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2010年8月21日土曜日

上司の指示に同意しないときは?

この書き物はいつもに増してヘビーである。来月は大人の英語
かなあ(笑)。

欧米の仕事環境において、自分の思う優秀なリーダー達と、普通の
リーダー達の違いが顕著に現れる場面があると思う。

それは、自分の上司からの指示と、自分の意見が食い違ったときの
対応の仕方である。

まず、「立場上言う事を聞く」や、「うまく自分なりに解釈して
伝える」といったような、受け身的な対応が必要な場合も多々あると
思う。ただし今回は、欧米の文化で大事であると思う、また、自分の
ように日本の文化がバックグラウンドである場合に難しいと考える、
この上司の意見に対して何かうまく対応したい場合のことを考えたい。

自分は基本は意見を言う方なので、何か賛成できない事があると
相手が誰であろうと自分の意見をストレートに言う方であった。
「当たり前だ!」と突っ込まれそうだが、これではうまくいか
ない事の方が多い。

仕事の関係の長い、信頼関係の確立された上司ならこういった
意見をきちんと聞き、考慮してくれるのであるが、問題は仕事を
初めてするまだ信頼関係の築けていない新しい上司の場合など
である。

「あの上司、マジいけてねえ。なぜ意見を聞いてくれないん
だろう。。。耳を傾ける価値はあると思うのに。」

このような愚痴は良く聞くし、自分もいままでかなりよく
言ってきた。

長い間、何よりも重要なことは、仕事の為にとにかく正しい
ことをやるのが一番大事だと思っていた。なので上司の意見に
同意しない時は意見もする。そして、仮に自分が正しい事を
言っていると思っている時は、それを例えば上司が聞く耳を
持たない場合は、その意見を聞かない人が悪いと思っていた。
なので上のような愚痴もでる。

しかし本当の問題は、実は意見の正しさにではなく、上司に
意見を聞いてもらう為の信頼関係の築き方にあったと今では
思う。

自分の尊敬するリーダー達を観察してきて気づくのだが、
彼らはどんな上司でも、仮に初めて一緒に仕事をする相手
でも、上司の信頼を得るのが抜群にうまく、早い。

そして、この誰とでもきちんと素早く信頼関係を築くこと
ができ、上司の信頼のもとのコミュニケーションのできる
リーダーは、かなり優秀であると自分は思う。

この立ち位置にいる人であれば、仮に上司の意見に同意を
しない場合は、説得力をもった、うまい言い方で意見を
すればきちんと聞いてくれる。上司の観点から見ればこれも
明白で、自分の信頼する部下から、説得力をもって、良い
提案をされれば、当然聞く耳を持つであろう。

(もちろんその意見に同意をするかどうかは場合次第だが、
どちらにせよ、信頼関係を築いた人との対話なので、どちら
になろうと有益なディスカッションで終わる。)

仮に本当に上司が間違っていた場合は、誰でも間違えはある
わけで、上司からすれば信頼する人からのうまい指摘であり、
頼りになる部下である。

逆に、きちんと信頼関係を築いていない上司に対して意見を
すれば、それが正しいかどうかなど関係なく、単純に「いち
いち何かを言うたびに、自分の意見を言ってくる使いづらい
ヤツ」になってしまう。

悪いのは意見の内容ではなくて、その上司に対する自分の
立ち位置であったと思う。

さて、初めにも触れたが、場合によっては「立場上上司の
言う事を聞く」や、「うまく自分なりに解釈して伝える」
といったような、受け身的な対応が必要な場合もあると思
う。しかし、その対応方法しか行わないと、仕事は一緒に
したいが、表現を悪くすると「使いやすい人材」と潜在的に
思われてしまう可能性があると思う。

上のような優秀なリーダーの対応方法が出来る人は、受け身
的な対応が基本姿勢のリーダーと比べると、違う種の上司から
の信頼を得ている様な気がする。

自分の尊敬するリーダー達はこれを難なくこなしている。
言うのは簡単であるが、このスキルを身につける為には、
このブログで書いていることの総合力みたいな物が必要に
なると考える。だからこそ我々日本人には難しいと思う。

欧米の文化ではリーダーとして上司の信頼を得る為には、
良い仕事をしているだけではだめである。まず、「社交性」
「ジェントルマン」「雑談」「冗談」といった、この
ブログのいろいろな所で書いている、文化的にリーダーに
求められる人間性が備わっていなくてはならない。

そして、リーダーとしての信頼をきちんと得るためには、英語
のコミュニケーション力も相当必要である。上司の間違いを
説得力をもって否定するようなコミュニケーションには、相当
Articulation能力が必要である。

自分の生活環境で、リーダーの優秀さを見分けるには、上司の
指示が間違っていると思った場合の、その人の対応方法を観察
すると、よくわかると思うのである。

そして最後に、視点を変えると、このような優秀なリーダー
達は、信頼関係を素早く築いた後に、上司が間違っていると
思うときはバシバシ説得力のある言い方で自分の意見を言って
くる。このようなリーダー達をさらにその上でまとめる人は、
相当な強さおよび能力が無いと勤まらないことも想像できる。
これが自分の考える、我々日本人にとって、国際環境でいち
外国人として組織を率いるのが難しい大きな理由の一つである。

2010年4月5日月曜日

この状況下においてもできる奴はいる

こんな状況を想像してみてほしい。

自分の仕事環境で、自分、もしくは自分の管理するチームに与え
られたタスクがあるとする。作らなくてはならない絵のタスク
でもよいし、何かプレゼンテーションの準備でも良いし、
何かの予算の算出でも良いし、何でも良い。

そして、そのタスクには期日がある。たとえば一週間(5日間)
後が締め切りである。このタスクは、クライアントに見せなくては
ならないといった緊急のものではないとする。

そして、自分、もしくは自分のチームはそのタスクが得意で、今ま
で何度もそのタスクをこなしてきているとする。そして、それゆえ
タスクにかかる時間も大体想像でき、今回の一週間という期日は十分
な期日で、それまでに上げるのはまったく問題ないような期日である
とする。また、いままでそのタスクを期日内に上げられなかったこと
はないとする。

作業の3日目に、そのタスクの大まかな方向性が上司により
大幅変更されるとする。その結果、2日間の作業は無駄になり、
3日目にやり直しをすることとなる。この時点でまだ期日には
ぎりぎり間に合うとする。

そして、4日目には作業をするのに必要な何かツールやシステムが
壊れ、それを別の部署の誰かが修復するのに1日かかるとする。
そして、仕事に再度とりかかったのは最終日の5日目、そして夜遅
くまで残業をして取りかかったが(残業手当のある正式な残業)、
結局終わらず、期日が来る。

こういった自分達の制御外の方向性の変更や、仕事をする為に必要
な設備の問題が原因で作業が遅れる場合は、通常のタスクであれば
期日を延ばす事になる。

唯一の例外は、それがクライアントの絡んだタスクである場合で
ある。この場合は、言い訳なしでそれを上げる必要があり、無理な
場合は早めに上司に言い、もっと人員を投入する、もしくはクライ
アントミーティングを延期するなどといった応急処置をするのが
通常である。

そして、期日が来てからある情報が知らされる。

実は、その締め切りの日に、大事なクライアントミーティングが
あり、その際に自分の上司がそれをクライアントに見せる
約束をしていたことを聞くとする。

結局その日のクライアントミーティングにそのタスクは間に
合わず、上司はクライアントに謝らなくてはならず、その後
自分は上司に激怒される。

と、こんな話はよくある事で、どんな職種、職場でも同じ
ような経験をしたことがある人はいるであろう。

あるときこのような経験を自分もしたのだが、そのときの自分と
上司との会話はこんな感じであった。

上司: なんで期日に間に合わなかったんだ!

自分: かくかくしかじかが起こって

上司: であれば間に合わない可能性を俺になぜ早い段階で言わない!
お前がなにも言わないから信じていたのに。俺はクライアントに対して
約束をしていたのに!

自分: クライアントに見せる必要のあるタスクと知ってればそういう
行動をとる必要があることぐらいもちろん知っているが。。。

上司: とにかく今回のような事はこれ以降絶対に無い様に!
大事なクライアントミーティングに必要なタスクが上がらない可能性
があるときは早めに言うように。

自分: Ok(心のなかで、いや〜なにか腑に落ちない。。。)

さて、この対応は正しかったのだろうか?実は、このような言い訳を
上司にしたのはその時が初めてであった。

そのあと考えたら、やはり自分が悪い。
こういった状況で、いつも自分に言い聞かせているセリフがある。

「この状況下においてもできる奴はいる」

である。

しかしその時に限っては、いままで何度もこなしてきたタスク
であった為かわからないが、上司に責められたときに反論して
しまった。

なにかいつも自分ができている事ができない時には、自分なりに
理由があると思う。そして、その理由のせいにしたいのは人間の
心理であると思う。

しかし、思うのが、どんなに劣悪な条件によって自分がうまく
できなかったとしても、かならず

「この状況下においてもできる奴はいる」

のである。今回の件に当てはめると、たとえば:

* 大幅な変更があっても、それまでの2日間を無駄にせず、
それにきちんとすぐに対応できる仕事の仕方ができる人もいる。
実際に、自分の知り合いの中に、クライアントや上司による大幅
変更を数多く経験し、「この仕事ではクライアントの変更としては、
こういうものや、ああいうものがあり得るだろう。だからこのように
この仕事は設計し、そうすれば仮にその変更をクライアントがして
きても、すぐに対応できる」といったことができる人がいる。

* クライアントが絡んでいないか、上司に言われていなくても
自分から確認し、その情報を見つけ出し、上司の変更があった時点
で、期日に間に合わない可能性を提示し、上司にクライアントの
ミーティングを延期してもらうか、人員をもっと投入してもらうか
を要求する。

* 仕事に必要な通常の設備が故障している状況でも、それを
自分で回避してその一日を無駄にせず作業を続けられる人もいる。

結局、この状況下においても、きちんと仕事を上げられる人は
絶対にいると思う。もしくは、この状況下において、自分で
きちんと質問をし、クライアントが絡んでいることを見つけ出し、
それに対するきちんとした対応を導きだせる人も必ずいるのである。

この件は、自分に再度言い聞かせるよい機会になった。

「この状況下においてもできる奴はいる」

2009年10月31日土曜日

仕事のスマートな主張の必要性

「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」に戻る
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」に戻る


自分はいまだに上司やマネジャー、仕事仲間に繰り返し
言われる事がある。

「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の同僚や、
特に上司にアピールしたほうがいいよ。」

と。

これを初めて言われた時に思ったことは、日本人的
な感覚からして

「んん?」

であった。なぜ自分の仕事をわざわざ同僚や
上司に主張しなくてはならないのか?と思った。

仮にきちんと仕事をしているのであれば、そんな事は
他人に、ましてや上司にアピールする事ではない
だろうと。

自分の中の基本理念はこうである。仕事とは、自分が
やりがいがあり、自分で作りたい映像があり、よい仕事
をすれば、その結果により次の仕事や、よりやりがいの
ある次のタスクにつながる。

そして、結果をだしていけば、成果はいずれ自然
とついてくる。つまり、自分の仕事ぶりを、そのため
わざわざ上司やマネージャーに主張する必要など無い
はずである、といったものである。

しかし、現実はこうではない。このブログのいろいろな
ところのテーマにもなっているが、自分の生活している
環境は、個人主義で自己主張の強く、それが普通な社会
である。

自己主張の強い環境においては、少なくとも最低限自分
の得るべく権利は主張しなくては、自分の得るべくものが
得にくいという現実がある。それは周りがみな主張している
ためである。

(この読み物はその応用編で、自分の権利を自己主張の強い
社会で守る基礎は、
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」
を見てほしい。)

自分の知り合いの中には、仕事が一つ終わるたびに、
自分がこれだけの仕事をしたのだから、これだけの手柄
(休暇、給与、精進など)が欲しいと、交渉している
ひとも結構いる。

こっちのカルチャーは、自分の権利を主張することが
横柄であるという感覚はない。もし上司やマネジャー
が自分の要求した権利に同意をしなかったら、その理由を
言われ、「そうか」と話が終わるだけである。

自分の思う得るべく権利を、仮に間違っていても、主張
すること自体は問題はない。もちろん、ただただ主張する
のではなく、このタイトルにもある「スマートな」主張が
必要であるが、それはまた後の読み物で具体例を書きたい。
(ちなみに、もし度が過ぎた主張をした場合でも、あとで
「あいつあんなむちゃくちゃな要求しやがったよ」と冗談で
言われるぐらいである。さすがにそれを繰り返しするの
はまずいが。。。おそらく我々日本人的な感覚では欲しい
物を全て主張しても足りないぐらいであろう。)

「欲しい物は欲しいと言わなくてはいけない」

この一言も、自分が何度も上司やマネジャーに言われている
セリフなのだが、自分が最初にこれを言われた時はかなり
驚いた。しかしこれが自己主張の強いカルチャーの日常であり、
こっちの人はこれが普通と思っているという事実を、海外で
働く我々は認識しなくてはならないと思う。

日本人の感覚からすると、むしろ欲しいものを主張するのは
いけないことといった感覚の方が強いと思う。謙虚に、与え
られる物を頂戴するというのが我々のカルチャーであり、
美徳である。

「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」にも
書いたが、どちらが良い悪いかを議論するのが目的ではなく、
両者には文化に基づいた理由があると思う。考えなくては
ならないのは、片一方のカルチャーがもう片方に入ったときに、
いかに対応するかであると思う。

話を戻すと、「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の
同僚や、特に上司にアピールしたほうがいいよ。」という
意見は、それをみなしているよ、そうでないとここでは
損をするよ、という事実に対するアドバイスである。

同じ仕事をしている人がいるとすると、やはり自己主張
をしていない人は、それをしている人においていかれて
しまう。残念ながらこれが現実である。

みなが自分の主張をするのが普通のカルチャーにおいて
は、最低限、自分の得るべく権利を守る為に、彼らの主張
の仕方を覚える必要があるというのが現在の自分の考え方で
ある。仕組みやカルチャーが自分の権利をまもってくれない
場合は、それを守る手だてを覚えるのは自分の責任であると
思う。

そのためにも、こっちでは我々も仕事のスマートな
主張の仕方を覚えなくてはならないと思う。

次は、上の基本理念である、自己主張など気にせず、
仕事をした人が、きちんと自然と手柄を得られる
仕組みを作るための考えを書いてみたい。

2009年9月3日木曜日

社内政治が嫌い、または不得意で不快な思いをしている時に

突然だが、こんな状況を想像してみてほしい。

例えば人物Aが長年あるバーで働いており、Aはその店の
まわし方を誰よりも知っており、その店での経験は誰よりも
長く、知識も経験も豊富であるとする。いずれはそこの店長
になる事が目標で、そのポジションをうまくこなすためには
何が必要かを、いろいろ考え、勉強や努力もしている。

あるとき今の店長が店をやめる事となり、そのポジションを
引き継ぐひとを現在の社員のメンバーから決めなくてはいけ
ないとする。

そして、次期店長に選ばれたのは、「オーナーのお気に入り」
の「人気者」のBであったとする。Bは「クール」な性格で、
特に「管理職に気に入られる」様なタイプの人である。
(この上の4つのキーワードの理由は後半で説明したい。)

Aは自分の方がこの店長の仕事にBより向いていると思って
おり、なぜ自分ではないのだと、不愉快な思いをする。

さて、このAの状況に自分がいると仮定した場合、
どう思い、どういう行動をするだろうか?

このような状況で、以前自分が思い、とっていた行動は
大抵こんな感じであった。

* むかつく

* Bを選んだオーナーのせいにする、もしくは
オーナーに見る目がないと愚痴る

* Bはごますりがうまいといった趣の悪口を友達と言う。

* 自分はこの店には向いていないと考える

* 自分は社内政治に向いていないと考える

* この店は自分のことが分かっていない。こんな店で
働くのは無駄だから、店を辞める、もしくは辞めると
愚痴る。または自分と同じような境遇にいる同僚と、
そんな会社辞めた方がいいんじゃないといった会話をする。

さて、ここ数年思う事は、上のような考え方は間違って
いたということである。少なくとも、上のような考え方
よりも、より自分にとってプラスになる考え方があると
考える様になった。

このような話から自分の得た事は2つである。

一つ目は、どんな理由であり、自分が何か目指す物がある
とする。それにたどり着くための仕組みが自分の理想とは
合わない場合、どうするか。それに対する愚痴を言う、
自分には合わないとあきらめる、場所、環境が変われば
良くなると思う(これは多くの場合、結局どこに行っても
大抵の仕組みは一緒なので、その考えは現実逃避の場合が
多い)。というのが以前の自分の考え方であったが、いまの
考えはこうである。

この場において、愚痴を言うのは甘かったということである。
本当にそこを目指す価値が自分にとってあると判断し、その
仕組みが気に食わないのなら、まずはその仕組みに従い、
その流れに対応するくらいの辛抱がまずは必要である。
そして、そのときにまだ自分が仕組みが気に入らないので
あれば、自分がその仕組みを変えられる位置まで辿り着い
たら、そのときに自分の理想に変えれば良いのである。

今現在その仕組みをコントロールできる位置に居る人々は、
当然彼らにも理想があり、そこに辿り着くまでは、だれか
他の人の、自分の理想とは異なる仕組みの中で、辛抱もし、
現在その位置に居るのである。その辛抱もせずに、自分の
理想論や愚痴を言ったり、その場を逃げるのはあまいと
いうことである。

二つ目は、Bのことをごますり上手といった様な見方
をしているうちは、自分はまだ管理職になるために
必要な、いろいろな性格やスキル、人間性を備えて
いないということである。

上のBの人間性の説明は、以前の自分の見方であり、
すべて愚痴、皮肉、ひがみといった種の表現である。

しかし、上の例で、Bを「クール」と表現したのは、
言い方を変えれば大事なクライアントと対応する際に、
仕事を任せてもらう上での信頼を得る為のリーダーと
しての大切な人間性である。どんなに個人として仕事
ができても、例えばクライアントにこの人の率いる
チーム大丈夫か?と思われるようなイメージではリーダー
はつとまらない。

「人気者」と表現したのは、リーダーの立場にいる
人は、たとえばキツい仕事を受けたときに、みんなが
きついなか、その職場を自分の存在、言動により和める
ぐらいの、社交性が必要である。

「オーナーのお気に入り」とう表現をしたのは、
仕事では、各役職ごとにその仕事の性質により求め
られる人間性が異なると思う。管理職には管理職ゆえ
の仕事に対する責任があり、それをこなす上に必要な
人間性もまた異なる。「管理職に気に入られる性格」
という表現も、つまりはリーダーの立場の人からみて、
リーダーの仕事に必要な素質があるという意味でもある。

つまりは、Bのことを上のような捉え方をしているうちは、
自分は、まだまだあまかったということである。

個人としての仕事のスキルと、組織を率いるリーダー
に必要とされるスキルは全く違うと思う。このスキル
の違いの存在は一般的に広く認知されているかもしれない。

しかし、自分の様に、そのリーダーシップに必要なスキル
が備わっていない場合、その存在や必要性に気づかず、
なぜ自分がその役割を任せられないのかが分からない
ものであると思う。

自分はずいぶんと長い間こういった疑問を持っていた。
そして、自分が辿り着けないそのポジションに辿り
着く人を、上のBの説明のように、マイナスのイメージ
でとらえていたのである。

恥ずかしながら、このマイナスの考え方から抜け出すの
にずいぶんと時間がかかってしまった。この考え方が
正しいかは自分の経験がもっと増さないと分からない
だろうが、これが現時点での自分の経験から信じている、
社内政治、リーダーシップに対する考え方である。

少なくとも、以前の考え方よりは成長している
事を願う(笑)。

2009年8月16日日曜日

「ニガテ」の話 Part.1

読み物タイトルに戻る


持論の項目の一つ目は、自分がかなり愛着の深い言葉「にがて」に
ついて書いてみたい。

一般的ににがてという表現は、マイナスの見方があるといって間違い
はないと思う。自分が不得意である事、一生懸命やってもうまく
いかないこと、自分より周りの人の方がうまくできる事、上達したい
けど何らかの適正にかける事、周りの人の方が自分より上達が早い
こと、またはあなたには向いていないからやめなさいと家族や友人
に言われる事、といった定義でおそらく文句は言われないであろう。

よっぽど恵まれた人ではない限り(というか、そんな恵まれた人は
いるのであろうか?少なくとも自分の周りにはそんな人はいない)、
通常我々はいろいろな所でこの自分のにがてにぶつかる。

なぜこのにがてという言葉が自分には愛着があるかというと、
これはいままでいろいろなニガテにぶつかってきたなか、
どうすればそのニガテを克服できるかと、いろいろと試行錯誤
してきたからであると思う。

もうかなりの数のニガテに悩まされてきたなか、とにかく
それを克服する「試み」には相当の労力を費やして来たつもり
である。

もちろんその中でなんとか克服できたものもあれば、どんなに
頑張っても克服できなかったものもある。はたまた、不満足では
あれど、自分に必要な程度克服できたものも有れば、有る程度
上達して来たが労力に疲れて克服をあきらめてしまったものもある。
一つだけ言える事は、今まで(もちろん今でも)相当自分のニガテと
対面して来たつもりである。

面白い事に、克服できた、できないという事実とは別に、「ニガテ
克服の試み」を数多くやってくると、ちょっと変わった面白い
「ニガテ」の定義が見えてくるようになった気がする。この
試行錯誤を数多くこなして来たことにより見える様になったと
思う、自分が信じているこの自分なりの定義を書いてみたい。

さて、深く掘り下げるまえに、そもそもニガテを克服する必要
などあるのだろうか?苦手なことよりも、自分の得意なことを
見つけた方が良いのではないか?

これはその通りであると思う。自分の得意な物を選んだ方が
上達も早いし、理にかなっている。何か上達するのに例えば
いちいち人の3倍の時間がかかっていたら参ってしまう。
自分の適正を判断することはすごく大事な事であると思う。

しかし、適正と自分の上達したい事は残念ながら必ずしも
一致するわけではない。もちろん、自分の「これっ」と
決めた事が自分が得意であったらそんな幸運な事は無い。

しかし、この「幸運」なひとは自分が考えるにほんの一握り
ではないかと思う。なので、自分がなにか上達したい事、仕事に
したい事が、仮に自分には適正がなく、ニガテである場合や、
得意な事が見つけにくい場合はどうすれば良いのか?
このように、大半の場合は、誰でもなんらかの克服したい
ニガテが有るはずである。

そんななか、こんなことを考えてしまったことが有る人もいる
かもしれない。ニガテなことが多く、特に才能のない自分は
上達して何かをうまくなることはできるのだろうか。。。
なにかをうまくできている人は、どうせ自分には無い何か
恵まれた才能や環境、適正があるだろう。。。過去に努力
したけどうまくいかなかった自分には、また次も努力しても
どうせニガテは解決しないだろう。。。

自分もニガテの克服を意識的に試み始めた頃にこのような
事を考えていた。

ニガテと分かっていることにチャレンジすることは、それなりに
覚悟が必要であり、リスクもあると思う。例えば得意な事に
チャレンジするのは簡単である。得意なのだからうまくいく
可能性も当然高いであろう。得意であれば上達も早いし、
それを感じる事ができるため、持続のモチベーションも上げ
やすいであろう。基本は努力するだけそれに見合った上達を
するから、努力をするもの比較的苦にはならない。

逆に、ニガテなことは上達も遅いし、本当に自分はこれが最終的
にうまくなるのだろうかと、不安になるし、時間の無駄なのでは
と疑いたくもなる。頑張ってもあまり上達しないことを持続する
のはかなり難しい。端で自分が苦労していることをすいすい
上達している人をみると、かなりブルーになりやる気も無くなる。
どうせこれもうまくいかないのではないだろうか...と。

では、自分の何か上達したいことが自分が苦手だったら、運が
悪かったと思いあきらめるしかないのか。

ここで2つ自分が信じていることは、「ニガテであっても、
適正が無くても、大丈夫」と言う事、そして、ニガテなことの上達を
試みた場合、なんと得意な事に取り組んだ場合よりも、自分に有利
なことが多くあるという事である。この2つを考える様になって
からは、苦手なことの上達を試みることがあまり苦痛ではなく
なった上に、その試みがうまくいく率も昔に比べて高くなって
きたと思う。

Part.2は、具体的にニガテにまつわる自分の経験、および
上の2つのことを書いてみたい。

2009年7月24日金曜日

[読み物タイトル] 持論(自論)

この読み物は自分の信念というか、自分が現時点で
信じている自分なりの価値観を書いてみたい。

誰でも一般の流れとは少々違う見方、考え方、
捉え方があると思う。もちろんそれを妄信する
のは時には(多くの場合は?)危険であることは
重々承知しているが、逆に、時には世の中の自分
以外の全ての人間が同意しなかろうが自分の
信念を貫き通すべきである時もあるかと思う。

そんな自分なりの変わった考え方を書いてみたい。