「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」に戻る
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」に戻る
自分はいまだに上司やマネジャー、仕事仲間に繰り返し
言われる事がある。
「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の同僚や、
特に上司にアピールしたほうがいいよ。」
と。
これを初めて言われた時に思ったことは、日本人的
な感覚からして
「んん?」
であった。なぜ自分の仕事をわざわざ同僚や
上司に主張しなくてはならないのか?と思った。
仮にきちんと仕事をしているのであれば、そんな事は
他人に、ましてや上司にアピールする事ではない
だろうと。
自分の中の基本理念はこうである。仕事とは、自分が
やりがいがあり、自分で作りたい映像があり、よい仕事
をすれば、その結果により次の仕事や、よりやりがいの
ある次のタスクにつながる。
そして、結果をだしていけば、成果はいずれ自然
とついてくる。つまり、自分の仕事ぶりを、そのため
わざわざ上司やマネージャーに主張する必要など無い
はずである、といったものである。
しかし、現実はこうではない。このブログのいろいろな
ところのテーマにもなっているが、自分の生活している
環境は、個人主義で自己主張の強く、それが普通な社会
である。
自己主張の強い環境においては、少なくとも最低限自分
の得るべく権利は主張しなくては、自分の得るべくものが
得にくいという現実がある。それは周りがみな主張している
ためである。
(この読み物はその応用編で、自分の権利を自己主張の強い
社会で守る基礎は、
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」
を見てほしい。)
自分の知り合いの中には、仕事が一つ終わるたびに、
自分がこれだけの仕事をしたのだから、これだけの手柄
(休暇、給与、精進など)が欲しいと、交渉している
ひとも結構いる。
こっちのカルチャーは、自分の権利を主張することが
横柄であるという感覚はない。もし上司やマネジャー
が自分の要求した権利に同意をしなかったら、その理由を
言われ、「そうか」と話が終わるだけである。
自分の思う得るべく権利を、仮に間違っていても、主張
すること自体は問題はない。もちろん、ただただ主張する
のではなく、このタイトルにもある「スマートな」主張が
必要であるが、それはまた後の読み物で具体例を書きたい。
(ちなみに、もし度が過ぎた主張をした場合でも、あとで
「あいつあんなむちゃくちゃな要求しやがったよ」と冗談で
言われるぐらいである。さすがにそれを繰り返しするの
はまずいが。。。おそらく我々日本人的な感覚では欲しい
物を全て主張しても足りないぐらいであろう。)
「欲しい物は欲しいと言わなくてはいけない」
この一言も、自分が何度も上司やマネジャーに言われている
セリフなのだが、自分が最初にこれを言われた時はかなり
驚いた。しかしこれが自己主張の強いカルチャーの日常であり、
こっちの人はこれが普通と思っているという事実を、海外で
働く我々は認識しなくてはならないと思う。
日本人の感覚からすると、むしろ欲しいものを主張するのは
いけないことといった感覚の方が強いと思う。謙虚に、与え
られる物を頂戴するというのが我々のカルチャーであり、
美徳である。
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」にも
書いたが、どちらが良い悪いかを議論するのが目的ではなく、
両者には文化に基づいた理由があると思う。考えなくては
ならないのは、片一方のカルチャーがもう片方に入ったときに、
いかに対応するかであると思う。
話を戻すと、「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の
同僚や、特に上司にアピールしたほうがいいよ。」という
意見は、それをみなしているよ、そうでないとここでは
損をするよ、という事実に対するアドバイスである。
同じ仕事をしている人がいるとすると、やはり自己主張
をしていない人は、それをしている人においていかれて
しまう。残念ながらこれが現実である。
みなが自分の主張をするのが普通のカルチャーにおいて
は、最低限、自分の得るべく権利を守る為に、彼らの主張
の仕方を覚える必要があるというのが現在の自分の考え方で
ある。仕組みやカルチャーが自分の権利をまもってくれない
場合は、それを守る手だてを覚えるのは自分の責任であると
思う。
そのためにも、こっちでは我々も仕事のスマートな
主張の仕方を覚えなくてはならないと思う。
次は、上の基本理念である、自己主張など気にせず、
仕事をした人が、きちんと自然と手柄を得られる
仕組みを作るための考えを書いてみたい。
2009年10月31日土曜日
2009年2月11日水曜日
日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」に戻る
Part.1で述べた様に、日本とアメリカでは仕事に対する姿勢が
ずいぶんと異なる。そして、ここで考えなくてはいけないのは、
アメリカで仕事をしている我々が、その姿勢の違いを意識しない
と損をする事があるということである。
仕事の上で、理想論を語ると、熱心に仕事をし、それによって
スキルが上がり、成果が上がる事により仕事仲間の敬意が
上がり、自分のやった仕事に対し給料や、与えられるタスク、
ポジションなどもあがる。そして、自分の気にしなくてはいけ
ない事は、熱心に仕事をし、仕事の腕を上げる部分だけで、
残りのステップは自然とついてくる、といったものである。
しかし、現実はそうではない... これは世界中どこへいって
も同じかもしれないが、とくに個人個人の自己主張の強い
自分のいる仕事環境では、彼らの仕事スタイルを把握してい
ないと、理想論で仕事をしているとより損をする事になる。
自分はアメリカで仕事をはじめてから、ずいぶんと長い間この
理想論で仕事をしてきた。とにかく仕事を一生懸命し、実力さえ
上がれば、成果など自然とついてくる、と思っていた。そんな
ことを気にする暇があったら仕事を一生懸命やろうと。
われわれ日本人の感覚からするとこうである。仕事で与えられる
タスク、自分の参加したいプロジェクトと、基本は与えられた物を
やる。もしより自分がやりたいタスクや、プロジェクトに参加
したい場合は、それに見合う仕事のスキルを身につけ、それに
よって自然とそのタスク、プロジェクトを与えられるのを期待する。
結局、「与えられたものをこなす」というのが基本姿勢で、自分から
なにかを要求するとうことは「横柄」であるという感覚があるの
である。
給料や、昇進といったものにも同じ考え方が適用される。より高い
給料や、昇進を求めるのであれば、自分が頑張って仕事をし、成果は
向こうから与えられるものであり、「給料を上げてほしい」「昇進して
ほしい」などと言うこともまた、「横柄」である。
ここで、我々がアメリカで仕事をする上で知っておかなくては
いけないことは、周りの外国人はこのルールに従っていないという
ことである。
こういったカルチャー的な考え方が共通している日本で仕事を
している場合はよいが、ここでは周りがみな違う仕事の姿勢で
いるため、少し考えなくてはいけないのである。
もちろん、仕事に一生懸命にならず、スキルをあげるより横柄な
自己主張をしていかなくてはならない、と言っているのではない。
外国人は、行きたいプロジェクト、行ないたいタスク、欲しい給料
を結構頻繁に主張している。もちろん、これはマネジャーとの
ドアの閉じた部屋での会話のため、普通に仕事をしているとあまり
こういった話を聞く機会はない。
こんな例を考えてみてほしい。
家族を持っている人を想定してみる。
例えばあるプロジェクトが終わったとする。そしてそのプロジェクト
はキツく、ここ1ヶ月ほど、土日も出勤していたとする。すると家族
とあまり時間が過ごせていなく、本人としては次のプロジェクトは
すこし初めが楽なプロジェクトに入り、より家族と時間を過ごせる様
にしたいとする。
このとき、同時期に走っているキツい仕事がもう一つあるとする。
その仕事はこれからあと2ヶ月間、土日出勤であるとする。
ここで外国人がとる行動は、間違いなくこうである。まずマネジャー
の部屋にいき、
「ここ一ヶ月も、自分は会社の為に土日働き、家族とほとんど
時間を過ごせていない。だから、次のキツい仕事には入りたく
ない。家族と時間を過ごせる仕事にいれてほしい。もしどうして
も次のプロジェクトが自分を必要としているのであれば、特別扱い
で土日出勤はなしの条件にしてほしい。」
と。
この言い方は、個人として当然の主張であり、言われてみれば
「横柄」でも何でもない。そして、自分の会社であれば、これを
言われて「ダメだ」というマネージャーは絶対にいない。
しかし問題は、我々の感覚では、こういった事を言っても良い
という事を知らないということである。そして、周りのみんなが言って
いるということも知らない場合が多い。
さらには、自己主張をすることが前提のこのカルチャーでは、
主張をしない人は自動的に「必要としていない」ととられてしまう。
マネジャーが、会社にいる全ての異国のカルチャーを把握して
いるわけはなく、日本人に「おまえは家族の主張をしていない
けど、これはカルチャー的な違いで、本当は家族の為に次のキツ
い仕事に入りたくないんじゃないか?」とは当然言ってくれ
ない(笑)。
なので、当然マネジャーやプロジェクトは、自分を次のキツい
プロジェクトへ誘ってくる。仕事ができれば需要は高いため
なおさらである。次のプロジェクトの人事を管理している人から
すれば当然のリクエストで、自分のプロジェクトが締め切り
間際で、優秀な人は当然欲しいわけである。すると、現プロ
ジェクトが終了し、優秀な人材がフリーになれば、もちろん
次のプロジェクトにお誘いが来る。
ここで、やはり日本のカルチャーのある我々は、一つ返事で
また2ヶ月の土日出勤を承諾してしまう。前のプロジェクトでは
同じだけ辛い仕事を会社の為にしているはずなのに、周りの外国人
達は自己主張をし、次のプロジェクトではきちんと家族と時間を
過ごせる中、この環境に置ける外国人の仕事に対する姿勢を把握して
いないため、我々はまた「仕事だからしょうがない」と土日に家に
帰らない理由を家族に伝える結果になる。海外で仕事をする上で、
我々は日本人であるから、日本人の美徳で海外でも仕事をすれば良い、
だけでは良くない場合も時にはあるのが分かっていただけるのでは
ないだろうか。
つまり、ここで自分が言いたいのは、この自己主張が前提と
されるカルチャーでは、少なくとも最低限自分の得るべく権利は
主張しなくてはいけないという事である。それは周りがみな
主張しているため、それが普通で、それをしない人は自動的に
「欲しくない」ととられるからである。これを主張することは
もちろん横柄なんかではない。
次は給料や、昇進、といったもっと競争が激しく、また
より繊細なトピックの主張の仕方を考えてみたい。今回の
家族と時間を過ごす為の主張は、だれからみても妥当な主張
であるとおもう。しかし、ここにお金や認知、政治といった
ものが絡むと、話が数段ややこしくなる。
「仕事のスマートな主張の必要性」に進む
Part.1で述べた様に、日本とアメリカでは仕事に対する姿勢が
ずいぶんと異なる。そして、ここで考えなくてはいけないのは、
アメリカで仕事をしている我々が、その姿勢の違いを意識しない
と損をする事があるということである。
仕事の上で、理想論を語ると、熱心に仕事をし、それによって
スキルが上がり、成果が上がる事により仕事仲間の敬意が
上がり、自分のやった仕事に対し給料や、与えられるタスク、
ポジションなどもあがる。そして、自分の気にしなくてはいけ
ない事は、熱心に仕事をし、仕事の腕を上げる部分だけで、
残りのステップは自然とついてくる、といったものである。
しかし、現実はそうではない... これは世界中どこへいって
も同じかもしれないが、とくに個人個人の自己主張の強い
自分のいる仕事環境では、彼らの仕事スタイルを把握してい
ないと、理想論で仕事をしているとより損をする事になる。
自分はアメリカで仕事をはじめてから、ずいぶんと長い間この
理想論で仕事をしてきた。とにかく仕事を一生懸命し、実力さえ
上がれば、成果など自然とついてくる、と思っていた。そんな
ことを気にする暇があったら仕事を一生懸命やろうと。
われわれ日本人の感覚からするとこうである。仕事で与えられる
タスク、自分の参加したいプロジェクトと、基本は与えられた物を
やる。もしより自分がやりたいタスクや、プロジェクトに参加
したい場合は、それに見合う仕事のスキルを身につけ、それに
よって自然とそのタスク、プロジェクトを与えられるのを期待する。
結局、「与えられたものをこなす」というのが基本姿勢で、自分から
なにかを要求するとうことは「横柄」であるという感覚があるの
である。
給料や、昇進といったものにも同じ考え方が適用される。より高い
給料や、昇進を求めるのであれば、自分が頑張って仕事をし、成果は
向こうから与えられるものであり、「給料を上げてほしい」「昇進して
ほしい」などと言うこともまた、「横柄」である。
ここで、我々がアメリカで仕事をする上で知っておかなくては
いけないことは、周りの外国人はこのルールに従っていないという
ことである。
こういったカルチャー的な考え方が共通している日本で仕事を
している場合はよいが、ここでは周りがみな違う仕事の姿勢で
いるため、少し考えなくてはいけないのである。
もちろん、仕事に一生懸命にならず、スキルをあげるより横柄な
自己主張をしていかなくてはならない、と言っているのではない。
外国人は、行きたいプロジェクト、行ないたいタスク、欲しい給料
を結構頻繁に主張している。もちろん、これはマネジャーとの
ドアの閉じた部屋での会話のため、普通に仕事をしているとあまり
こういった話を聞く機会はない。
こんな例を考えてみてほしい。
家族を持っている人を想定してみる。
例えばあるプロジェクトが終わったとする。そしてそのプロジェクト
はキツく、ここ1ヶ月ほど、土日も出勤していたとする。すると家族
とあまり時間が過ごせていなく、本人としては次のプロジェクトは
すこし初めが楽なプロジェクトに入り、より家族と時間を過ごせる様
にしたいとする。
このとき、同時期に走っているキツい仕事がもう一つあるとする。
その仕事はこれからあと2ヶ月間、土日出勤であるとする。
ここで外国人がとる行動は、間違いなくこうである。まずマネジャー
の部屋にいき、
「ここ一ヶ月も、自分は会社の為に土日働き、家族とほとんど
時間を過ごせていない。だから、次のキツい仕事には入りたく
ない。家族と時間を過ごせる仕事にいれてほしい。もしどうして
も次のプロジェクトが自分を必要としているのであれば、特別扱い
で土日出勤はなしの条件にしてほしい。」
と。
この言い方は、個人として当然の主張であり、言われてみれば
「横柄」でも何でもない。そして、自分の会社であれば、これを
言われて「ダメだ」というマネージャーは絶対にいない。
しかし問題は、我々の感覚では、こういった事を言っても良い
という事を知らないということである。そして、周りのみんなが言って
いるということも知らない場合が多い。
さらには、自己主張をすることが前提のこのカルチャーでは、
主張をしない人は自動的に「必要としていない」ととられてしまう。
マネジャーが、会社にいる全ての異国のカルチャーを把握して
いるわけはなく、日本人に「おまえは家族の主張をしていない
けど、これはカルチャー的な違いで、本当は家族の為に次のキツ
い仕事に入りたくないんじゃないか?」とは当然言ってくれ
ない(笑)。
なので、当然マネジャーやプロジェクトは、自分を次のキツい
プロジェクトへ誘ってくる。仕事ができれば需要は高いため
なおさらである。次のプロジェクトの人事を管理している人から
すれば当然のリクエストで、自分のプロジェクトが締め切り
間際で、優秀な人は当然欲しいわけである。すると、現プロ
ジェクトが終了し、優秀な人材がフリーになれば、もちろん
次のプロジェクトにお誘いが来る。
ここで、やはり日本のカルチャーのある我々は、一つ返事で
また2ヶ月の土日出勤を承諾してしまう。前のプロジェクトでは
同じだけ辛い仕事を会社の為にしているはずなのに、周りの外国人
達は自己主張をし、次のプロジェクトではきちんと家族と時間を
過ごせる中、この環境に置ける外国人の仕事に対する姿勢を把握して
いないため、我々はまた「仕事だからしょうがない」と土日に家に
帰らない理由を家族に伝える結果になる。海外で仕事をする上で、
我々は日本人であるから、日本人の美徳で海外でも仕事をすれば良い、
だけでは良くない場合も時にはあるのが分かっていただけるのでは
ないだろうか。
つまり、ここで自分が言いたいのは、この自己主張が前提と
されるカルチャーでは、少なくとも最低限自分の得るべく権利は
主張しなくてはいけないという事である。それは周りがみな
主張しているため、それが普通で、それをしない人は自動的に
「欲しくない」ととられるからである。これを主張することは
もちろん横柄なんかではない。
次は給料や、昇進、といったもっと競争が激しく、また
より繊細なトピックの主張の仕方を考えてみたい。今回の
家族と時間を過ごす為の主張は、だれからみても妥当な主張
であるとおもう。しかし、ここにお金や認知、政治といった
ものが絡むと、話が数段ややこしくなる。
「仕事のスマートな主張の必要性」に進む
2009年2月9日月曜日
なぜアメリカではサービス残業をしてはいけないか? Part.1
先日、会社の若いアメリカ人と残業の話になった。
そしてこの話は、自分が10年前インターンで働い
ていた時に、その時の上司に自分が言われ、覚えた事
でもある。
一言で言うと、
「サービス残業はしてはいけない」
である。
この話は、結構基本的な事で、若い頃の仕事始めに
まず学ぶ事である。
この若くしてサービス残業をする彼の意図は決して悪い
ものではない。仕事始めでいろいろ習得したい、周りに
自分の仕事を認めてほしい、ただで長い時間働こうと
良い成果を挙げたい。すべて責任感のある尊敬できる良い
理由である。
この感覚は、我々日本人の仕事に対する姿勢に似ている
ところがある。ただし、違うのは、これをやるとまず
若いうちに、やってはいけないと上司に指摘されるので
ある。なぜか?
本人がやる気があって、ただ働きでもかまわない、という
のだから、仕事をして何がいけないのだろうか? プロジェ
クトや、会社が得をするのだから、本人が進んでするので
あれば良いのではないか? と思われるかもしれない。
つまり、これはこの残業を気にしない若い彼の為を思って
言っているのであろうか?
もちろんその意味もあるが、実はこのサービス残業をして
はいけない理由はもっと深い。
ここで一つ忘れてはいけないのが、ここの仕事環境は、
サービス残業が基本は無いという環境であるという事である。
大きな仕事で、大人数が関わるプロジェクトにおいて、その
プロジェクトの効率性をきちんと管理する為には、個々の仕事
のパフォーマンス、およびタスクの難易度を正確に把握すること
がとても大事である。そのため、自分の上司に、自分の仕事の
パフォーマンスを正確に伝えるのはその人の責任でもある。
たとえば、こんな例を考えてみよう。あるひとが、仕事の速度
が10段階中7であったとしよう。その人が、なにかの理由で自
分はスピードは10であると言うとする。
本来であれば、ここでスピードが10の人が必要なプロジェクト
であれば、新しくそのタスクの要求に合う人を募集、面接、と
いったことを行なわなくてはいけない。プロジェクトにあった
人事を行なう事は大切なことである。
しかしこの場合は、上記の人が10であるという事を前提に
プロジェクトは進み、新たな面接は行なわれず、彼に10の
スピードを期待され、タスクが与えられる。
そして、時間がたち、締め切りが近づき、どうも仕事が上がって
こない。そして、プロジェクトの責任者が彼のスピードは実は10
ではなく、7であるという結論に達した時は、締め切りが間際で
この時点で新たな面接などを行なう余裕が無いことが多い。すると、
そのため誰か10のスピードの人が他のプロジェクトから緊急に、
めちゃくちゃなスケジュールでかり出され、なんとかその仕事が
あがる。この助っ人のひとと、他のプロジェクトまで影響が
およんでしまうのである。
この例において、もちろん、その10と言ってはいるものの、
実際は7であることを見抜くのも、上司の仕事である。
しかし、自分のスピードを7ではなく、10と伝えていた人
にも責任はある。
さて、ことサービス残業においては、記録の外で行なわれるため、
どれだけその人が見えない所で仕事を上げているかがモニターし
づらい。さらには、このサービス残業が行なわれない事が前提とさ
れている仕事環境では、基本はだれも記録されていない残業は行なわ
れていないと仮定され、だれも疑わない。
つまり、記録外で行なわれている労働時間は、上の仕事の速度の
例の様に、この環境においては自分のパフォーマンスを正確に
プロジェクトに伝えていない事と同意にとられるのである。
そして、記録外の労働時間により、自分のパフォーマンスを
間違って伝えてしまうと、もっと問題は深くなる。それは、その
タスクを上げるのにかかっている時間は、実際にかかっている
時間よりも短く記録されているため、そのタスクの難易度を
プロジェクトが把握しようとすると、難易度を低く見積もって
しまうのである。
その結果、もしこの類のタスクが他の人に与えられた場合、実際の
むずかしさより簡単であると見積もっているので、そのひと、および
そのタスクを見積もった人にも迷惑がかかってしまう。これらは全て、
自分のパフォーマンスを間違って伝えているという事に起因する。
自分のちょっとしたサービス残業が、プロジェクトに対してこのよう
にいろいろと影響を及ぼすのである。
もちろん、長い時間をかけてでも良い仕事を上げたいという
考えは、だれでも通る道である。しかし、プロジェクト管理
のためだけではなく、たとえばプロジェクトの後半、本当に残業
(これは実際に給料が払われる、記録上の残業)が必要な時は
本人も大変になる。記録にのこる残業が必要なキツい時に、
その上にサービス残業をしなくては自分のタスクが上がらなくなる
からである。長時間の上にサービス残業を重ね、結果疲労なども
重なり、効率も通常より下がってしまうことさえもある。
これは本人にも、プロジェクトにもよくない。
こういった理由により、自分の為にも、プロジェクトのためにも、
仕事のパフォーマンスは正確に伝える必要がある。そして記録上の
労働時間しか行なわれていないことが前提のこの環境においては、
サービス残業も自分のパフォーマンスを間違ってプロジェクトに
伝える物として、ここではやってはいけないと注意されるのである。
さて、ここまでは自分の働く環境で、一般的に言われていることで
ある。
次のPart.2では、それを少しアレンジした、自分なりの見方を
考えてみたい。
そしてこの話は、自分が10年前インターンで働い
ていた時に、その時の上司に自分が言われ、覚えた事
でもある。
一言で言うと、
「サービス残業はしてはいけない」
である。
この話は、結構基本的な事で、若い頃の仕事始めに
まず学ぶ事である。
この若くしてサービス残業をする彼の意図は決して悪い
ものではない。仕事始めでいろいろ習得したい、周りに
自分の仕事を認めてほしい、ただで長い時間働こうと
良い成果を挙げたい。すべて責任感のある尊敬できる良い
理由である。
この感覚は、我々日本人の仕事に対する姿勢に似ている
ところがある。ただし、違うのは、これをやるとまず
若いうちに、やってはいけないと上司に指摘されるので
ある。なぜか?
本人がやる気があって、ただ働きでもかまわない、という
のだから、仕事をして何がいけないのだろうか? プロジェ
クトや、会社が得をするのだから、本人が進んでするので
あれば良いのではないか? と思われるかもしれない。
つまり、これはこの残業を気にしない若い彼の為を思って
言っているのであろうか?
もちろんその意味もあるが、実はこのサービス残業をして
はいけない理由はもっと深い。
ここで一つ忘れてはいけないのが、ここの仕事環境は、
サービス残業が基本は無いという環境であるという事である。
大きな仕事で、大人数が関わるプロジェクトにおいて、その
プロジェクトの効率性をきちんと管理する為には、個々の仕事
のパフォーマンス、およびタスクの難易度を正確に把握すること
がとても大事である。そのため、自分の上司に、自分の仕事の
パフォーマンスを正確に伝えるのはその人の責任でもある。
たとえば、こんな例を考えてみよう。あるひとが、仕事の速度
が10段階中7であったとしよう。その人が、なにかの理由で自
分はスピードは10であると言うとする。
本来であれば、ここでスピードが10の人が必要なプロジェクト
であれば、新しくそのタスクの要求に合う人を募集、面接、と
いったことを行なわなくてはいけない。プロジェクトにあった
人事を行なう事は大切なことである。
しかしこの場合は、上記の人が10であるという事を前提に
プロジェクトは進み、新たな面接は行なわれず、彼に10の
スピードを期待され、タスクが与えられる。
そして、時間がたち、締め切りが近づき、どうも仕事が上がって
こない。そして、プロジェクトの責任者が彼のスピードは実は10
ではなく、7であるという結論に達した時は、締め切りが間際で
この時点で新たな面接などを行なう余裕が無いことが多い。すると、
そのため誰か10のスピードの人が他のプロジェクトから緊急に、
めちゃくちゃなスケジュールでかり出され、なんとかその仕事が
あがる。この助っ人のひとと、他のプロジェクトまで影響が
およんでしまうのである。
この例において、もちろん、その10と言ってはいるものの、
実際は7であることを見抜くのも、上司の仕事である。
しかし、自分のスピードを7ではなく、10と伝えていた人
にも責任はある。
さて、ことサービス残業においては、記録の外で行なわれるため、
どれだけその人が見えない所で仕事を上げているかがモニターし
づらい。さらには、このサービス残業が行なわれない事が前提とさ
れている仕事環境では、基本はだれも記録されていない残業は行なわ
れていないと仮定され、だれも疑わない。
つまり、記録外で行なわれている労働時間は、上の仕事の速度の
例の様に、この環境においては自分のパフォーマンスを正確に
プロジェクトに伝えていない事と同意にとられるのである。
そして、記録外の労働時間により、自分のパフォーマンスを
間違って伝えてしまうと、もっと問題は深くなる。それは、その
タスクを上げるのにかかっている時間は、実際にかかっている
時間よりも短く記録されているため、そのタスクの難易度を
プロジェクトが把握しようとすると、難易度を低く見積もって
しまうのである。
その結果、もしこの類のタスクが他の人に与えられた場合、実際の
むずかしさより簡単であると見積もっているので、そのひと、および
そのタスクを見積もった人にも迷惑がかかってしまう。これらは全て、
自分のパフォーマンスを間違って伝えているという事に起因する。
自分のちょっとしたサービス残業が、プロジェクトに対してこのよう
にいろいろと影響を及ぼすのである。
もちろん、長い時間をかけてでも良い仕事を上げたいという
考えは、だれでも通る道である。しかし、プロジェクト管理
のためだけではなく、たとえばプロジェクトの後半、本当に残業
(これは実際に給料が払われる、記録上の残業)が必要な時は
本人も大変になる。記録にのこる残業が必要なキツい時に、
その上にサービス残業をしなくては自分のタスクが上がらなくなる
からである。長時間の上にサービス残業を重ね、結果疲労なども
重なり、効率も通常より下がってしまうことさえもある。
これは本人にも、プロジェクトにもよくない。
こういった理由により、自分の為にも、プロジェクトのためにも、
仕事のパフォーマンスは正確に伝える必要がある。そして記録上の
労働時間しか行なわれていないことが前提のこの環境においては、
サービス残業も自分のパフォーマンスを間違ってプロジェクトに
伝える物として、ここではやってはいけないと注意されるのである。
さて、ここまでは自分の働く環境で、一般的に言われていることで
ある。
次のPart.2では、それを少しアレンジした、自分なりの見方を
考えてみたい。
2009年1月19日月曜日
ナポレオン・コンプレックス
先日は今年のアカデミー賞視覚効果部門のベークオフだった。
(ベークオフとは、その年の現在ノミネーション候補に
上がっている7作品の中から、ノミネーション3作品を決める
アカデミーの正式な選考会)。
さて、ベークオフの話がしたいのではなく、その会場で友達に
聞いた、こっちのカルチャーを表す面白い英語表現についてで
ある。ベークオフとは、ノミネーション候補の7作品に名前が
挙がっている代表者が、アカデミー会員にその作品の視覚効果
がいかに優れているかというプレゼンテーションをする会で
ある。つまり、そのステージに上がっている人たちは、
各映画の視覚効果全体を総括している大リーダー達である。
そのなかの一人がステージにあがり、堂々とプレゼンテーション
をしているなか、友達の一人が、彼についてぽろりとこんな表現
をした。
友達:「彼って堂々としてるけど、ナポレオン・コンプレックス
持ってるんだよね。」
自分:「ナポレオン・コンプレックスって?」
友達:「ああ、背が低くて、その分自分を証明しようと肩に力を
入れている人の事」
自分:「ふ〜ん」
そのステージ上の彼は、自分からみて少なくとも175センチはあった
ように見えた。日本人の感覚からすれば、あのような大舞台で、その
身長で、自分の業界のトップの大リーダーが堂々とスピーチしているの
に対し、「彼は背が小さいから〜」といった冗談を言う事はあまり
ないであろう。
さらには、つい最近、こんな会話を友達とした事がある。
ミーティングにおいて、言葉を発せず、みんなただ座っている
だけでも、その中のリーダは通常すぐに分かるというのである。
それは大抵その部屋の中で、身長が高く、ガタイが大きく、髪の毛が
短く(まじ)、ミーティングの中心位置に座って、堂々としている
ひとであるというのだ。あくまでこれも、この友人の個人的な意見で
あるが、いままで外国で仕事をしてきた中、自分の経験からもその
ときの反応は「うんうん」と同意であった。
もちろん例外は沢山あるが、割合的にはたしかに彼の言っていること
は一理あり、ステレオタイプ(同じ考えや態度や見方が、多くの人に
浸透している状態。wikipediaより)として言われるのはうなずける。
さらにもう一つ面白い例がある、自分の会社で、みんなが誰に
やれと指示されたわけでもないのに、同じタイミングでジムに
通いだすことがある。(というよりは、ジムに通う習慣のない
ひとが、突然ジムに通いだすことがある)。もう想像つくかも
しれないが、会社でリーダー的な仕事をやり始めると突然ジム
に通い始める人が多いのである(笑)。
なにが言いたいかというと、冗談ではなく、現在自分の生活
している環境では、「リーダー」=「背が高く、ガタイの大きい人」
というステレオタイプがある。そして、それに当てはまらないと、
ベイクオフのプレゼンの舞台に立つ人でさえ、ちょっとした
皮肉ったジョークを言われるのである。
もちろん、身長が低いから君はリーダにはできないなどと
いった話は聞いた事が無い(仮に、もしこんな事を実生活で
聞いた事が有る人は、ぜひご一報を。)
しかし、このブログの他の場所でも書いているが、自分の生活
する環境は、リーダーが束ねなくてはいけないのは、自己主張を
どんどんし、上司に肩書きがあろうと、それに見合ったカリスマ性、
威厳、実力がないとついていかないという人たちである。そんな
環境においては、風貌が、リーダーのステレオタイプにあてはまる、
物理的に「大きな」存在であることがプラスの要素である事は
あながち想像できないことではない。
さて、ベイクオフのステージの彼に話を戻す。自分の観点から
話をすると、この「ナポレオン・コンプレックス」を持つ彼は
すごいと思う。海外で仕事をしてきた自分にとって、前出の
外国人の持つ、リーダーに対するステレオタイプは自分にも
現時点であるはずである。そんな自分にとって、ステージ上の
「小さな」彼はまったく小さく見えなかった。初めに書いたが
かれは堂々とし、リーダーとしてのカリスマ性もあり、一言で
言うと「威厳」があった。ミーティングで彼が発言すればみん
なが耳を傾けるであろう。
彼の事を「ナポレオン・コンプレックス」と表現をした自分の
友人は、その大リーダーとしてのステレオタイプに当てはまら
ない彼が、振る舞い方、態度、発言によって、本当の「大きさ」
を体得していることに気づいていただろうか?
(ベークオフとは、その年の現在ノミネーション候補に
上がっている7作品の中から、ノミネーション3作品を決める
アカデミーの正式な選考会)。
さて、ベークオフの話がしたいのではなく、その会場で友達に
聞いた、こっちのカルチャーを表す面白い英語表現についてで
ある。ベークオフとは、ノミネーション候補の7作品に名前が
挙がっている代表者が、アカデミー会員にその作品の視覚効果
がいかに優れているかというプレゼンテーションをする会で
ある。つまり、そのステージに上がっている人たちは、
各映画の視覚効果全体を総括している大リーダー達である。
そのなかの一人がステージにあがり、堂々とプレゼンテーション
をしているなか、友達の一人が、彼についてぽろりとこんな表現
をした。
友達:「彼って堂々としてるけど、ナポレオン・コンプレックス
持ってるんだよね。」
自分:「ナポレオン・コンプレックスって?」
友達:「ああ、背が低くて、その分自分を証明しようと肩に力を
入れている人の事」
自分:「ふ〜ん」
そのステージ上の彼は、自分からみて少なくとも175センチはあった
ように見えた。日本人の感覚からすれば、あのような大舞台で、その
身長で、自分の業界のトップの大リーダーが堂々とスピーチしているの
に対し、「彼は背が小さいから〜」といった冗談を言う事はあまり
ないであろう。
さらには、つい最近、こんな会話を友達とした事がある。
ミーティングにおいて、言葉を発せず、みんなただ座っている
だけでも、その中のリーダは通常すぐに分かるというのである。
それは大抵その部屋の中で、身長が高く、ガタイが大きく、髪の毛が
短く(まじ)、ミーティングの中心位置に座って、堂々としている
ひとであるというのだ。あくまでこれも、この友人の個人的な意見で
あるが、いままで外国で仕事をしてきた中、自分の経験からもその
ときの反応は「うんうん」と同意であった。
もちろん例外は沢山あるが、割合的にはたしかに彼の言っていること
は一理あり、ステレオタイプ(同じ考えや態度や見方が、多くの人に
浸透している状態。wikipediaより)として言われるのはうなずける。
さらにもう一つ面白い例がある、自分の会社で、みんなが誰に
やれと指示されたわけでもないのに、同じタイミングでジムに
通いだすことがある。(というよりは、ジムに通う習慣のない
ひとが、突然ジムに通いだすことがある)。もう想像つくかも
しれないが、会社でリーダー的な仕事をやり始めると突然ジム
に通い始める人が多いのである(笑)。
なにが言いたいかというと、冗談ではなく、現在自分の生活
している環境では、「リーダー」=「背が高く、ガタイの大きい人」
というステレオタイプがある。そして、それに当てはまらないと、
ベイクオフのプレゼンの舞台に立つ人でさえ、ちょっとした
皮肉ったジョークを言われるのである。
もちろん、身長が低いから君はリーダにはできないなどと
いった話は聞いた事が無い(仮に、もしこんな事を実生活で
聞いた事が有る人は、ぜひご一報を。)
しかし、このブログの他の場所でも書いているが、自分の生活
する環境は、リーダーが束ねなくてはいけないのは、自己主張を
どんどんし、上司に肩書きがあろうと、それに見合ったカリスマ性、
威厳、実力がないとついていかないという人たちである。そんな
環境においては、風貌が、リーダーのステレオタイプにあてはまる、
物理的に「大きな」存在であることがプラスの要素である事は
あながち想像できないことではない。
さて、ベイクオフのステージの彼に話を戻す。自分の観点から
話をすると、この「ナポレオン・コンプレックス」を持つ彼は
すごいと思う。海外で仕事をしてきた自分にとって、前出の
外国人の持つ、リーダーに対するステレオタイプは自分にも
現時点であるはずである。そんな自分にとって、ステージ上の
「小さな」彼はまったく小さく見えなかった。初めに書いたが
かれは堂々とし、リーダーとしてのカリスマ性もあり、一言で
言うと「威厳」があった。ミーティングで彼が発言すればみん
なが耳を傾けるであろう。
彼の事を「ナポレオン・コンプレックス」と表現をした自分の
友人は、その大リーダーとしてのステレオタイプに当てはまら
ない彼が、振る舞い方、態度、発言によって、本当の「大きさ」
を体得していることに気づいていただろうか?
2009年1月5日月曜日
日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1
日本人と外国人とでは、おおきく仕事に対する姿勢に違いがある。
どちらが良い悪いと議論するのが目的ではないが、外国で仕事を
する以上はその違いをまず知ってく必要がある。
代表的な物を挙げると、
日本人:
* プロジェクトは言われた物に進む
* タスクは与えられた物を行なう
* 昇給は与えられた物を受ける
* 昇進は与えられた物を承諾する
* 仕事を共にする相手の、個人的な好き嫌いを会社には持ち込まない
* 上司の命令は基本的に聞く。疑問が有る場合は上司に言わず、
同僚と話す。
* 自分の生活、家族も大事であるが、仕事も大事。仕事の方が優先さ
れる場合もある。
* 仕事に対する責任感が強い。自分にまかされている仕事は、
与えられた時間内でこなせないようなものは、サービス残業して
でもこなす。
* 残業はそんなにたいそうな事ではない
* 残業をしなくては行けない場合は、サービス残業もする
* 上司が仕事をしている場合は自分も帰らない
* 部下が仕事をしている場合は自分も帰らない
外国人:
* 行きたいプロジェクトを自分で要望する
* 行ないたいタスクを自分で要望する
* 昇給交渉を自分からする
* 昇進を自分から願い出る
* 共に仕事をしたい人、したくない人を主張する
* 上司の命令を100%鵜呑みにしない、疑問があれば疑い、
上司と話し合う。
* 自分の生活、家族を仕事より優先する
* 自分の休暇の必要性を主張する
* 仕事に対する責任感はあるが、自分にまかされている仕事が、
与えられた時間内でこなせないようなものである場合は、
そのことを上司に伝え、タスクを少なくしてもらうか、
もっと人数を投入してもらう。
* 残業を嫌い、時間通りに仕事を出る
* 残業をしなくては行けない場合は、その見返りを求める
* 上司が仕事をしていようが、自分の帰る時間には帰る
* 部下が仕事をしていようが、自分が帰る時間には帰る
自分で書いていて思ったのだが、不思議なくらい姿勢が正反対である。
初めに書いたが、どちらが良い悪いと議論するのが目的ではない。
お互いにカルチャー的な背景があり、両者には両者の美徳がある。
日本のカルチャーは、勤勉で、責任感が強く、まじめに仕事に取り
組む。上下関係を尊重し、それによって組織がうまく動く。
外国のカルチャーは、自己を尊重、主張し、自分の生活を第一と
する。自分の主張をする以上は、逆に言うとそれに見合った成果を
出さなくてはいけない状況に自分を置く事になる。そういった性格
の社員をうまくまとめ、動かす組織、リーダーが存在する。
このカルチャーに起因する仕事に対する姿勢の違いはあって
当然で、両者にはそのような傾向になった、歴史的なきちんとした
理由がある。
さて、問題は、この片一方がそのカルチャーを、もう一方の
カルチャーに持ち込んだときにどうなるかである。
日本人が、日本のカルチャー下で仕事をしているのであれば、
当然日本のルールに従うのが普通である。日本人の仕事に対する
美徳は尊重されるはずである。
逆に、外国人が、外国のカルチャー下で仕事をするのであれば、
それもそこのルールに従って良いはずである。
では、日本人が、この外国のカルチャー下で仕事をする場合、
もしくは、外国人が日本のカルチャー下で仕事をする場合、
どうであろうか?
これは、きちんと両者の違いを理解し、自分に合った新しい
カルチャー下での、対応方法を考えなくてはならないであろう。
次は、仕事に対するカルチャー的な姿勢の違いを、意識せず
異国のカルチャーに持ち込むと、どのようなことが起きるかを
具体例を通して考える。
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」へ
どちらが良い悪いと議論するのが目的ではないが、外国で仕事を
する以上はその違いをまず知ってく必要がある。
代表的な物を挙げると、
日本人:
* プロジェクトは言われた物に進む
* タスクは与えられた物を行なう
* 昇給は与えられた物を受ける
* 昇進は与えられた物を承諾する
* 仕事を共にする相手の、個人的な好き嫌いを会社には持ち込まない
* 上司の命令は基本的に聞く。疑問が有る場合は上司に言わず、
同僚と話す。
* 自分の生活、家族も大事であるが、仕事も大事。仕事の方が優先さ
れる場合もある。
* 仕事に対する責任感が強い。自分にまかされている仕事は、
与えられた時間内でこなせないようなものは、サービス残業して
でもこなす。
* 残業はそんなにたいそうな事ではない
* 残業をしなくては行けない場合は、サービス残業もする
* 上司が仕事をしている場合は自分も帰らない
* 部下が仕事をしている場合は自分も帰らない
外国人:
* 行きたいプロジェクトを自分で要望する
* 行ないたいタスクを自分で要望する
* 昇給交渉を自分からする
* 昇進を自分から願い出る
* 共に仕事をしたい人、したくない人を主張する
* 上司の命令を100%鵜呑みにしない、疑問があれば疑い、
上司と話し合う。
* 自分の生活、家族を仕事より優先する
* 自分の休暇の必要性を主張する
* 仕事に対する責任感はあるが、自分にまかされている仕事が、
与えられた時間内でこなせないようなものである場合は、
そのことを上司に伝え、タスクを少なくしてもらうか、
もっと人数を投入してもらう。
* 残業を嫌い、時間通りに仕事を出る
* 残業をしなくては行けない場合は、その見返りを求める
* 上司が仕事をしていようが、自分の帰る時間には帰る
* 部下が仕事をしていようが、自分が帰る時間には帰る
自分で書いていて思ったのだが、不思議なくらい姿勢が正反対である。
初めに書いたが、どちらが良い悪いと議論するのが目的ではない。
お互いにカルチャー的な背景があり、両者には両者の美徳がある。
日本のカルチャーは、勤勉で、責任感が強く、まじめに仕事に取り
組む。上下関係を尊重し、それによって組織がうまく動く。
外国のカルチャーは、自己を尊重、主張し、自分の生活を第一と
する。自分の主張をする以上は、逆に言うとそれに見合った成果を
出さなくてはいけない状況に自分を置く事になる。そういった性格
の社員をうまくまとめ、動かす組織、リーダーが存在する。
このカルチャーに起因する仕事に対する姿勢の違いはあって
当然で、両者にはそのような傾向になった、歴史的なきちんとした
理由がある。
さて、問題は、この片一方がそのカルチャーを、もう一方の
カルチャーに持ち込んだときにどうなるかである。
日本人が、日本のカルチャー下で仕事をしているのであれば、
当然日本のルールに従うのが普通である。日本人の仕事に対する
美徳は尊重されるはずである。
逆に、外国人が、外国のカルチャー下で仕事をするのであれば、
それもそこのルールに従って良いはずである。
では、日本人が、この外国のカルチャー下で仕事をする場合、
もしくは、外国人が日本のカルチャー下で仕事をする場合、
どうであろうか?
これは、きちんと両者の違いを理解し、自分に合った新しい
カルチャー下での、対応方法を考えなくてはならないであろう。
次は、仕事に対するカルチャー的な姿勢の違いを、意識せず
異国のカルチャーに持ち込むと、どのようなことが起きるかを
具体例を通して考える。
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2006年12月30日土曜日
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