2009年2月2日月曜日

「帰国子女」=「英会話に不自由が無い」ではない?

「カルチャー英語は、通常の生活からは学べない?」に戻る

おそらく最近では結構周りに「帰国子女」と呼ばれる人が
一人や二人はいるであろう。外国で幼い頃生活していた人
たちで、英語(正確には外国語)が「ぺらぺら」話せる人
たちである。

帰国子女とひとくくりに言ってもいろいろなパターンがあ
ると思う。外国で生活していた時期、期間、そして環境に
よって様々である。

一般的には「帰国子女」=「英会話、もしくは英語を用いた
コミュニケーションに不自由が無い」という定義で誰も文句
は言わないであろう。しかし、このカルチャー英語の存在を
考えるために、あえてそこを疑問視してみる。

「カルチャー英語とは?」
「カルチャー英語は、通常の生活からは学べない?」

を読んでいただくと分かって頂けると思うが、自分は英語を
生活の中のから、2つの大きなカテゴリーに分けてとらえ
ている。すなわち、コミュニーケーション英語とカルチャー
英語の2つである。

そして、この帰国子女とくくられる人々が不自由ではない
のは、このコミュニケーション英語の部分であると思う。そして、
その人のカルチャー英語のスキルは、外国で生活していた時期、
期間、そして環境によって様々であると思う。

日本語に当てはめてみると分かりやすい。われわれ日本人は、
みな日本語がしゃべれる。しかし、同じ日本語でも、幼稚園児
であれば会話のスキルや表現力は幼いであろうし、小学生では
大人の感情の入る会話には、通常は参加できないはずである。
また、中学生では社会人が飲み屋で話す様な内容にはついてい
けないはずであるし、全ての大人が、日本語がしゃべれると
いうことにより、たとえば会社の経営者と同じ表現力がある
というわけでは無いであろう。

そして、こういった表現力、人生経験、カルチャーの経験に
大きく差の有る二人が、なにか会話の目的があるわけではなく、
会話の目的がお互いの存在を楽しむことであったとしたら、
何もテーマのない雑談をしたときに、話題がいまいちあわない
としたら、理由が納得できるのではないだろうか。

それでも、表現のうまい下手を考慮せず、日常会話で自分の
伝えたい事が伝えられ、相手の表現が理解できるかということ
であれば、今挙げた年代が皆おのおのの表現の仕方でできる
はずである。また、日本語の発音は、みな完璧である。

この、意思疎通ができれば良しとする言語が、自分の言う
コミュニケーション英語にあてはまり、年齢、人生経験に
より変化していくより実社会向けの言語が、カルチャー英語
に相当する。

英語に関して、一般的に意外と勘違いしがちなのが、発音が
でき、意思伝達に不自由が無なければ、英語を用いた外国人と
のコミュニケーションには何一つ不自由がないとくくってしまう
ことである。

それゆえ、「帰国子女」=「英会話に何一つ苦労がない」という
見方になる。

しかし、日本語に表現力がカルチャーや人生経験により差が
ある様に、英語にももちろんその差は存在する。

帰国子女であれ、たとえばその人が外国で過ごしたのが幼稚園、
小学校といった幼少期であれば、仮に英語の発音はよくて、
意思伝達にはまったく不自由がなくても、バーにおける大人の
笑い話にはついていけないということが起こる。

ここに、発音や意思伝達といった機械的な会話能力とは別に、
人生やカルチャーの経験によってスキルアップする、英会話の
スキルが存在する事を感じていただけるであろうか?

カルチャー英語の存在を少しでも感じていただけたら、つぎは
なぜ、そして、いかにこのカルチャー英語が国際環境での生活を
より充実させるうえで、大事であるかを考えたい。