケアする欧米社会、これに関しては
欧米「かぶれ」に少しなっても良いような気がしてくるのは
自分だけだろうか?


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2009年2月6日金曜日

すれ違いざまの挨拶、発展編 Part.1

「How's it going? How are you? What's upにいちいちまじめに答えない。」に戻る


前の記事で紹介した、

* How are you? (元気?)
* How's it going? (どう?)
* What's up? (どうした?どうしてる?)

の基本対応ができる様になったら、もうちょっと表現力を上
げたい人のために、もうすこしかっこいい、応用的な対応をする
ためのこつを紹介する。

前回紹介した、一言返事の対応方法は間違ってもいないし、
失礼でもない。外国人もしょっちゅう使う。

しかし、よりカジュアルトークを上達させたい場合、
もしくはSocial skill(社交性)を上げたい場合は、
もう一歩ふみこんだ対応の仕方を知っておくと、より
表現力が上がる。

基本は一緒である。
ただし、その場の環境によって、対応を状況に合わせ、
柔軟に変化させるのである。つまり、挨拶代わりの
「ミニ会話」をそこで即席で行なうのである。そう言わ
れるとなんだか難しいことの様に聞こえるかもしれないが、
こつさえ分かれば結構簡単である。

ただし、ここで誤解を招きやすい事がある。相手の挨拶
質問に対して、きちんと対応した返答するからと言って、
前回言った、「これらの表現は、相手の状況を心底知りたい
から聞いているわけではない。だから、ただの挨拶で返せば良い」
といった基本対応の理念は変わらない。要は、「ただの挨拶」
が、「おしゃれな挨拶」に変わるだけである。このミニ会話
に感情を込める必要はまったくない。あくまでも、より凝った
バージョンの「挨拶」なのである。

相手: "Hey what's up?" (よう!どうだい?)

自分: "ummm, not much. How about you?" (特になにも、そっちは?)

相手: "Same old same old" (いつも通りだよ)

自分: "oh yea...?" (そっか)

ここでまず考えてほしいのは、上の表現の一字一句
ではない。ここで紹介している表現自体はまだあまり
重要ではない。なぜなら、これを初めてやろうとすると、
相手からの返事が返ってこないといった事がおき、
会話がうまく成立しないからである。この経験をした事
がある人はいるのではないだろうか。そして、それは
使う文章の問題ではない。

どういうことか。

まず初めに、この挨拶を交わすときの状況を想像して
ほしい。

こういった挨拶は、友達とすれ違い様にするのが
普通である。つまり、二人が通常のペースで歩いて
いるとすると、相手が一言目の"Hey what's up?"
と言ってから、すれ違い、そして二人が背中を向け合い、
会話がとどかなくなるまではほんの数秒の出来事である。

なので、これを初めて試してみると、通常はこういう
ことが起こる。

--- 二人の距離お互い向って1メートルぐらい ---
相手: "Hey what's up?"(よう!どうだい?)
 
--- 二人がちょうどすれ違う ---
自分: "ummm, not much." (特になにも。)

--- 二人の距離お互い背を向け離れながら1メートルぐらい ---
自分: "How about you?"(そっちは?)
                
--- この時点で二人で背を向け、2メートルくらいはなれている ---
相手: "..." (自分の質問が聞こえないか、返事をするのには不自然な距離)

--- 会話は届かない ---
自分: "..." 

つまり、自分が「特になにも」と返答したあとの、
自分の「そっちは?」という質問をしている時点で、
相手が後ろ向きで遠すぎるため、相手が聞こえず返事
をしないか、不自然に振り向き自分の「そっちは?」
に対して無理矢理返答をするかのどっちかになる。

これでは「挨拶」がスムーズにいかず、軽い挨拶の
はずが、毎回ぎこちなく、不自然になる。これでは
やはりまずいであろう。これはまさに、自分が挨拶に
アドリブを入れようと思った当初、陥った状況である。

ここで、秘密を紹介する。ミニ会話の表現よりも何よりも
大事な「こつ」は、


自分: "ummm, not much..., How about you?"

という表現を、

自分: "ummm, not muchhow about you?"

という表現に変えることである。

つまり、通常の会話の時のように、この二つの
短い表現を、間に一息入れて表現するのではなく、
すれ違い様の挨拶の時は、二つの表現をくっつけて、
ほぼ一つの表現の様につなげて言うのである。
(文章なので、あえてニュアンスが伝わる様に、
"much"と"how"がつながるという意味で、"muchhow"
という表記にしてみた。)

些細な表現の違いであるが、これがコミュニケーション
英語とカルチャー英語の違いである。

コミュニケーション英語では、ぎこちないアドリブ入り
の挨拶になる所であるが、これをカルチャー英語版
にするとこうなる。

--- 二人の距離お互い向って1メートルぐらい ---
相手: "Hey what's up?"(よう!どうだい?)
 
--- 二人がちょうどすれ違う ---
自分: "ummm, not muchhow about you?"(特になにもそっちは?)

--- 二人の距離お互い背を向け離れながら1メートルぐらい ---
相手: "Same old same old" (いつも通りだよ)
                
--- この時点で二人で背を向け、2メートルくらいはなれている ---
自分: "oh yea...?" (そっか)


違いが分かっていただけただろうか?

自分の一つ目の返答が、答えと質問に融合されたため、
次に相手が自分の問いかけに対し、自然に答えを出せる
タイミングにまだいるわけである。そして、自分の
「ふーん」的な最後の返答は、背中を向け合って距離が
ちょっとあっても、一言返事というか、ただの音なので、
それも不自然ではない。これによってスムーズに「おしゃれな
挨拶」がうまくいく。

つまりまとめるとこういう流れのステップである。

「相手が何か軽い挨拶」

「それに対する返答&問いかけをつなげ、一つの表現にする」
↓  
「その問いかけ部分に対する相手の返答」

「自分の(ふ〜ん)的などうでも良い反応」

この大事なこつさえつかめれば、あとは表現の
バリエーションをいろいろためし、アドリブを
入れられる様にためすだけである。

ながくなったが、この「おしゃれな挨拶」が
できる様になると、カジュアルトークがもっと
楽しくなる。

Part.2は参考までにいくつかアドリブ例を紹介する。

「すれ違いざまの挨拶、発展編 Part.2」へ

2009年2月2日月曜日

「帰国子女」=「英会話に不自由が無い」ではない?

「カルチャー英語は、通常の生活からは学べない?」に戻る

おそらく最近では結構周りに「帰国子女」と呼ばれる人が
一人や二人はいるであろう。外国で幼い頃生活していた人
たちで、英語(正確には外国語)が「ぺらぺら」話せる人
たちである。

帰国子女とひとくくりに言ってもいろいろなパターンがあ
ると思う。外国で生活していた時期、期間、そして環境に
よって様々である。

一般的には「帰国子女」=「英会話、もしくは英語を用いた
コミュニケーションに不自由が無い」という定義で誰も文句
は言わないであろう。しかし、このカルチャー英語の存在を
考えるために、あえてそこを疑問視してみる。

「カルチャー英語とは?」
「カルチャー英語は、通常の生活からは学べない?」

を読んでいただくと分かって頂けると思うが、自分は英語を
生活の中のから、2つの大きなカテゴリーに分けてとらえ
ている。すなわち、コミュニーケーション英語とカルチャー
英語の2つである。

そして、この帰国子女とくくられる人々が不自由ではない
のは、このコミュニケーション英語の部分であると思う。そして、
その人のカルチャー英語のスキルは、外国で生活していた時期、
期間、そして環境によって様々であると思う。

日本語に当てはめてみると分かりやすい。われわれ日本人は、
みな日本語がしゃべれる。しかし、同じ日本語でも、幼稚園児
であれば会話のスキルや表現力は幼いであろうし、小学生では
大人の感情の入る会話には、通常は参加できないはずである。
また、中学生では社会人が飲み屋で話す様な内容にはついてい
けないはずであるし、全ての大人が、日本語がしゃべれると
いうことにより、たとえば会社の経営者と同じ表現力がある
というわけでは無いであろう。

そして、こういった表現力、人生経験、カルチャーの経験に
大きく差の有る二人が、なにか会話の目的があるわけではなく、
会話の目的がお互いの存在を楽しむことであったとしたら、
何もテーマのない雑談をしたときに、話題がいまいちあわない
としたら、理由が納得できるのではないだろうか。

それでも、表現のうまい下手を考慮せず、日常会話で自分の
伝えたい事が伝えられ、相手の表現が理解できるかということ
であれば、今挙げた年代が皆おのおのの表現の仕方でできる
はずである。また、日本語の発音は、みな完璧である。

この、意思疎通ができれば良しとする言語が、自分の言う
コミュニケーション英語にあてはまり、年齢、人生経験に
より変化していくより実社会向けの言語が、カルチャー英語
に相当する。

英語に関して、一般的に意外と勘違いしがちなのが、発音が
でき、意思伝達に不自由が無なければ、英語を用いた外国人と
のコミュニケーションには何一つ不自由がないとくくってしまう
ことである。

それゆえ、「帰国子女」=「英会話に何一つ苦労がない」という
見方になる。

しかし、日本語に表現力がカルチャーや人生経験により差が
ある様に、英語にももちろんその差は存在する。

帰国子女であれ、たとえばその人が外国で過ごしたのが幼稚園、
小学校といった幼少期であれば、仮に英語の発音はよくて、
意思伝達にはまったく不自由がなくても、バーにおける大人の
笑い話にはついていけないということが起こる。

ここに、発音や意思伝達といった機械的な会話能力とは別に、
人生やカルチャーの経験によってスキルアップする、英会話の
スキルが存在する事を感じていただけるであろうか?

カルチャー英語の存在を少しでも感じていただけたら、つぎは
なぜ、そして、いかにこのカルチャー英語が国際環境での生活を
より充実させるうえで、大事であるかを考えたい。

2009年2月1日日曜日

カルチャー英語は、通常の生活からは学べない?

「カルチャー英語とは?」に戻る

まずはカルチャー英語の存在を理解するために、
お互いの定義の一つからはじめてみる。

*「コミュニケーション英語」: なにか話し合わ
なくてはいけない事柄があり、それを達成する為の
会話に使う英語。

例えばレストランでは食事、注文、といった目的が
あり、銀行では預金や引き出しなど、銀行の作業と
いった題材がある。仮に弁護士と難易度の高い会話を
しているとしても、それもその弁護士を雇った理由があり、
会話にはテーマがある。学校、仕事場では、当然
学んでいる事柄、もしくはやっている仕事に関係の
ある会話をする。

こういった場での会話は、伝えたい事が伝えられ、
相手の言っている事が分かりさえすればコミュニケー
ションに問題はない。

そして、日常生活をし、学校で授業を理解し、仕事を
こなす為の英語は、こういった日常生活に身を置いて
いれば、時間さえ経てば、経験によりだんだん覚えて
いく。もし習得を早めたいのであれば、語学学校へ
いけば学ぶ事もできる。

これらがすべて、コミュニケーション英語である。

*「カルチャー英語」: 相手の存在を楽しむ為の会話に
使う英語。

では逆に、カルチャー英語はどういった場面で登場するか。

代表的なのは、知人のパーティーに呼ばれ、雑談やフリー
トークをしているとき。美容室で髪をきってもらっている
時のスタイリストとの雑談、またはバーやクラブで友達と
何でもない会話をしているとき。そして見落としがちなのが、
目的地に向っているときの移動中の会話や、映画の始まるま
での十数分の暇つぶしの為の会話などである。

実際に自分がこのカルチャー英語の存在に気づいたのは、
この移動中においてであった。日常生活の上での英会話
(コミュニケーション英語)に苦労がなくなっていた頃、
ある知人のパーティーから10人ほどでバーへ向って
徒歩で移動している時であった。

知人の家からそのバーまでは10分ほどで、その間、
みんながわいわい何かとどうでもよい雑談をしながら、
その移動時間を楽しんでいるなか、自分はその会話に
参加できず、退屈な思いをしたのを良く覚えている。

そのときに、英会話ができると思っていた自分は、
会話についていけないことに非常にショックだった。

このような外国人との移動中に、会話に参加ができな
い経験をしたことがあるのは自分だけではないであろう。
また、外国で、映画上映までの待ち時間や、外国人の集まる
パーティーが楽しめない、バーでのカジュアルトークが
面白くないと感じる事がある日本人は多いであろう。

こういった場で会話をするのは、なにかテーマや決定事項
があるわけではなく、お互いの存在を楽しむ為にするの
である。そして、この種の英会話ができないと、日本人と
日本語で接している時の様なクオリティーで、外国人との付
き合いを本当に楽しむ事はできない。

何らかの理由で外国を自分の生活の場と決めた以上は、
そこで増える外国人との付き合いを、より楽しむ事が
できるほうが良いと自分は考える。

そして、どんなに仕事で英語ができようと、どんなに
英語の発音が良かろうと、弁護士とどんなに難しい
交渉ができようと、それらはすべてコミュニケーション
英語であるため、これらが苦なくできても、移動中に
その場にいる友達の存在を楽しめない、雑談ができない
といた状況は起きるのである。

つまり、日常生活や仕事場などの、みんなが話題のテーマを
もった事務的な英会話と、移動中や暇つぶし、バーでの共通
目的をもっていない、人の存在を楽しむ為の英会話とでは
内容が全く違う。

残念な事に、このコミュニケーション英語だけを使う通常の
環境で生活していたのでは、このカルチャー英語は何年経って
もあまり上達しないのである。

自分の海外での生活に、カルチャー英語が必要と判断した
場合は、通常われわれ日本人が接する生活では、コミュニ
ケーション英語のみしか行なわれないため、意識的に
カルチャー英語が使われる環境に身を置く必要がある。

カルチャー英語の更なる定義の為に、次は「帰国子女」
の定義を考えてみる。

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