2009年1月2日金曜日

ドアの話

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アメリカに来て間もない頃こんな事に気づいたことがある。

ある日、仕事仲間6人ほどとランチを終え、会社に歩きながら
戻って来た時である。ジョシュ(男性)が一歩先へ進み、
みんなの為に横へよけ、会社の入り口のドアを引いて開ける。

みんながドアを通り、笑顔でジョシュを見る人、「ようっ」
といった仕草をする人、ありがとうと言う人。

ジョシュは最後にみんなが自分の開けたドアを通ったら最後に
会社に入って来た。毎日見ている自然な光景であったがその日は
ちょっとその光景になぜか関心を持った。

その時の構成は自分を含め6人は全て男性、年齢は20代から
40代まで、国籍はごちゃ混ぜである。ジョシュはアメリカ人で
その中で一番年配、自分はその中で一番若かった。

なぜこの光景にその日だけ関心を持ったかは分からないが、その
とき思ったのが、「そういえばこっちの人は男女、年齢かまわず
ドアをきちんと人の為に開けるなあ」であった。

そのときの自分のドアに関しての認識は、気になる女の子に
かっこつけるためにGentlemanぶってやるぐらいだった(恥)。
だからなおさら気づいてからはジョシュの行動が気になっていた。

それからずいぶんの間、人とドアをくぐるたびに、どういった人が
ドアを人の為に開けているかを観察してみた。

結果、ドアを開ける傾向が強いのは、年配で人生経験が豊富なひと、
会社で地位の上の方の人、であり、この条件に当てはまっていると
男女ともに差はなかった。そのころの友人の中で、30以上、
リーダー的地位の人は例外無く皆、こういった状況ではドア
をみんなの為に開けていた。

逆にドアを開ける傾向が少なく見えたのは、若い、もしくは
人生経験が少ない人、会社での経験が少ない人であった。
当時の自分は見事このカテゴリーに的中で、ドアは気になる
女の子に開けるものと勝手に思っていた。。。

この違いに気づいてからは、その意味が分かっていたわけでは
ないが、なんか誰に対してでも自然とドアの開けられるグループの
人たちが自分には立派に見えた。

変な言い方かもしれないが「ドアを誰にでも自然と開けられる
人になりたい」と思った。

そこで、まず次の日にやってみる。ランチの帰り道に、
いつもならジョシュが一歩先に出るところを、意図的に数歩先を
あるき、自分が横によけてドアを開けてみる。いつもはジョシュに
ドアを自然と開けてもらっていた立場の為、立場が変わると
すごく不自然な感じがした。むしろ居心地が悪かったのを
覚えている。

唐突だが「Gentleman」とはどういう意味であるだろうか? 
あえてGoogleを使わないで考えてみる。

自分が日本で生活していた頃、何となくイメージしていたのは
外国のテレビや映画で見る「女性に優しい」、「女性に対してドアを
開けてあげる」、といった程度の認識だった。

今現在の自分の中の定義は、

「Gentleman」=「大人」 である。

「女性に対して」や「〜をする」は全く関係ない。

自分の尊敬するリーダー達は、皆みんなの為にドア
をきちんとあけられる。あたかもそれが大人としての
マナーであるかの様に。自分にはそれが今では大人
としての余裕に見えるのである。

一緒に仕事をしていて、自分の事しか気にしなかったり、
自分勝手な人より、周りの人に気が配れて、チームや
周りの人に大人の余裕が見せれるひとのほうがリーダー
のイメージとして頼りがいがあるのは言うまでもない
だろう。

大人であるから周りの人には気を配り、優しくする。
女性、お年寄り、子供に対しては、これはむしろ言うま
でもないといった感じである。

逆に考えてみよう。会社で自分が頼りにしなくては
いけない存在の人が、何であれ大人のわきまえている
べくマナーができていないとしたら。少々上司として
頼りない気がする。

つまり、ここのカルチャーでは、リーダーが、ボスと
して、大人だから皆の為に気を使う。これが大人
としてのしるしである。

だからこそ、自分も「ドアの開けられる人」になりたい。

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