ずいぶん前にジャグジーにおける社交性で日本人の立場から、海外で
外国人とジャグジーで出くわした時の視点を書いたが、今日面白い事
を経験した。
つい先ほど、出張先のホテルのジャグジーにつかっていると、外国人
の二人組が後から入って来た。
まだ向こうは話をしていないため、英語がどの程度出来るのか、わから
ない状況なので、こちらから軽く挨拶をし、返事が来ると明らかにアク
セントがあった。英語は母国語ではないが、日常会話には不自由のない
程度の、ヨーロッパから観光で来ている二人組だった
自分がなぜ今出張に来ているのか、向こうがどこの国の出身か、自分の
もとルームメイトが彼らと出身が同じ話や、今日はどこの観光に行った
のか、や、自分は過去に住んでいた事があるのでどこが観光に良いか
等の小話をした。
小さいジャグジーで気まずい空気は嫌なのと、そこから会話が弾み、
ひょんなところで会った異国の人達なので、なにか面白い話ができる
かと思ったのだが、話してみた結果相手が会話に乗り気ではない事が
伝わって来た。
もちろんなにか変な態度を示されたとかでは全くないのだが、
いまいち食いつきがわるい。観光で来ていて、旅先で知り合った
人と、この町の話をするのはまあ無難かとおもったのだが、
「私たちはあまりあなたと話したくはないですよ」といった気まず
さが伝わってくる。
そんな感じだったので、無理強いはせず、会話を終わらせると、なんと
その一人が自分に背を向け友達と母国語で話し始めてしまった。。。
その後はむしろ自分がそこにいるのが居心地が悪くなったので、
少し浸かったら、"Have a good night"と笑顔で言ってさっと
出てきた。
よっぽど自分が相手が話したくなくなるような態度やしゃべり方
だったのであれば話が別だが(そうでないことを願う笑)、気まず
い空気の中、早くジャグジーを出たくなってしまうようなこの対応
には、正直良い気分はしなかった。
もう英語での雑談の向上を試みて長くなるが、そこで思ったのは、
自分がアメリカに来たばかりのころの社交性の無さは、外国人にこう
映っていたんだなあ、と思った。ここまで明らかに逆の立場に立った
ことが無かったため、特にジャグジーという自分の意識していた社交の
場での事だったので、すごくそれが実感できた。同時に、これからの
時代、とくに外国を仕事の場に選ぶ場合は、こういう事を意識する
日本人が増えてほしいなあ、とも勝手ながら思った。
また、ジャグジーの例を考えると、自分もアメリカに来たばかりの頃
と比べるとずいぶんSocial skillがついたんだなあと恥ずかしげも
なく(笑)今日思ったのだが、考えるとどこかで「どん」とうまく
なった覚えは無い。
つまり新しい外国語を覚えるのや、絵が描けるようになることと一緒
で、新しい文化での雑談の上達も、基本は続けることらしい。
もちろん英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.1でも書いた
が、雑談をしている「ふり」をするのであれば色々技がある。これも
必要な場合もあるし、まったく雑談に参加できないよりは第一ステップ
としては良いと思う。しかし本当に異文化での雑談を楽しめるように
なり、自分のメインテーマでもある国際環境で強いリーダーシップを
発揮するために必要と考える、本当の雑談スキルを得るのには、どう
やら辛抱強く長く続けるのが一番の近道らしい。
ただ、その最短の道を、興味のある方には自分の間違い、経験から
このブログで紹介し続けて行きたい。
2010年10月5日火曜日
2010年9月25日土曜日
満足感は危険?
英語の「アドリブ力」のことを長い間書いているのだが、
なかなかまとまらないので、日記を書く事にした。
今日、親しい友人とキャリアオプションのようなことを、
まじめに話す機会があった。将来のことをいろいろと熱く
なって話し合い、終わってみると何か不思議な満足感があった。
晩飯のときにその事をぼ〜と考えていたのだが、ふと思った
事がある。この満足感、実は危険なのではないかと。
ちょっと話をそらすと、何かミーティングで大事な問題を
議論し合った時、会議がうまくいくと何か満足感がある事
はないだろうか?話し合っただけで、何か問題が解決した
ような気がするあの気分である。方法を決めるのは大事
だが、ミーティングで決めた事をきちんと実行するのが
もっと大事である。ミーティングで話し合っただけで解決
した気分になり、実際に何も変わらなかったという経験は
みなあるだろう。
今日の友達との話の後の気分がそれとかぶって気持ちが
悪かった。
こんなことをするぞ、と、口に出すとある種の満足感が得ら
れるため、実際の動きにブレーキがかかってしまうこともある
のではないかと思った。
なかなかまとまらないので、日記を書く事にした。
今日、親しい友人とキャリアオプションのようなことを、
まじめに話す機会があった。将来のことをいろいろと熱く
なって話し合い、終わってみると何か不思議な満足感があった。
晩飯のときにその事をぼ〜と考えていたのだが、ふと思った
事がある。この満足感、実は危険なのではないかと。
ちょっと話をそらすと、何かミーティングで大事な問題を
議論し合った時、会議がうまくいくと何か満足感がある事
はないだろうか?話し合っただけで、何か問題が解決した
ような気がするあの気分である。方法を決めるのは大事
だが、ミーティングで決めた事をきちんと実行するのが
もっと大事である。ミーティングで話し合っただけで解決
した気分になり、実際に何も変わらなかったという経験は
みなあるだろう。
今日の友達との話の後の気分がそれとかぶって気持ちが
悪かった。
こんなことをするぞ、と、口に出すとある種の満足感が得ら
れるため、実際の動きにブレーキがかかってしまうこともある
のではないかと思った。
2010年8月21日土曜日
上司の指示に同意しないときは?
この書き物はいつもに増してヘビーである。来月は大人の英語
かなあ(笑)。
欧米の仕事環境において、自分の思う優秀なリーダー達と、普通の
リーダー達の違いが顕著に現れる場面があると思う。
それは、自分の上司からの指示と、自分の意見が食い違ったときの
対応の仕方である。
まず、「立場上言う事を聞く」や、「うまく自分なりに解釈して
伝える」といったような、受け身的な対応が必要な場合も多々あると
思う。ただし今回は、欧米の文化で大事であると思う、また、自分の
ように日本の文化がバックグラウンドである場合に難しいと考える、
この上司の意見に対して何かうまく対応したい場合のことを考えたい。
自分は基本は意見を言う方なので、何か賛成できない事があると
相手が誰であろうと自分の意見をストレートに言う方であった。
「当たり前だ!」と突っ込まれそうだが、これではうまくいか
ない事の方が多い。
仕事の関係の長い、信頼関係の確立された上司ならこういった
意見をきちんと聞き、考慮してくれるのであるが、問題は仕事を
初めてするまだ信頼関係の築けていない新しい上司の場合など
である。
「あの上司、マジいけてねえ。なぜ意見を聞いてくれないん
だろう。。。耳を傾ける価値はあると思うのに。」
このような愚痴は良く聞くし、自分もいままでかなりよく
言ってきた。
長い間、何よりも重要なことは、仕事の為にとにかく正しい
ことをやるのが一番大事だと思っていた。なので上司の意見に
同意しない時は意見もする。そして、仮に自分が正しい事を
言っていると思っている時は、それを例えば上司が聞く耳を
持たない場合は、その意見を聞かない人が悪いと思っていた。
なので上のような愚痴もでる。
しかし本当の問題は、実は意見の正しさにではなく、上司に
意見を聞いてもらう為の信頼関係の築き方にあったと今では
思う。
自分の尊敬するリーダー達を観察してきて気づくのだが、
彼らはどんな上司でも、仮に初めて一緒に仕事をする相手
でも、上司の信頼を得るのが抜群にうまく、早い。
そして、この誰とでもきちんと素早く信頼関係を築くこと
ができ、上司の信頼のもとのコミュニケーションのできる
リーダーは、かなり優秀であると自分は思う。
この立ち位置にいる人であれば、仮に上司の意見に同意を
しない場合は、説得力をもった、うまい言い方で意見を
すればきちんと聞いてくれる。上司の観点から見ればこれも
明白で、自分の信頼する部下から、説得力をもって、良い
提案をされれば、当然聞く耳を持つであろう。
(もちろんその意見に同意をするかどうかは場合次第だが、
どちらにせよ、信頼関係を築いた人との対話なので、どちら
になろうと有益なディスカッションで終わる。)
仮に本当に上司が間違っていた場合は、誰でも間違えはある
わけで、上司からすれば信頼する人からのうまい指摘であり、
頼りになる部下である。
逆に、きちんと信頼関係を築いていない上司に対して意見を
すれば、それが正しいかどうかなど関係なく、単純に「いち
いち何かを言うたびに、自分の意見を言ってくる使いづらい
ヤツ」になってしまう。
悪いのは意見の内容ではなくて、その上司に対する自分の
立ち位置であったと思う。
さて、初めにも触れたが、場合によっては「立場上上司の
言う事を聞く」や、「うまく自分なりに解釈して伝える」
といったような、受け身的な対応が必要な場合もあると思
う。しかし、その対応方法しか行わないと、仕事は一緒に
したいが、表現を悪くすると「使いやすい人材」と潜在的に
思われてしまう可能性があると思う。
上のような優秀なリーダーの対応方法が出来る人は、受け身
的な対応が基本姿勢のリーダーと比べると、違う種の上司から
の信頼を得ている様な気がする。
自分の尊敬するリーダー達はこれを難なくこなしている。
言うのは簡単であるが、このスキルを身につける為には、
このブログで書いていることの総合力みたいな物が必要に
なると考える。だからこそ我々日本人には難しいと思う。
欧米の文化ではリーダーとして上司の信頼を得る為には、
良い仕事をしているだけではだめである。まず、「社交性」、
「ジェントルマン」、「雑談」、「冗談」といった、この
ブログのいろいろな所で書いている、文化的にリーダーに
求められる人間性が備わっていなくてはならない。
そして、リーダーとしての信頼をきちんと得るためには、英語
のコミュニケーション力も相当必要である。上司の間違いを
説得力をもって否定するようなコミュニケーションには、相当
のArticulation能力が必要である。
自分の生活環境で、リーダーの優秀さを見分けるには、上司の
指示が間違っていると思った場合の、その人の対応方法を観察
すると、よくわかると思うのである。
そして最後に、視点を変えると、このような優秀なリーダー
達は、信頼関係を素早く築いた後に、上司が間違っていると
思うときはバシバシ説得力のある言い方で自分の意見を言って
くる。このようなリーダー達をさらにその上でまとめる人は、
相当な強さおよび能力が無いと勤まらないことも想像できる。
これが自分の考える、我々日本人にとって、国際環境でいち
外国人として組織を率いるのが難しい大きな理由の一つである。
かなあ(笑)。
欧米の仕事環境において、自分の思う優秀なリーダー達と、普通の
リーダー達の違いが顕著に現れる場面があると思う。
それは、自分の上司からの指示と、自分の意見が食い違ったときの
対応の仕方である。
まず、「立場上言う事を聞く」や、「うまく自分なりに解釈して
伝える」といったような、受け身的な対応が必要な場合も多々あると
思う。ただし今回は、欧米の文化で大事であると思う、また、自分の
ように日本の文化がバックグラウンドである場合に難しいと考える、
この上司の意見に対して何かうまく対応したい場合のことを考えたい。
自分は基本は意見を言う方なので、何か賛成できない事があると
相手が誰であろうと自分の意見をストレートに言う方であった。
「当たり前だ!」と突っ込まれそうだが、これではうまくいか
ない事の方が多い。
仕事の関係の長い、信頼関係の確立された上司ならこういった
意見をきちんと聞き、考慮してくれるのであるが、問題は仕事を
初めてするまだ信頼関係の築けていない新しい上司の場合など
である。
「あの上司、マジいけてねえ。なぜ意見を聞いてくれないん
だろう。。。耳を傾ける価値はあると思うのに。」
このような愚痴は良く聞くし、自分もいままでかなりよく
言ってきた。
長い間、何よりも重要なことは、仕事の為にとにかく正しい
ことをやるのが一番大事だと思っていた。なので上司の意見に
同意しない時は意見もする。そして、仮に自分が正しい事を
言っていると思っている時は、それを例えば上司が聞く耳を
持たない場合は、その意見を聞かない人が悪いと思っていた。
なので上のような愚痴もでる。
しかし本当の問題は、実は意見の正しさにではなく、上司に
意見を聞いてもらう為の信頼関係の築き方にあったと今では
思う。
自分の尊敬するリーダー達を観察してきて気づくのだが、
彼らはどんな上司でも、仮に初めて一緒に仕事をする相手
でも、上司の信頼を得るのが抜群にうまく、早い。
そして、この誰とでもきちんと素早く信頼関係を築くこと
ができ、上司の信頼のもとのコミュニケーションのできる
リーダーは、かなり優秀であると自分は思う。
この立ち位置にいる人であれば、仮に上司の意見に同意を
しない場合は、説得力をもった、うまい言い方で意見を
すればきちんと聞いてくれる。上司の観点から見ればこれも
明白で、自分の信頼する部下から、説得力をもって、良い
提案をされれば、当然聞く耳を持つであろう。
(もちろんその意見に同意をするかどうかは場合次第だが、
どちらにせよ、信頼関係を築いた人との対話なので、どちら
になろうと有益なディスカッションで終わる。)
仮に本当に上司が間違っていた場合は、誰でも間違えはある
わけで、上司からすれば信頼する人からのうまい指摘であり、
頼りになる部下である。
逆に、きちんと信頼関係を築いていない上司に対して意見を
すれば、それが正しいかどうかなど関係なく、単純に「いち
いち何かを言うたびに、自分の意見を言ってくる使いづらい
ヤツ」になってしまう。
悪いのは意見の内容ではなくて、その上司に対する自分の
立ち位置であったと思う。
さて、初めにも触れたが、場合によっては「立場上上司の
言う事を聞く」や、「うまく自分なりに解釈して伝える」
といったような、受け身的な対応が必要な場合もあると思
う。しかし、その対応方法しか行わないと、仕事は一緒に
したいが、表現を悪くすると「使いやすい人材」と潜在的に
思われてしまう可能性があると思う。
上のような優秀なリーダーの対応方法が出来る人は、受け身
的な対応が基本姿勢のリーダーと比べると、違う種の上司から
の信頼を得ている様な気がする。
自分の尊敬するリーダー達はこれを難なくこなしている。
言うのは簡単であるが、このスキルを身につける為には、
このブログで書いていることの総合力みたいな物が必要に
なると考える。だからこそ我々日本人には難しいと思う。
欧米の文化ではリーダーとして上司の信頼を得る為には、
良い仕事をしているだけではだめである。まず、「社交性」、
「ジェントルマン」、「雑談」、「冗談」といった、この
ブログのいろいろな所で書いている、文化的にリーダーに
求められる人間性が備わっていなくてはならない。
そして、リーダーとしての信頼をきちんと得るためには、英語
のコミュニケーション力も相当必要である。上司の間違いを
説得力をもって否定するようなコミュニケーションには、相当
のArticulation能力が必要である。
自分の生活環境で、リーダーの優秀さを見分けるには、上司の
指示が間違っていると思った場合の、その人の対応方法を観察
すると、よくわかると思うのである。
そして最後に、視点を変えると、このような優秀なリーダー
達は、信頼関係を素早く築いた後に、上司が間違っていると
思うときはバシバシ説得力のある言い方で自分の意見を言って
くる。このようなリーダー達をさらにその上でまとめる人は、
相当な強さおよび能力が無いと勤まらないことも想像できる。
これが自分の考える、我々日本人にとって、国際環境でいち
外国人として組織を率いるのが難しい大きな理由の一つである。
2010年7月6日火曜日
海外での生活の上で日々心がけている事 Part. 2
Part.1を書いてからずいぶん時間がたったが、そろそろPart.2を
書いてみたい。
まず初めに、「海外での生活で日々心がけている事」、特にPart.2
の生活の仕方は、誰もが実践すべきであるとは思わない。これらは
海外の生活、仕事のなかで、欧米の文化を理解、吸収する必要のある
場合のことであり、特に他文化を吸収する事は容易なことではないた
め、自分の文化に少々「音痴」になるといった、ある程度の犠牲が
ついてくると思う。
なので自分の目標とすることに、その必要性があり、ある程度の
犠牲の価値がある場合のみ、この生活の仕方は意味があるかもしれ
ない。また、日本文化に少々音痴になる事が許されない立場の人も、
あまりこれらはやらない方がよいと思う(笑)。
実は最近はこの半分ぐらいしか実践していないのだが、以下が数年前
まで自分が一番欧米文化を吸収しようとしていた時期のリストである。
このリストだけ見ると、まるで日本が嫌いなのでは?と思われてしまう
かもしれないがそうではない。また、アメリカ人になりたいのか?と聞
かれたら、それも違う。
日本人が外国で上に立つ為には、その環境の文化を知る必要があり、
その為にはこの方法が一番早いと思うのである。
いまリストアップして気づいたのだが、大きくカテゴリーに分けると
(A)から(D)までの4つがある。
(A)
- 新聞、ウェブニュースは全て英語の物を読む
- 本は日本語で書いているものをいっさい読まない。
www.amazon.co.jpを使わず、必要な本はwww.amazon.comで
英語で検索して、英語の本のみを買う
- 日本語でウェブ検索せず、日本語のホームページを読まない
つまりwww.google.co.jpで日本語検索を禁止し、www.google.com
で英語検索のみをする。
(A)は単純に、英語の能力をあげる為である。初めのうちは大変だが、
最近では日本特有の情報でない限り、どの言語でも似たような情報が
手に入るため、慣れれば必要な情報は日本語を使わなくても手に入る。
自分の様に日本語で読む方が楽な人こそ、強制的に日本語での情報収集
をやめると、英語の理解力が飛躍的に上がる。
(B)
- 日本の雑誌を読まない
- 日本のテレビ番組を見ない
- 日本の娯楽全般を見ない
(B)は文化的なコミュニケーション能力をあげる為である。このブログ
のいろいろなところでも書いている様に、自分は文化的な社交性、雑談
といったものがリーダーシップの上で重要であると考えている。社交性
の中でも大事な雑談には、上のような娯楽のテーマが欠かせないため、
自分の生活環境のものを知っておくのは大事であると思う。
(C)
- 日本人とはつるまない、日本人の会合には行かない
- リトル東京、コリアタウン、チャイナタウンに行かない
- トーランスなど日本人街に行かない
- アジア人の恋人を作らない
(C)が人間関係まわりである。これは、日本人、アジア人を避けると
いうことではなく、その機会があれば、より異文化の人間関係に身を
おくというものである。(A)-(D)の4つの中でも、これが一番大事か
もしれない。(C)を実践すると、このブログに書いているようなことが
見えてくるのである。文化的に深入ったことは、やはり親密な人間関係
からしか見えてこないと思う。
(D)
- 日本のマーケットにいかない
- 日本食レストランには、外人の友達から誘われない限りは行かない
- 家で日本食は作らず、外国人の食べるパスタやステーキ等を作る
(D)はここまでやる必要があるのか?と思うような項目でもあるかも
しれないが、これはむしろ実質より意識的なもので、徹底する事に
意味があると思ってやっていた。
結局、一言で言うと、要は「日本語の分からない外国人」の生活を
するのである(笑)。
このブログを書いている理由の一つは、ここまでせずとも自分の
試行錯誤から、外国での生活をより充実させる為の経験を、必要な
人にフィードバックしたい為なのだが、それでは足りない場合は
上のようなことを実践してみてはいかがだろうか?このリストの様な
生活を全部いっきにやるとノイローゼになるので(笑)、少しずつ
取り入れてもよいかもしれない。
書いてみたい。
まず初めに、「海外での生活で日々心がけている事」、特にPart.2
の生活の仕方は、誰もが実践すべきであるとは思わない。これらは
海外の生活、仕事のなかで、欧米の文化を理解、吸収する必要のある
場合のことであり、特に他文化を吸収する事は容易なことではないた
め、自分の文化に少々「音痴」になるといった、ある程度の犠牲が
ついてくると思う。
なので自分の目標とすることに、その必要性があり、ある程度の
犠牲の価値がある場合のみ、この生活の仕方は意味があるかもしれ
ない。また、日本文化に少々音痴になる事が許されない立場の人も、
あまりこれらはやらない方がよいと思う(笑)。
実は最近はこの半分ぐらいしか実践していないのだが、以下が数年前
まで自分が一番欧米文化を吸収しようとしていた時期のリストである。
このリストだけ見ると、まるで日本が嫌いなのでは?と思われてしまう
かもしれないがそうではない。また、アメリカ人になりたいのか?と聞
かれたら、それも違う。
日本人が外国で上に立つ為には、その環境の文化を知る必要があり、
その為にはこの方法が一番早いと思うのである。
いまリストアップして気づいたのだが、大きくカテゴリーに分けると
(A)から(D)までの4つがある。
(A)
- 新聞、ウェブニュースは全て英語の物を読む
- 本は日本語で書いているものをいっさい読まない。
www.amazon.co.jpを使わず、必要な本はwww.amazon.comで
英語で検索して、英語の本のみを買う
- 日本語でウェブ検索せず、日本語のホームページを読まない
つまりwww.google.co.jpで日本語検索を禁止し、www.google.com
で英語検索のみをする。
(A)は単純に、英語の能力をあげる為である。初めのうちは大変だが、
最近では日本特有の情報でない限り、どの言語でも似たような情報が
手に入るため、慣れれば必要な情報は日本語を使わなくても手に入る。
自分の様に日本語で読む方が楽な人こそ、強制的に日本語での情報収集
をやめると、英語の理解力が飛躍的に上がる。
(B)
- 日本の雑誌を読まない
- 日本のテレビ番組を見ない
- 日本の娯楽全般を見ない
(B)は文化的なコミュニケーション能力をあげる為である。このブログ
のいろいろなところでも書いている様に、自分は文化的な社交性、雑談
といったものがリーダーシップの上で重要であると考えている。社交性
の中でも大事な雑談には、上のような娯楽のテーマが欠かせないため、
自分の生活環境のものを知っておくのは大事であると思う。
(C)
- 日本人とはつるまない、日本人の会合には行かない
- リトル東京、コリアタウン、チャイナタウンに行かない
- トーランスなど日本人街に行かない
- アジア人の恋人を作らない
(C)が人間関係まわりである。これは、日本人、アジア人を避けると
いうことではなく、その機会があれば、より異文化の人間関係に身を
おくというものである。(A)-(D)の4つの中でも、これが一番大事か
もしれない。(C)を実践すると、このブログに書いているようなことが
見えてくるのである。文化的に深入ったことは、やはり親密な人間関係
からしか見えてこないと思う。
(D)
- 日本のマーケットにいかない
- 日本食レストランには、外人の友達から誘われない限りは行かない
- 家で日本食は作らず、外国人の食べるパスタやステーキ等を作る
(D)はここまでやる必要があるのか?と思うような項目でもあるかも
しれないが、これはむしろ実質より意識的なもので、徹底する事に
意味があると思ってやっていた。
結局、一言で言うと、要は「日本語の分からない外国人」の生活を
するのである(笑)。
このブログを書いている理由の一つは、ここまでせずとも自分の
試行錯誤から、外国での生活をより充実させる為の経験を、必要な
人にフィードバックしたい為なのだが、それでは足りない場合は
上のようなことを実践してみてはいかがだろうか?このリストの様な
生活を全部いっきにやるとノイローゼになるので(笑)、少しずつ
取り入れてもよいかもしれない。
2010年6月6日日曜日
「Articulation skill」の重要性 --- Part.3 〜「聞き返してはいけない」、「言い直してはいけない」のルール
「Articulation skill」の重要性 --- Part.1
「Articulation skill」の重要性 --- Part.2
「Articulation skill」の重要性 --- Part.3は、さらにこのスキルの
定義、重要性を掘り下げて考えてみたい。
現在自分の英会話における悩みは、今まで基準にしてきたことが、
自分の必要とするコミュニケーションにおいて、間違っていたことに
気づいたことである。いままでの英語におけるコミュニケーションの
基準は、
「理解できればいい」、「伝わればいい」
であった。
たとえば、誰かと会話をしている時に、ちょっと分からないこと、
聞きそびれたたことがあれば、「ん?それどういう意味?」や、
「それってこういう意味で良いの?」、「もう一度最後の部分
繰り返してくれる?」で、仮に一度目で聞き間違えていたら解決
できる。
相手に何かうまく伝わらなかった時は、言い方を変えたり、相手が
確認のために聞き返したらもう一度きちんと説明すればよいのである。
「分からなかったら聞き返せば良い」
「伝わらなかったら言い直せば良い」
の基準で、いままで日常生活も、仕事も不自由がなかった。それゆえ、
そこから向上が必要なコミュニケーションがあるということにも、
いままで気づかなかったのだと思う。しかし、それでは色々な場面で
コミュニケーション力が足りないということに気づいた。
リーダーの仕事をしだすと、いろいろと会社のミーティングに参加
し始める。そこにいるのは、全員コミュニケーションのエキスパート
達である。そして、その場でディスカッションされる内容は、日本語
でも説明が難解なテーマも多々ある。さらには、ミーティングが重要
になればなるほど、時間に限りのある連中も集まる。
大勢の時間を拘束するミーティングにおいて、やはり会話の流れ
をコミュニケーション力不足のせいで止めるのは当然NGである。
一対一の会話とは少々様子が違ってくる。つまり、
「分からなかったら聞き返せば良い」
「伝わらなかったら言い直せば良い」
の英会話では、こういったミーティングではコミュニケーション力
不足となってしまう。説明が難解な内容を、一発で、簡潔に伝えら
れなくてはいけないのである。
「あいつをミーティングに含めると、面倒くさい」と思われたら
リーダー失格である。これではそのうち会議に呼ばれなくなって
しまうこともあるだろう。
さらには、自分の業界は、映像を言葉で伝えなくてはならないので、
余計大変である(苦笑)。これは正直、第二外国語ではかなり難しい。
現在のもっぱらのテーマは、「理解できればいい」、「伝わればいい」
の英会話から、「説明が難解な内容を、一発で、簡潔に、前準備無し
で伝える」
へ、向上する事である。当たり前のことなのだが、会社のリーダー
達はみなこれができている。これが英語の環境でリーダーに求めら
れるArticulation Skillなのである。
このスキルを意識しだしてからは、友達との会話や、レストランでの
注文など、繰り返しが許される場においても、「伝えたい事を一発で
簡潔に伝える」ことを意識するようにした。
「聞き返してはいけない」
「言い直してはいけない」
のルールを日常会話に入れるのである。そして、これらを練習する
ためには、いかに外国人と日常生活をするのが大事かということも、
書き足しておきたい。
英会話のスキルを向上したい方々には、ぜひ「聞き返してはいけない」
「言い直してはいけない」のルールを試してみてほしい。日常会話が
ある程度できる様になって来たら、早い段階で実践しだすことを
オススメする。自分の様に、長い間このArticulationを意識せず
会話をしてくると、あとでツケが回ってくると思う。
自分ももっと早くに実践していたらなあと、思う。
「Articulation上達法」へ進む
「Articulation skill」の重要性 --- Part.2
「Articulation skill」の重要性 --- Part.3は、さらにこのスキルの
定義、重要性を掘り下げて考えてみたい。
現在自分の英会話における悩みは、今まで基準にしてきたことが、
自分の必要とするコミュニケーションにおいて、間違っていたことに
気づいたことである。いままでの英語におけるコミュニケーションの
基準は、
「理解できればいい」、「伝わればいい」
であった。
たとえば、誰かと会話をしている時に、ちょっと分からないこと、
聞きそびれたたことがあれば、「ん?それどういう意味?」や、
「それってこういう意味で良いの?」、「もう一度最後の部分
繰り返してくれる?」で、仮に一度目で聞き間違えていたら解決
できる。
相手に何かうまく伝わらなかった時は、言い方を変えたり、相手が
確認のために聞き返したらもう一度きちんと説明すればよいのである。
「分からなかったら聞き返せば良い」
「伝わらなかったら言い直せば良い」
の基準で、いままで日常生活も、仕事も不自由がなかった。それゆえ、
そこから向上が必要なコミュニケーションがあるということにも、
いままで気づかなかったのだと思う。しかし、それでは色々な場面で
コミュニケーション力が足りないということに気づいた。
リーダーの仕事をしだすと、いろいろと会社のミーティングに参加
し始める。そこにいるのは、全員コミュニケーションのエキスパート
達である。そして、その場でディスカッションされる内容は、日本語
でも説明が難解なテーマも多々ある。さらには、ミーティングが重要
になればなるほど、時間に限りのある連中も集まる。
大勢の時間を拘束するミーティングにおいて、やはり会話の流れ
をコミュニケーション力不足のせいで止めるのは当然NGである。
一対一の会話とは少々様子が違ってくる。つまり、
「分からなかったら聞き返せば良い」
「伝わらなかったら言い直せば良い」
の英会話では、こういったミーティングではコミュニケーション力
不足となってしまう。説明が難解な内容を、一発で、簡潔に伝えら
れなくてはいけないのである。
「あいつをミーティングに含めると、面倒くさい」と思われたら
リーダー失格である。これではそのうち会議に呼ばれなくなって
しまうこともあるだろう。
さらには、自分の業界は、映像を言葉で伝えなくてはならないので、
余計大変である(苦笑)。これは正直、第二外国語ではかなり難しい。
現在のもっぱらのテーマは、「理解できればいい」、「伝わればいい」
の英会話から、「説明が難解な内容を、一発で、簡潔に、前準備無し
で伝える」
へ、向上する事である。当たり前のことなのだが、会社のリーダー
達はみなこれができている。これが英語の環境でリーダーに求めら
れるArticulation Skillなのである。
このスキルを意識しだしてからは、友達との会話や、レストランでの
注文など、繰り返しが許される場においても、「伝えたい事を一発で
簡潔に伝える」ことを意識するようにした。
「聞き返してはいけない」
「言い直してはいけない」
のルールを日常会話に入れるのである。そして、これらを練習する
ためには、いかに外国人と日常生活をするのが大事かということも、
書き足しておきたい。
英会話のスキルを向上したい方々には、ぜひ「聞き返してはいけない」
「言い直してはいけない」のルールを試してみてほしい。日常会話が
ある程度できる様になって来たら、早い段階で実践しだすことを
オススメする。自分の様に、長い間このArticulationを意識せず
会話をしてくると、あとでツケが回ってくると思う。
自分ももっと早くに実践していたらなあと、思う。
「Articulation上達法」へ進む
2010年4月5日月曜日
この状況下においてもできる奴はいる
こんな状況を想像してみてほしい。
自分の仕事環境で、自分、もしくは自分の管理するチームに与え
られたタスクがあるとする。作らなくてはならない絵のタスク
でもよいし、何かプレゼンテーションの準備でも良いし、
何かの予算の算出でも良いし、何でも良い。
そして、そのタスクには期日がある。たとえば一週間(5日間)
後が締め切りである。このタスクは、クライアントに見せなくては
ならないといった緊急のものではないとする。
そして、自分、もしくは自分のチームはそのタスクが得意で、今ま
で何度もそのタスクをこなしてきているとする。そして、それゆえ
タスクにかかる時間も大体想像でき、今回の一週間という期日は十分
な期日で、それまでに上げるのはまったく問題ないような期日である
とする。また、いままでそのタスクを期日内に上げられなかったこと
はないとする。
作業の3日目に、そのタスクの大まかな方向性が上司により
大幅変更されるとする。その結果、2日間の作業は無駄になり、
3日目にやり直しをすることとなる。この時点でまだ期日には
ぎりぎり間に合うとする。
そして、4日目には作業をするのに必要な何かツールやシステムが
壊れ、それを別の部署の誰かが修復するのに1日かかるとする。
そして、仕事に再度とりかかったのは最終日の5日目、そして夜遅
くまで残業をして取りかかったが(残業手当のある正式な残業)、
結局終わらず、期日が来る。
こういった自分達の制御外の方向性の変更や、仕事をする為に必要
な設備の問題が原因で作業が遅れる場合は、通常のタスクであれば
期日を延ばす事になる。
唯一の例外は、それがクライアントの絡んだタスクである場合で
ある。この場合は、言い訳なしでそれを上げる必要があり、無理な
場合は早めに上司に言い、もっと人員を投入する、もしくはクライ
アントミーティングを延期するなどといった応急処置をするのが
通常である。
そして、期日が来てからある情報が知らされる。
実は、その締め切りの日に、大事なクライアントミーティングが
あり、その際に自分の上司がそれをクライアントに見せる
約束をしていたことを聞くとする。
結局その日のクライアントミーティングにそのタスクは間に
合わず、上司はクライアントに謝らなくてはならず、その後
自分は上司に激怒される。
と、こんな話はよくある事で、どんな職種、職場でも同じ
ような経験をしたことがある人はいるであろう。
あるときこのような経験を自分もしたのだが、そのときの自分と
上司との会話はこんな感じであった。
上司: なんで期日に間に合わなかったんだ!
自分: かくかくしかじかが起こって
上司: であれば間に合わない可能性を俺になぜ早い段階で言わない!
お前がなにも言わないから信じていたのに。俺はクライアントに対して
約束をしていたのに!
自分: クライアントに見せる必要のあるタスクと知ってればそういう
行動をとる必要があることぐらいもちろん知っているが。。。
上司: とにかく今回のような事はこれ以降絶対に無い様に!
大事なクライアントミーティングに必要なタスクが上がらない可能性
があるときは早めに言うように。
自分: Ok(心のなかで、いや〜なにか腑に落ちない。。。)
さて、この対応は正しかったのだろうか?実は、このような言い訳を
上司にしたのはその時が初めてであった。
そのあと考えたら、やはり自分が悪い。
こういった状況で、いつも自分に言い聞かせているセリフがある。
「この状況下においてもできる奴はいる」
である。
しかしその時に限っては、いままで何度もこなしてきたタスク
であった為かわからないが、上司に責められたときに反論して
しまった。
なにかいつも自分ができている事ができない時には、自分なりに
理由があると思う。そして、その理由のせいにしたいのは人間の
心理であると思う。
しかし、思うのが、どんなに劣悪な条件によって自分がうまく
できなかったとしても、かならず
「この状況下においてもできる奴はいる」
のである。今回の件に当てはめると、たとえば:
* 大幅な変更があっても、それまでの2日間を無駄にせず、
それにきちんとすぐに対応できる仕事の仕方ができる人もいる。
実際に、自分の知り合いの中に、クライアントや上司による大幅
変更を数多く経験し、「この仕事ではクライアントの変更としては、
こういうものや、ああいうものがあり得るだろう。だからこのように
この仕事は設計し、そうすれば仮にその変更をクライアントがして
きても、すぐに対応できる」といったことができる人がいる。
* クライアントが絡んでいないか、上司に言われていなくても
自分から確認し、その情報を見つけ出し、上司の変更があった時点
で、期日に間に合わない可能性を提示し、上司にクライアントの
ミーティングを延期してもらうか、人員をもっと投入してもらうか
を要求する。
* 仕事に必要な通常の設備が故障している状況でも、それを
自分で回避してその一日を無駄にせず作業を続けられる人もいる。
結局、この状況下においても、きちんと仕事を上げられる人は
絶対にいると思う。もしくは、この状況下において、自分で
きちんと質問をし、クライアントが絡んでいることを見つけ出し、
それに対するきちんとした対応を導きだせる人も必ずいるのである。
この件は、自分に再度言い聞かせるよい機会になった。
「この状況下においてもできる奴はいる」
自分の仕事環境で、自分、もしくは自分の管理するチームに与え
られたタスクがあるとする。作らなくてはならない絵のタスク
でもよいし、何かプレゼンテーションの準備でも良いし、
何かの予算の算出でも良いし、何でも良い。
そして、そのタスクには期日がある。たとえば一週間(5日間)
後が締め切りである。このタスクは、クライアントに見せなくては
ならないといった緊急のものではないとする。
そして、自分、もしくは自分のチームはそのタスクが得意で、今ま
で何度もそのタスクをこなしてきているとする。そして、それゆえ
タスクにかかる時間も大体想像でき、今回の一週間という期日は十分
な期日で、それまでに上げるのはまったく問題ないような期日である
とする。また、いままでそのタスクを期日内に上げられなかったこと
はないとする。
作業の3日目に、そのタスクの大まかな方向性が上司により
大幅変更されるとする。その結果、2日間の作業は無駄になり、
3日目にやり直しをすることとなる。この時点でまだ期日には
ぎりぎり間に合うとする。
そして、4日目には作業をするのに必要な何かツールやシステムが
壊れ、それを別の部署の誰かが修復するのに1日かかるとする。
そして、仕事に再度とりかかったのは最終日の5日目、そして夜遅
くまで残業をして取りかかったが(残業手当のある正式な残業)、
結局終わらず、期日が来る。
こういった自分達の制御外の方向性の変更や、仕事をする為に必要
な設備の問題が原因で作業が遅れる場合は、通常のタスクであれば
期日を延ばす事になる。
唯一の例外は、それがクライアントの絡んだタスクである場合で
ある。この場合は、言い訳なしでそれを上げる必要があり、無理な
場合は早めに上司に言い、もっと人員を投入する、もしくはクライ
アントミーティングを延期するなどといった応急処置をするのが
通常である。
そして、期日が来てからある情報が知らされる。
実は、その締め切りの日に、大事なクライアントミーティングが
あり、その際に自分の上司がそれをクライアントに見せる
約束をしていたことを聞くとする。
結局その日のクライアントミーティングにそのタスクは間に
合わず、上司はクライアントに謝らなくてはならず、その後
自分は上司に激怒される。
と、こんな話はよくある事で、どんな職種、職場でも同じ
ような経験をしたことがある人はいるであろう。
あるときこのような経験を自分もしたのだが、そのときの自分と
上司との会話はこんな感じであった。
上司: なんで期日に間に合わなかったんだ!
自分: かくかくしかじかが起こって
上司: であれば間に合わない可能性を俺になぜ早い段階で言わない!
お前がなにも言わないから信じていたのに。俺はクライアントに対して
約束をしていたのに!
自分: クライアントに見せる必要のあるタスクと知ってればそういう
行動をとる必要があることぐらいもちろん知っているが。。。
上司: とにかく今回のような事はこれ以降絶対に無い様に!
大事なクライアントミーティングに必要なタスクが上がらない可能性
があるときは早めに言うように。
自分: Ok(心のなかで、いや〜なにか腑に落ちない。。。)
さて、この対応は正しかったのだろうか?実は、このような言い訳を
上司にしたのはその時が初めてであった。
そのあと考えたら、やはり自分が悪い。
こういった状況で、いつも自分に言い聞かせているセリフがある。
「この状況下においてもできる奴はいる」
である。
しかしその時に限っては、いままで何度もこなしてきたタスク
であった為かわからないが、上司に責められたときに反論して
しまった。
なにかいつも自分ができている事ができない時には、自分なりに
理由があると思う。そして、その理由のせいにしたいのは人間の
心理であると思う。
しかし、思うのが、どんなに劣悪な条件によって自分がうまく
できなかったとしても、かならず
「この状況下においてもできる奴はいる」
のである。今回の件に当てはめると、たとえば:
* 大幅な変更があっても、それまでの2日間を無駄にせず、
それにきちんとすぐに対応できる仕事の仕方ができる人もいる。
実際に、自分の知り合いの中に、クライアントや上司による大幅
変更を数多く経験し、「この仕事ではクライアントの変更としては、
こういうものや、ああいうものがあり得るだろう。だからこのように
この仕事は設計し、そうすれば仮にその変更をクライアントがして
きても、すぐに対応できる」といったことができる人がいる。
* クライアントが絡んでいないか、上司に言われていなくても
自分から確認し、その情報を見つけ出し、上司の変更があった時点
で、期日に間に合わない可能性を提示し、上司にクライアントの
ミーティングを延期してもらうか、人員をもっと投入してもらうか
を要求する。
* 仕事に必要な通常の設備が故障している状況でも、それを
自分で回避してその一日を無駄にせず作業を続けられる人もいる。
結局、この状況下においても、きちんと仕事を上げられる人は
絶対にいると思う。もしくは、この状況下において、自分で
きちんと質問をし、クライアントが絡んでいることを見つけ出し、
それに対するきちんとした対応を導きだせる人も必ずいるのである。
この件は、自分に再度言い聞かせるよい機会になった。
「この状況下においてもできる奴はいる」
2010年3月4日木曜日
パーティーに持っていく気の利いたプレゼント?
*自分の考えるジェントルマンシップと海外での仕事の関係に
ついてはこちらを
*欧米社会での社交性の重要性はこちらを見ていただきたい。
つい先日、仕事仲間の夫婦のホームパーティーに呼ばれた。
こんなとき、ちょっと気の利いたプレゼントを大人ぶってもって
いきたいと思ったことがあるのは自分だけではないだろう。
手っ取り早い策としては、アルコール、特にワインのボトル
かなんかを持って行くのが無難だが、それでは定番過ぎるから
いやだと考える自分は背伸びしすぎである(笑)。
このワインの、ちょっとひねったバージョンを以前友達に
教えてもらった事がある。その子は、アルコールはみんな持って
くるから、ちょっと気の利いたデザートを持って行くと、特に
パーティーを主催する人の奥さんなどがいる場合、ゲストにも
出せて喜んでくれると言っていた。
さて、今回は、もう上の技も使い過ぎて来たので、なんか他に良い
アイディアは無いかと考えていたところ、以前イギリス人の上司が、
同僚のパーティーに持って行ったプレゼントを思い出した。やはり
イギリス人はジェントルマンシップに長けているのであろうか?
よく考えると、自分の業界に、イギリス出身の上司が結構いる。
このブログでよく唱えている、ジェントルマンシップとリーダー
シップの関係も、あながち間違ってはいないのかもしれない。
話を戻すと、その上司は、数年前、今回と同じような設定で
同僚の夫婦のパーティーに参加していた。当時自分のもって
いったプレゼントは、もう察しがつくかもしれないが、ワインの
ボトルであった(苦笑)。そして、その時の上司の持っていった
プレゼントは、ちょいと気の利いたお洒落な植物であった。
そして、当時自分が関心したのは、そのプレゼントの選択だけ
ではなく、その上司は同僚の家につくと、まず同僚の男性と
握手をし、その植物は同僚の奥さんに、家のデコレーションに
つかってくださいと、渡していた。その様子を見ていて、
自分にはおもいつかね〜、と思ったのを覚えている。
さて、このブログ初の写真掲載である!

これが今回自分が持っていったパーティーギフトで、これに
リボン、そして小さなカードに、自分の名前を、
Significant Other(旦那、奥さん、彼氏、彼女の総称)がいる
場合は、"A & B"と二人の名前を入れ、完成である。
この植物をどのように同僚夫婦に渡したかは想像にお任せする(笑)。
ふりぐらいは少しサマになってきていることを願う、今日この頃
である。
「ジェントルマンリスト」に進む
この読み物のタイトルに戻る...
ついてはこちらを
*欧米社会での社交性の重要性はこちらを見ていただきたい。
つい先日、仕事仲間の夫婦のホームパーティーに呼ばれた。
こんなとき、ちょっと気の利いたプレゼントを大人ぶってもって
いきたいと思ったことがあるのは自分だけではないだろう。
手っ取り早い策としては、アルコール、特にワインのボトル
かなんかを持って行くのが無難だが、それでは定番過ぎるから
いやだと考える自分は背伸びしすぎである(笑)。
このワインの、ちょっとひねったバージョンを以前友達に
教えてもらった事がある。その子は、アルコールはみんな持って
くるから、ちょっと気の利いたデザートを持って行くと、特に
パーティーを主催する人の奥さんなどがいる場合、ゲストにも
出せて喜んでくれると言っていた。
さて、今回は、もう上の技も使い過ぎて来たので、なんか他に良い
アイディアは無いかと考えていたところ、以前イギリス人の上司が、
同僚のパーティーに持って行ったプレゼントを思い出した。やはり
イギリス人はジェントルマンシップに長けているのであろうか?
よく考えると、自分の業界に、イギリス出身の上司が結構いる。
このブログでよく唱えている、ジェントルマンシップとリーダー
シップの関係も、あながち間違ってはいないのかもしれない。
話を戻すと、その上司は、数年前、今回と同じような設定で
同僚の夫婦のパーティーに参加していた。当時自分のもって
いったプレゼントは、もう察しがつくかもしれないが、ワインの
ボトルであった(苦笑)。そして、その時の上司の持っていった
プレゼントは、ちょいと気の利いたお洒落な植物であった。
そして、当時自分が関心したのは、そのプレゼントの選択だけ
ではなく、その上司は同僚の家につくと、まず同僚の男性と
握手をし、その植物は同僚の奥さんに、家のデコレーションに
つかってくださいと、渡していた。その様子を見ていて、
自分にはおもいつかね〜、と思ったのを覚えている。
さて、このブログ初の写真掲載である!

これが今回自分が持っていったパーティーギフトで、これに
リボン、そして小さなカードに、自分の名前を、
Significant Other(旦那、奥さん、彼氏、彼女の総称)がいる
場合は、"A & B"と二人の名前を入れ、完成である。
この植物をどのように同僚夫婦に渡したかは想像にお任せする(笑)。
ふりぐらいは少しサマになってきていることを願う、今日この頃
である。
「ジェントルマンリスト」に進む
この読み物のタイトルに戻る...
2009年12月22日火曜日
「Articulation skill」の重要性 --- Part.2
「Articulation skill」の重要性 --- Part.1に戻る
Part.2は、なぜこの「Articulation Skill」が、海外で働く
上で重要であると自分が思うかを掘り下げてみたい。
まずはこんな経験を披露してみる。
仕事をする上で、過去の仕事の経験等から、自分が認めて
もらっている分野がいくつかある。例えばその分野が必要な
新しいプロジェクトが入れば、自分が相談を受けるといった
分野である。
そんななか、その分野が必要なプロジェクトに参加していた
際に、どのミーティングに参加しても自分の意見が無視される
といった経験をした。
このプロジェクトのセッティングとしては、自分の他に、同僚の
Aという存在があった。
この項目は、書き方を間違えるとAに対する愚痴に聞こえてしまう
可能性があるのだが、状況分析の為の例ととらえてほしい。
その仕事の中でのミーティングにおける会話はこんな感じである。
上司: 「で、〜についてはどう思う?どういった手法が
ベストであろうか?」
A: 「〜の方法や、〜の方法がある。」
上司: 「うん、そうか!確かにその通りだ。それは良いアイディアだ。」
自分: 「〜の方法や、〜の方法もある。こういった方法もうまくいった。」
上司: 「...」
上司: 「それでA、お前の手法についてだが、〜、〜。」
このプロジェクトにおいては、このような感じのミーティングが
自分にとって数多くあった。そして、議題は自分の過去の経験や
プロジェクトにおける実績のある分野にもかかわらずである。
ひどい場合、それでも食いついて意見をしていくと、仮に正しい
有用な意見を言っていたとしても、自分が煙たく扱われる場合さえ
ある。実際に、こういった場面に出っくわすとかなりきついし、
こたえる。いままでの自分の経験はどうなったのだ?とも思いたく
もなる。
もう分かるかもしれないが、このAと自分では、Articulation Skill
にかなり差があったのである。Aは自分の同僚の中で、このスキルが
抜群に優れていると思う。
当たり前のことかもしれないが、人は「正しい」意見より、
「正しく聞こえる」意見を聞く。人によっては「正しく聞こえる」
意見から「正しい」意見を見分けられる人もいるかもしれないが、
例えば上司がその人の専門ではない知識を部下に求めている場合は、
その見分けは難しく、やはり正しく聞こえる意見を聞くであろう。
さて、ここまでキツい状況は極端な例ではあるが、Articulation Skill
の重要さを自分が実感した良い例である。さらに極端な場合は、
仮にAが間違った意見を言っていたとしても、状況は変わらなかった。
これは正直キツい。「あの人がものを言うと、何を言っても正しく
聞こえる」という人に出会ったことがある人はいるのではないだろうか?
このように、正しいことを言っているはずなのに、議論において
負けることを経験すると、このArticulation Skillの必要性
にいやでも気づく。
自分の場合、一度のミーティングで数回このような場面に出くわ
すと、解決の足しになる経験のある人の意見を聞きたくないのなら
じゃあいいよ(大人げない。。。)、と意見をする気をなくしていた。
(これをおまえはミーティング中にフリーズすると親友や、
マネージャーに怒られる。)
そして、以前はそのArticulation Skillのある人を煙たく思ったり、
なぜ自分の意見を聞いてくれないのか、さらには間違った意見でさえ
正しいように言う方が悪い(これは実際にいかんが。。。)、などと
自分の意見を聞かない人のせいにしていた。
さて、ここで親友に一度ガツンと言われたことがある。ミーティングに
おいて、正しい意見を言い、チームをあるべく方向に導くのはリーダー
としての仕事だろう。もうそういった責任が有る以上は自分一人の
仕事ではないのだから、フリーズは許されないと。
その通りである。しかし正直、同時にその意見は「キツいなあ」とも
思った。自分なりに簡単にあきらめていたわけではないからである。
発言の仕方を色々工夫したり、Aの発言方法を見習ったり、
マネージャーに意見を聞いたり、いろいろ試したのだが、その
プロジェクトはどうしてもミーティングにおいてAの意見に
競り勝てなかった。
これはその人のArticulation Skillが極めて高かったのもあると思うし、
そのプロジェクトのその上のリーダーがそういった性格、能力を評価
し過ぎたというのもあるかもしれない。しかし、理由はどうであれ、
そのプロジェクトにおいては自分はリーダーとして失格である。
さきにも書いたが、このプロジェクトは極めて極端なケースでは
ある。全てのプロジェクト、ミーティングがここまで難易度が
高いわけではないし、ここまで競争が激しいわけでもない。
いまの自分のArticulation Skillでも通常は発言できるのだが、
こういったシビアな状況があるという事を経験できたのは、その
プロジェクトに参加した事による一番の収穫だったかもしれない。
さらには、想像するに、ポジションがより上がればもっとこういう
状況はより増えるであろう。
ちなみに、ポジションがうえであれば、うえであるほど、みんな
このArticulation Skillにかなり長けている。さらにはそこまで
上がった人々は、みな社内政治、自己アピールのスキルにも長け
ている。これからはさらに、こういった人々とミーティングを
重ねていかなくてはならないし、意見が対立した場合、議論に
勝たなくてはならない状況もある。
結局、原因は、自分のArticulation Skillの低さにあったと
思う。英語は日本人にとって第二外国語であるから難しいのは
当然だが、それももう責任が有る以上は言い訳にはならない。
仮にこういったシビアなミーティングにおいても、きちんと
プロジェクトをうまくまわす為に必要な意見を、人々に「聞かせる」
Articulation Skillを覚えなくてはならない。
最後に、いままで10年ほど、自分は英語圏における
コニュミケーション能力や生活能力を上げる為に、私生活を含め
意識的に外国人のみと生活をしてきた。にも関わらず、この
Articulation Skillの重要性に気がついたのは比較的最近である。
上のような悔しい思いをしないと気づかないからかもしれない。
また、日常生活を、何年も英語で外国人とのみしているだけでは、
苦手な人にとっては上の例のようなシビアなミーティングで、
満足いくようなArticulation Skillは身に付かなかった。
つまり、自分の様に苦手な人は、意識的にそれを上達させて
いかないと身につかないと思う。
Part.3は、上達の活路を見出す為に、英語における
Articulation skillとは、具体的にどういうスキルかを、
自分なりの定義で掘り下げてみたい。
「Articulation skill」の重要性 --- Part.3へ
Part.2は、なぜこの「Articulation Skill」が、海外で働く
上で重要であると自分が思うかを掘り下げてみたい。
まずはこんな経験を披露してみる。
仕事をする上で、過去の仕事の経験等から、自分が認めて
もらっている分野がいくつかある。例えばその分野が必要な
新しいプロジェクトが入れば、自分が相談を受けるといった
分野である。
そんななか、その分野が必要なプロジェクトに参加していた
際に、どのミーティングに参加しても自分の意見が無視される
といった経験をした。
このプロジェクトのセッティングとしては、自分の他に、同僚の
Aという存在があった。
この項目は、書き方を間違えるとAに対する愚痴に聞こえてしまう
可能性があるのだが、状況分析の為の例ととらえてほしい。
その仕事の中でのミーティングにおける会話はこんな感じである。
上司: 「で、〜についてはどう思う?どういった手法が
ベストであろうか?」
A: 「〜の方法や、〜の方法がある。」
上司: 「うん、そうか!確かにその通りだ。それは良いアイディアだ。」
自分: 「〜の方法や、〜の方法もある。こういった方法もうまくいった。」
上司: 「...」
上司: 「それでA、お前の手法についてだが、〜、〜。」
このプロジェクトにおいては、このような感じのミーティングが
自分にとって数多くあった。そして、議題は自分の過去の経験や
プロジェクトにおける実績のある分野にもかかわらずである。
ひどい場合、それでも食いついて意見をしていくと、仮に正しい
有用な意見を言っていたとしても、自分が煙たく扱われる場合さえ
ある。実際に、こういった場面に出っくわすとかなりきついし、
こたえる。いままでの自分の経験はどうなったのだ?とも思いたく
もなる。
もう分かるかもしれないが、このAと自分では、Articulation Skill
にかなり差があったのである。Aは自分の同僚の中で、このスキルが
抜群に優れていると思う。
当たり前のことかもしれないが、人は「正しい」意見より、
「正しく聞こえる」意見を聞く。人によっては「正しく聞こえる」
意見から「正しい」意見を見分けられる人もいるかもしれないが、
例えば上司がその人の専門ではない知識を部下に求めている場合は、
その見分けは難しく、やはり正しく聞こえる意見を聞くであろう。
さて、ここまでキツい状況は極端な例ではあるが、Articulation Skill
の重要さを自分が実感した良い例である。さらに極端な場合は、
仮にAが間違った意見を言っていたとしても、状況は変わらなかった。
これは正直キツい。「あの人がものを言うと、何を言っても正しく
聞こえる」という人に出会ったことがある人はいるのではないだろうか?
このように、正しいことを言っているはずなのに、議論において
負けることを経験すると、このArticulation Skillの必要性
にいやでも気づく。
自分の場合、一度のミーティングで数回このような場面に出くわ
すと、解決の足しになる経験のある人の意見を聞きたくないのなら
じゃあいいよ(大人げない。。。)、と意見をする気をなくしていた。
(これをおまえはミーティング中にフリーズすると親友や、
マネージャーに怒られる。)
そして、以前はそのArticulation Skillのある人を煙たく思ったり、
なぜ自分の意見を聞いてくれないのか、さらには間違った意見でさえ
正しいように言う方が悪い(これは実際にいかんが。。。)、などと
自分の意見を聞かない人のせいにしていた。
さて、ここで親友に一度ガツンと言われたことがある。ミーティングに
おいて、正しい意見を言い、チームをあるべく方向に導くのはリーダー
としての仕事だろう。もうそういった責任が有る以上は自分一人の
仕事ではないのだから、フリーズは許されないと。
その通りである。しかし正直、同時にその意見は「キツいなあ」とも
思った。自分なりに簡単にあきらめていたわけではないからである。
発言の仕方を色々工夫したり、Aの発言方法を見習ったり、
マネージャーに意見を聞いたり、いろいろ試したのだが、その
プロジェクトはどうしてもミーティングにおいてAの意見に
競り勝てなかった。
これはその人のArticulation Skillが極めて高かったのもあると思うし、
そのプロジェクトのその上のリーダーがそういった性格、能力を評価
し過ぎたというのもあるかもしれない。しかし、理由はどうであれ、
そのプロジェクトにおいては自分はリーダーとして失格である。
さきにも書いたが、このプロジェクトは極めて極端なケースでは
ある。全てのプロジェクト、ミーティングがここまで難易度が
高いわけではないし、ここまで競争が激しいわけでもない。
いまの自分のArticulation Skillでも通常は発言できるのだが、
こういったシビアな状況があるという事を経験できたのは、その
プロジェクトに参加した事による一番の収穫だったかもしれない。
さらには、想像するに、ポジションがより上がればもっとこういう
状況はより増えるであろう。
ちなみに、ポジションがうえであれば、うえであるほど、みんな
このArticulation Skillにかなり長けている。さらにはそこまで
上がった人々は、みな社内政治、自己アピールのスキルにも長け
ている。これからはさらに、こういった人々とミーティングを
重ねていかなくてはならないし、意見が対立した場合、議論に
勝たなくてはならない状況もある。
結局、原因は、自分のArticulation Skillの低さにあったと
思う。英語は日本人にとって第二外国語であるから難しいのは
当然だが、それももう責任が有る以上は言い訳にはならない。
仮にこういったシビアなミーティングにおいても、きちんと
プロジェクトをうまくまわす為に必要な意見を、人々に「聞かせる」
Articulation Skillを覚えなくてはならない。
最後に、いままで10年ほど、自分は英語圏における
コニュミケーション能力や生活能力を上げる為に、私生活を含め
意識的に外国人のみと生活をしてきた。にも関わらず、この
Articulation Skillの重要性に気がついたのは比較的最近である。
上のような悔しい思いをしないと気づかないからかもしれない。
また、日常生活を、何年も英語で外国人とのみしているだけでは、
苦手な人にとっては上の例のようなシビアなミーティングで、
満足いくようなArticulation Skillは身に付かなかった。
つまり、自分の様に苦手な人は、意識的にそれを上達させて
いかないと身につかないと思う。
Part.3は、上達の活路を見出す為に、英語における
Articulation skillとは、具体的にどういうスキルかを、
自分なりの定義で掘り下げてみたい。
「Articulation skill」の重要性 --- Part.3へ
2009年12月3日木曜日
「Articulation skill」の重要性 --- Part.1
いま自分の中で旬な英単語がある。
「Articulate」という単語をご存知だろうか?
自分は、ここ数年まで、接する事のない単語であった。
面白い事に、日本語にはこれに相当する単語が無い。
辞書を引くとこんな感じである。
* 英語:
Expressing oneself easily in clear and effective language
(http://www.thefreedictionary.com/articulating)
* 日本語:
〈考え・感情などを〉明瞭、効果的に表現する.
(http://ejje.weblio.jp/content/articulate)
* 自分なりの、今の生活環境にあった定義はこんな感じであると思う:
「自分のその場で思い浮かぶ考えを、瞬時に、簡潔に、誤解無く、説得力をもって、表現する」
である。
この「Articulation skill」、こっちの環境で仕事を
経験すればするほど、重要になってくる。特にこのブログ
のテーマの一つでもある、国際環境におけるリーダーシップ
においては、無いと致命傷とも言えると思う。
このことに気づくのが自分はちょっと遅かった。もっと
はやく気づきたかった。この項目を書く事により、いつか
どこかで誰かが、自分と同じことを目指した場合、自分より
早いタイミングで気づいてくれると、うれしい。
英語におけるArticulation skill、最近マネージャー
に頻繁に言われる、リーダーを目指す上で、自分が不得意で、
磨くべくスキルである。
もちろん、英語においてのコミュニケーションの時のみ
の話ではない。ただ、その重要性が、ここのカルチャーでは
さらに増すと思う。
「オバマ大統領の演説を見れば誰でもそれが重要な
ことぐらいわかるだろう?」
「そんな事はよく一般的に言われていることではないか?」
と突っ込まれそうだが、思うにこの話はもっと奥が深い。
このArticulationの話、もう1ヶ月ほど書いているのだが
いまいち表現したい事がまとまらない(文章におけるArticulate
ができていない?(笑))。書けば書くほど、書きたい事が増える。
なので細かくパートにわけ、沢山書いて行こうと思う。
Part.1は、Articulationの定義、および問題提起に
とどめておく。
Part.2は、自分の経験から、具体例を通して、なぜこれほど
に重要と感じるかを書きたいと思う。
「Articulation skill」の重要性 --- Part.2へ
「Articulate」という単語をご存知だろうか?
自分は、ここ数年まで、接する事のない単語であった。
面白い事に、日本語にはこれに相当する単語が無い。
辞書を引くとこんな感じである。
* 英語:
Expressing oneself easily in clear and effective language
(http://www.thefreedictionary.com/articulating)
* 日本語:
〈考え・感情などを〉明瞭、効果的に表現する.
(http://ejje.weblio.jp/content/articulate)
* 自分なりの、今の生活環境にあった定義はこんな感じであると思う:
「自分のその場で思い浮かぶ考えを、瞬時に、簡潔に、誤解無く、説得力をもって、表現する」
である。
この「Articulation skill」、こっちの環境で仕事を
経験すればするほど、重要になってくる。特にこのブログ
のテーマの一つでもある、国際環境におけるリーダーシップ
においては、無いと致命傷とも言えると思う。
このことに気づくのが自分はちょっと遅かった。もっと
はやく気づきたかった。この項目を書く事により、いつか
どこかで誰かが、自分と同じことを目指した場合、自分より
早いタイミングで気づいてくれると、うれしい。
英語におけるArticulation skill、最近マネージャー
に頻繁に言われる、リーダーを目指す上で、自分が不得意で、
磨くべくスキルである。
もちろん、英語においてのコミュニケーションの時のみ
の話ではない。ただ、その重要性が、ここのカルチャーでは
さらに増すと思う。
「オバマ大統領の演説を見れば誰でもそれが重要な
ことぐらいわかるだろう?」
「そんな事はよく一般的に言われていることではないか?」
と突っ込まれそうだが、思うにこの話はもっと奥が深い。
このArticulationの話、もう1ヶ月ほど書いているのだが
いまいち表現したい事がまとまらない(文章におけるArticulate
ができていない?(笑))。書けば書くほど、書きたい事が増える。
なので細かくパートにわけ、沢山書いて行こうと思う。
Part.1は、Articulationの定義、および問題提起に
とどめておく。
Part.2は、自分の経験から、具体例を通して、なぜこれほど
に重要と感じるかを書きたいと思う。
「Articulation skill」の重要性 --- Part.2へ
2009年11月5日木曜日
熱の入った外国の会議で発言していくには 〜前編
国際環境での会議はどんな感じか 〜状況説明」に戻る
国際環境の会議でなぜ発言できないか 〜現状分析」に戻る
もし自分が仮にビジネス向けの英会話スクールの
カリキュラムを組むとしたら、こんなクラスを一つ
設けると思う。
「会話の流れを意識し発言の終わりのタイミングを読む」
クラスである。
このクラスの授業では、誰かがなにか英語で物を話して
いるときに、その話している内容の詳細に注意を払うの
ではなく、その話がどのタイミングで終わりそうかを、
感覚的に予測する練習だけを繰り返しするのである。
このクラスの必要性を考える為に、
「国際環境での会議はどんな感じか 〜状況説明」
「国際環境の会議でなぜ発言できないか 〜現状分析」
を参照していただきたいのだが、いろいろな国の人の
まざる仕事場で、論議のヒートアップした会議に
参加すると、仮に自分の精通した議題のミーティングで、
英会話が得意であっても、なかなか話に参加ができない
という現象が起こる。
上の読み物に書いた通り、自分はそれが日本の
会議における発言形態と、個人の主張の強い環境に
おける会議の発言形態が異なることによると思う。
この個人の意見の強いカルチャーにおいて、複数の
人が熱の入った論議をしている様子を観察すると、
みな、とある同じタイミングで発言を始めている事に
気づく。
それは、前の人の話がまさに終わりそうというタイミング
で、次の人が自分の発言を始めているのである。これがみな
このビミョーなタイミングを、意識的か無意識か、きちんと
押さえているのである。
このタイミングがもう少し早いと、誰かの話の真っ最中に
自分が話しだすので、さすがにそれは失礼である。逆に
それがもう少し遅いと、誰か他の人がそのタイミングで
次の意見をもう言い出しているのである。
つまり、前の人が何か意見を言い終わってから自分が
話そうとすると、なかなか自分の話す機会は回ってこない
のである。
思うに我々にとって英語など母国語ではない言語での
コミュニケーションにおいては、話の内容を理解することには
通常集中するが、流れや終わりのタイミングまで意識
することは自然とはしていない事が多い。(自分だけ?)
それに気づいてからは、こんな試みを取り入れるようにした。
会社への通勤時間や、どこか目的地への車での移動時間など、
ラジオ番組のパーソナリティがゲストとなにかディスカッション
をしているものを聞く(ゲストの数が多ければ多いほど良い)。
そして、とにかくまずは話の内容ではなく、流れを聞き取る
訓練をするのである。このひとは今何の話をしていて、どの辺
で話の落ちが来そうか、や、いまは話の状況説明をしているから、
それが終わったらなにか自分の意見を言うだろうな、そして
その後がこの話の終わりであろう、といったことに集中をしてみた。
話の内容ではなく、流れに意識を移すと、以外とその話の終わりが
どの辺で来そうかといったことを予測するのはそんなに難しい
事ではなくなる。
話の流れを意識する事に慣れて来たら、これを人前でやることは
オススメはしないが(笑)、つぎはラジオ内で話している人々の会話に
参加をしてみる。誰かが話をしていると、その人の発言の
終わりを、流れを意識しながら待ち、その終わりのタイミングを
予測してその話に対してなにか意見を言ってみる。そのタイミング
が他のゲストと合えば成功である。
そして、こういった事を移動時間にやっていると、無意識的に人の
話の終わりのタイミングを想像できる様になってくる。幸運なことに、
意識さえすればこれに慣れる事は結構簡単である。
ラジオの他に、自分がよく使っていたのは、トークショーなど
テレビにおける、複数のコメディアンが熱い議論を交わしている
番組である。コメディアン各々が、テレビで自分が一番面白い事を
言わなくてはならない様子は、こっちの熱の入ったミーティングに
似ているのである。その発言のタイミングに、自分も参加できる
ようになれば、現実のミーティングにおいて、自分も発言の
タイミングがつかめる様になるのである。
参考までに、"Chelsea Lately"というコメディーのトークショー
があるのだが、そのなかの、コメディアンが数人でテーブルを囲み
冗談を言い合っているところなどが参考になる。
ちなみに、このタイミングの感覚を覚えると、日常生活における
友達との雑談も自然とうまくなる。議論の激しいミーティングほど
シビアではないが、数人の友達とわいわいとどうでもよい話をして
いるときに、会話に参加しやすくなるのである。英語における会議や
友達との会話に参加しにくい思いをした事のある場合は、考えてみると
面白い。
次回は、この発言のタイミングを読める様になってから、
外国人の会議を観察しているとさらに見えてくる、細かい
テクニックを紹介したい。
「熱の入った外国の会議で発言していくには 〜後編」へ進む
国際環境の会議でなぜ発言できないか 〜現状分析」に戻る
もし自分が仮にビジネス向けの英会話スクールの
カリキュラムを組むとしたら、こんなクラスを一つ
設けると思う。
「会話の流れを意識し発言の終わりのタイミングを読む」
クラスである。
このクラスの授業では、誰かがなにか英語で物を話して
いるときに、その話している内容の詳細に注意を払うの
ではなく、その話がどのタイミングで終わりそうかを、
感覚的に予測する練習だけを繰り返しするのである。
このクラスの必要性を考える為に、
「国際環境での会議はどんな感じか 〜状況説明」
「国際環境の会議でなぜ発言できないか 〜現状分析」
を参照していただきたいのだが、いろいろな国の人の
まざる仕事場で、論議のヒートアップした会議に
参加すると、仮に自分の精通した議題のミーティングで、
英会話が得意であっても、なかなか話に参加ができない
という現象が起こる。
上の読み物に書いた通り、自分はそれが日本の
会議における発言形態と、個人の主張の強い環境に
おける会議の発言形態が異なることによると思う。
この個人の意見の強いカルチャーにおいて、複数の
人が熱の入った論議をしている様子を観察すると、
みな、とある同じタイミングで発言を始めている事に
気づく。
それは、前の人の話がまさに終わりそうというタイミング
で、次の人が自分の発言を始めているのである。これがみな
このビミョーなタイミングを、意識的か無意識か、きちんと
押さえているのである。
このタイミングがもう少し早いと、誰かの話の真っ最中に
自分が話しだすので、さすがにそれは失礼である。逆に
それがもう少し遅いと、誰か他の人がそのタイミングで
次の意見をもう言い出しているのである。
つまり、前の人が何か意見を言い終わってから自分が
話そうとすると、なかなか自分の話す機会は回ってこない
のである。
思うに我々にとって英語など母国語ではない言語での
コミュニケーションにおいては、話の内容を理解することには
通常集中するが、流れや終わりのタイミングまで意識
することは自然とはしていない事が多い。(自分だけ?)
それに気づいてからは、こんな試みを取り入れるようにした。
会社への通勤時間や、どこか目的地への車での移動時間など、
ラジオ番組のパーソナリティがゲストとなにかディスカッション
をしているものを聞く(ゲストの数が多ければ多いほど良い)。
そして、とにかくまずは話の内容ではなく、流れを聞き取る
訓練をするのである。このひとは今何の話をしていて、どの辺
で話の落ちが来そうか、や、いまは話の状況説明をしているから、
それが終わったらなにか自分の意見を言うだろうな、そして
その後がこの話の終わりであろう、といったことに集中をしてみた。
話の内容ではなく、流れに意識を移すと、以外とその話の終わりが
どの辺で来そうかといったことを予測するのはそんなに難しい
事ではなくなる。
話の流れを意識する事に慣れて来たら、これを人前でやることは
オススメはしないが(笑)、つぎはラジオ内で話している人々の会話に
参加をしてみる。誰かが話をしていると、その人の発言の
終わりを、流れを意識しながら待ち、その終わりのタイミングを
予測してその話に対してなにか意見を言ってみる。そのタイミング
が他のゲストと合えば成功である。
そして、こういった事を移動時間にやっていると、無意識的に人の
話の終わりのタイミングを想像できる様になってくる。幸運なことに、
意識さえすればこれに慣れる事は結構簡単である。
ラジオの他に、自分がよく使っていたのは、トークショーなど
テレビにおける、複数のコメディアンが熱い議論を交わしている
番組である。コメディアン各々が、テレビで自分が一番面白い事を
言わなくてはならない様子は、こっちの熱の入ったミーティングに
似ているのである。その発言のタイミングに、自分も参加できる
ようになれば、現実のミーティングにおいて、自分も発言の
タイミングがつかめる様になるのである。
参考までに、"Chelsea Lately"というコメディーのトークショー
があるのだが、そのなかの、コメディアンが数人でテーブルを囲み
冗談を言い合っているところなどが参考になる。
ちなみに、このタイミングの感覚を覚えると、日常生活における
友達との雑談も自然とうまくなる。議論の激しいミーティングほど
シビアではないが、数人の友達とわいわいとどうでもよい話をして
いるときに、会話に参加しやすくなるのである。英語における会議や
友達との会話に参加しにくい思いをした事のある場合は、考えてみると
面白い。
次回は、この発言のタイミングを読める様になってから、
外国人の会議を観察しているとさらに見えてくる、細かい
テクニックを紹介したい。
「熱の入った外国の会議で発言していくには 〜後編」へ進む
2009年10月31日土曜日
仕事のスマートな主張の必要性
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」に戻る
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」に戻る
自分はいまだに上司やマネジャー、仕事仲間に繰り返し
言われる事がある。
「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の同僚や、
特に上司にアピールしたほうがいいよ。」
と。
これを初めて言われた時に思ったことは、日本人的
な感覚からして
「んん?」
であった。なぜ自分の仕事をわざわざ同僚や
上司に主張しなくてはならないのか?と思った。
仮にきちんと仕事をしているのであれば、そんな事は
他人に、ましてや上司にアピールする事ではない
だろうと。
自分の中の基本理念はこうである。仕事とは、自分が
やりがいがあり、自分で作りたい映像があり、よい仕事
をすれば、その結果により次の仕事や、よりやりがいの
ある次のタスクにつながる。
そして、結果をだしていけば、成果はいずれ自然
とついてくる。つまり、自分の仕事ぶりを、そのため
わざわざ上司やマネージャーに主張する必要など無い
はずである、といったものである。
しかし、現実はこうではない。このブログのいろいろな
ところのテーマにもなっているが、自分の生活している
環境は、個人主義で自己主張の強く、それが普通な社会
である。
自己主張の強い環境においては、少なくとも最低限自分
の得るべく権利は主張しなくては、自分の得るべくものが
得にくいという現実がある。それは周りがみな主張している
ためである。
(この読み物はその応用編で、自分の権利を自己主張の強い
社会で守る基礎は、
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」
を見てほしい。)
自分の知り合いの中には、仕事が一つ終わるたびに、
自分がこれだけの仕事をしたのだから、これだけの手柄
(休暇、給与、精進など)が欲しいと、交渉している
ひとも結構いる。
こっちのカルチャーは、自分の権利を主張することが
横柄であるという感覚はない。もし上司やマネジャー
が自分の要求した権利に同意をしなかったら、その理由を
言われ、「そうか」と話が終わるだけである。
自分の思う得るべく権利を、仮に間違っていても、主張
すること自体は問題はない。もちろん、ただただ主張する
のではなく、このタイトルにもある「スマートな」主張が
必要であるが、それはまた後の読み物で具体例を書きたい。
(ちなみに、もし度が過ぎた主張をした場合でも、あとで
「あいつあんなむちゃくちゃな要求しやがったよ」と冗談で
言われるぐらいである。さすがにそれを繰り返しするの
はまずいが。。。おそらく我々日本人的な感覚では欲しい
物を全て主張しても足りないぐらいであろう。)
「欲しい物は欲しいと言わなくてはいけない」
この一言も、自分が何度も上司やマネジャーに言われている
セリフなのだが、自分が最初にこれを言われた時はかなり
驚いた。しかしこれが自己主張の強いカルチャーの日常であり、
こっちの人はこれが普通と思っているという事実を、海外で
働く我々は認識しなくてはならないと思う。
日本人の感覚からすると、むしろ欲しいものを主張するのは
いけないことといった感覚の方が強いと思う。謙虚に、与え
られる物を頂戴するというのが我々のカルチャーであり、
美徳である。
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」にも
書いたが、どちらが良い悪いかを議論するのが目的ではなく、
両者には文化に基づいた理由があると思う。考えなくては
ならないのは、片一方のカルチャーがもう片方に入ったときに、
いかに対応するかであると思う。
話を戻すと、「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の
同僚や、特に上司にアピールしたほうがいいよ。」という
意見は、それをみなしているよ、そうでないとここでは
損をするよ、という事実に対するアドバイスである。
同じ仕事をしている人がいるとすると、やはり自己主張
をしていない人は、それをしている人においていかれて
しまう。残念ながらこれが現実である。
みなが自分の主張をするのが普通のカルチャーにおいて
は、最低限、自分の得るべく権利を守る為に、彼らの主張
の仕方を覚える必要があるというのが現在の自分の考え方で
ある。仕組みやカルチャーが自分の権利をまもってくれない
場合は、それを守る手だてを覚えるのは自分の責任であると
思う。
そのためにも、こっちでは我々も仕事のスマートな
主張の仕方を覚えなくてはならないと思う。
次は、上の基本理念である、自己主張など気にせず、
仕事をした人が、きちんと自然と手柄を得られる
仕組みを作るための考えを書いてみたい。
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」に戻る
自分はいまだに上司やマネジャー、仕事仲間に繰り返し
言われる事がある。
「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の同僚や、
特に上司にアピールしたほうがいいよ。」
と。
これを初めて言われた時に思ったことは、日本人的
な感覚からして
「んん?」
であった。なぜ自分の仕事をわざわざ同僚や
上司に主張しなくてはならないのか?と思った。
仮にきちんと仕事をしているのであれば、そんな事は
他人に、ましてや上司にアピールする事ではない
だろうと。
自分の中の基本理念はこうである。仕事とは、自分が
やりがいがあり、自分で作りたい映像があり、よい仕事
をすれば、その結果により次の仕事や、よりやりがいの
ある次のタスクにつながる。
そして、結果をだしていけば、成果はいずれ自然
とついてくる。つまり、自分の仕事ぶりを、そのため
わざわざ上司やマネージャーに主張する必要など無い
はずである、といったものである。
しかし、現実はこうではない。このブログのいろいろな
ところのテーマにもなっているが、自分の生活している
環境は、個人主義で自己主張の強く、それが普通な社会
である。
自己主張の強い環境においては、少なくとも最低限自分
の得るべく権利は主張しなくては、自分の得るべくものが
得にくいという現実がある。それは周りがみな主張している
ためである。
(この読み物はその応用編で、自分の権利を自己主張の強い
社会で守る基礎は、
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」
を見てほしい。)
自分の知り合いの中には、仕事が一つ終わるたびに、
自分がこれだけの仕事をしたのだから、これだけの手柄
(休暇、給与、精進など)が欲しいと、交渉している
ひとも結構いる。
こっちのカルチャーは、自分の権利を主張することが
横柄であるという感覚はない。もし上司やマネジャー
が自分の要求した権利に同意をしなかったら、その理由を
言われ、「そうか」と話が終わるだけである。
自分の思う得るべく権利を、仮に間違っていても、主張
すること自体は問題はない。もちろん、ただただ主張する
のではなく、このタイトルにもある「スマートな」主張が
必要であるが、それはまた後の読み物で具体例を書きたい。
(ちなみに、もし度が過ぎた主張をした場合でも、あとで
「あいつあんなむちゃくちゃな要求しやがったよ」と冗談で
言われるぐらいである。さすがにそれを繰り返しするの
はまずいが。。。おそらく我々日本人的な感覚では欲しい
物を全て主張しても足りないぐらいであろう。)
「欲しい物は欲しいと言わなくてはいけない」
この一言も、自分が何度も上司やマネジャーに言われている
セリフなのだが、自分が最初にこれを言われた時はかなり
驚いた。しかしこれが自己主張の強いカルチャーの日常であり、
こっちの人はこれが普通と思っているという事実を、海外で
働く我々は認識しなくてはならないと思う。
日本人の感覚からすると、むしろ欲しいものを主張するのは
いけないことといった感覚の方が強いと思う。謙虚に、与え
られる物を頂戴するというのが我々のカルチャーであり、
美徳である。
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」にも
書いたが、どちらが良い悪いかを議論するのが目的ではなく、
両者には文化に基づいた理由があると思う。考えなくては
ならないのは、片一方のカルチャーがもう片方に入ったときに、
いかに対応するかであると思う。
話を戻すと、「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の
同僚や、特に上司にアピールしたほうがいいよ。」という
意見は、それをみなしているよ、そうでないとここでは
損をするよ、という事実に対するアドバイスである。
同じ仕事をしている人がいるとすると、やはり自己主張
をしていない人は、それをしている人においていかれて
しまう。残念ながらこれが現実である。
みなが自分の主張をするのが普通のカルチャーにおいて
は、最低限、自分の得るべく権利を守る為に、彼らの主張
の仕方を覚える必要があるというのが現在の自分の考え方で
ある。仕組みやカルチャーが自分の権利をまもってくれない
場合は、それを守る手だてを覚えるのは自分の責任であると
思う。
そのためにも、こっちでは我々も仕事のスマートな
主張の仕方を覚えなくてはならないと思う。
次は、上の基本理念である、自己主張など気にせず、
仕事をした人が、きちんと自然と手柄を得られる
仕組みを作るための考えを書いてみたい。
2009年9月27日日曜日
待ち時間における社交性の極意?
「ジャグジーにおける社交性」に戻る
つい先日、昼食を会社の隣にあるカフェで買っている
ときのことである。
自分はその日のオススメのタイ風カレーをテイクアウト
用にオーダした。その日はカフェが混んでおり、そういう
日はオーダーができるまで大体10分ほどかかる。
オーダーと清算を終え、番号札をもらい、あとはレジの
先で10分ほど待つ状況である。
そんななか、後ろからカフェに会社のプロデューサーが
一人で入ってくる。彼とは何度か仕事をしており、すれ
違い様に一言、二言、程度の雑談をかわす関係ではある。
また、プロデューサーという役職上、自分より年齢は結構上
で、つまり、彼とは仕事上の関係のみで、特に仕事の外で
つるんだり、社内でよく話をするほどの仲ではない。
自分の現在居る場所と、カフェの入り口、そしてオーダー
をする場所は少し離れており、彼が入って来た時点でお互
いの存在に気づいているかいないかは微妙なところである。
現時点での自分の社交性は、この彼と自分の仕事上の親し
さ、および今のカフェでの状況で、雑談をしたら良いか、
しなくても良いのか、と、迷う程度の段階である(恥)。
もう少しカフェでの状況を説明すると、いままですれ違い
様に通常一言、二言しか話さない程度の仕事の関係の相手
と、要は10分ほど待ち時間が一緒になるのである。
もっと条件を加える(笑)。そのカフェにはレジの先の
自分の待っている場所に、お土産屋がある。その周りに
は雑誌や土産やの商品など、オーダーの待ち時間をつぶ
す為のものがいろいろとある。そして、自分はその雑誌
を読んでいた。
さらには、そのプロデューサーは待ち時間つぶしの為か、
新聞を片手に持っていた。
つまり、その時の自分の頭の中の葛藤はこうである。
このまま、距離もあるし、親しい関係ではないので、気づ
かないふりをして自分は雑誌を読み続けよう。(どうせ彼
は新聞を読むだろうし)。正直、現在のお互いの関係上、
これがそこまで失礼にあたることはないような気がする。
しかし、そのあとに残るものは、自身の社交性の無さに
対する後悔、そしてお互いの存在には気づいてはいるの
に、話をしないあのびみょーな空気をつくってしまう。
それとも、顔見知りではあるので、それは失礼で、読んで
いる雑誌をやめ、彼がオーダーをすませたらアイコンタクト
をとり、10分の雑談に臨むか、である。しかし、
現時点の自分には、正直親しくない彼との10分間の
英語での雑談はつらい。
結局、自分の目指す所は後者のため、読んでいる雑誌を
横によけ、辛い道を選ぶ(笑)。
しかし、実際におこった事はこうであった。
まず挨拶を交わし、how are you? how's it going?
から入り、彼が自分のプロジェクトの事を聞き、一言、二言、
自分が説明し、逆に自分が彼の現在のプロジェクトのことを
聞き、一言、二言、説明が帰ってくる。10分の雑談など
ではなく、ただの挨拶の延長であった。
そして、なんとそのあとは、自分はさっき読んでいた雑誌
に戻り、彼は持っていた新聞を読み始める。驚いたことに
これが全く違和感が無かったのである。
結局、自分から相手の存在に気づき、現在やっている
ことを一時中断し、アイコンタクトをとり、挨拶程度の
雑談を交わす。その行為により、お互いまた自分の
読み物に戻っても失礼でもなく、違和感も無い。顔見
知りの同士の待ち時間に気まずい空気も流れなくなる。
とても社交性のある二人の大人の行動ではないか!!!(笑)
冗談はさておき、この出来事により気づいた事は
こうである。
こういった状況において、社交性のある大人としての行動を
することは、そんなにハードルが高くないという事である。
つまりは、あまり親しくない顔見知りの人が近くにいる、
長い待ち時間における社交性を身につけるためには、
いままで自分の思っていたようなその待ち時間中ずっと
雑談をする必要はなく、その場にいる相手の存在に敬意を
はらうためのミニ雑談をするだけで良いのである。そして、
その後は、各々のやっていた事に戻ればよいのである。
こうする事により、気まずい空気も作らず、自分も大人と
しての社交性のある行動ができ、10分間親しくない人と
雑談を続けなくても良いためハードルも低い。
ちなみに、これはジャグジーにおける社交性に
書いた事と原理は同じである。それがジャグジー
だけの話ではなく、どこでも適応されるという発見
であった。
ちょっとこれから待ち時間に雑談をするのが辛い
人と会うのが楽しみになってきた(笑)。
「Social skills(社交性)はかなり大事!」の
読み物を全て表示する
つい先日、昼食を会社の隣にあるカフェで買っている
ときのことである。
自分はその日のオススメのタイ風カレーをテイクアウト
用にオーダした。その日はカフェが混んでおり、そういう
日はオーダーができるまで大体10分ほどかかる。
オーダーと清算を終え、番号札をもらい、あとはレジの
先で10分ほど待つ状況である。
そんななか、後ろからカフェに会社のプロデューサーが
一人で入ってくる。彼とは何度か仕事をしており、すれ
違い様に一言、二言、程度の雑談をかわす関係ではある。
また、プロデューサーという役職上、自分より年齢は結構上
で、つまり、彼とは仕事上の関係のみで、特に仕事の外で
つるんだり、社内でよく話をするほどの仲ではない。
自分の現在居る場所と、カフェの入り口、そしてオーダー
をする場所は少し離れており、彼が入って来た時点でお互
いの存在に気づいているかいないかは微妙なところである。
現時点での自分の社交性は、この彼と自分の仕事上の親し
さ、および今のカフェでの状況で、雑談をしたら良いか、
しなくても良いのか、と、迷う程度の段階である(恥)。
もう少しカフェでの状況を説明すると、いままですれ違い
様に通常一言、二言しか話さない程度の仕事の関係の相手
と、要は10分ほど待ち時間が一緒になるのである。
もっと条件を加える(笑)。そのカフェにはレジの先の
自分の待っている場所に、お土産屋がある。その周りに
は雑誌や土産やの商品など、オーダーの待ち時間をつぶ
す為のものがいろいろとある。そして、自分はその雑誌
を読んでいた。
さらには、そのプロデューサーは待ち時間つぶしの為か、
新聞を片手に持っていた。
つまり、その時の自分の頭の中の葛藤はこうである。
このまま、距離もあるし、親しい関係ではないので、気づ
かないふりをして自分は雑誌を読み続けよう。(どうせ彼
は新聞を読むだろうし)。正直、現在のお互いの関係上、
これがそこまで失礼にあたることはないような気がする。
しかし、そのあとに残るものは、自身の社交性の無さに
対する後悔、そしてお互いの存在には気づいてはいるの
に、話をしないあのびみょーな空気をつくってしまう。
それとも、顔見知りではあるので、それは失礼で、読んで
いる雑誌をやめ、彼がオーダーをすませたらアイコンタクト
をとり、10分の雑談に臨むか、である。しかし、
現時点の自分には、正直親しくない彼との10分間の
英語での雑談はつらい。
結局、自分の目指す所は後者のため、読んでいる雑誌を
横によけ、辛い道を選ぶ(笑)。
しかし、実際におこった事はこうであった。
まず挨拶を交わし、how are you? how's it going?
から入り、彼が自分のプロジェクトの事を聞き、一言、二言、
自分が説明し、逆に自分が彼の現在のプロジェクトのことを
聞き、一言、二言、説明が帰ってくる。10分の雑談など
ではなく、ただの挨拶の延長であった。
そして、なんとそのあとは、自分はさっき読んでいた雑誌
に戻り、彼は持っていた新聞を読み始める。驚いたことに
これが全く違和感が無かったのである。
結局、自分から相手の存在に気づき、現在やっている
ことを一時中断し、アイコンタクトをとり、挨拶程度の
雑談を交わす。その行為により、お互いまた自分の
読み物に戻っても失礼でもなく、違和感も無い。顔見
知りの同士の待ち時間に気まずい空気も流れなくなる。
とても社交性のある二人の大人の行動ではないか!!!(笑)
冗談はさておき、この出来事により気づいた事は
こうである。
こういった状況において、社交性のある大人としての行動を
することは、そんなにハードルが高くないという事である。
つまりは、あまり親しくない顔見知りの人が近くにいる、
長い待ち時間における社交性を身につけるためには、
いままで自分の思っていたようなその待ち時間中ずっと
雑談をする必要はなく、その場にいる相手の存在に敬意を
はらうためのミニ雑談をするだけで良いのである。そして、
その後は、各々のやっていた事に戻ればよいのである。
こうする事により、気まずい空気も作らず、自分も大人と
しての社交性のある行動ができ、10分間親しくない人と
雑談を続けなくても良いためハードルも低い。
ちなみに、これはジャグジーにおける社交性に
書いた事と原理は同じである。それがジャグジー
だけの話ではなく、どこでも適応されるという発見
であった。
ちょっとこれから待ち時間に雑談をするのが辛い
人と会うのが楽しみになってきた(笑)。
「Social skills(社交性)はかなり大事!」の
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2009年9月13日日曜日
ジェームズの話
まじめな英語雑談上達話や持論ネタが続いたので、
ひさしぶりにGentlemanについて書いてみたい。
自分はジェントルマンシップと、海外でのリーダー
シップには大きく関連性があると考えている。大抵
自分の尊敬するリーダー達はこのジェントルマン
シップに長けており、また、日々このジェントルマン
シップに感心させられる様な人は、その人が何らかの
リーダーのポジションを仕事等でこなしていることを、
あとから発見する場合が多い。
今回は、数年前イギリスで仕事をしていた時の、
友人ジェームズの話である。
ジェームズはイギリス人で、奥さんはアメリカ人
である。二人は長い間アメリカで生活をしており、
自分が知り合った数ヶ月前に、アメリカからイギリス
のジェームズの故郷に住居を移した所であった。
つまり、ジェームズにしてみれば自分の故郷であり、
文化も、知り合いも、慣れ親しんだ環境である。
逆に、彼の奥さんからしていえば、自分の慣れた
アメリカのカルチャー、それまでの生活環境や交友
関係など、すべてから離れたばかりの状況である。
また、そもそもイギリスに住居を移した理由が、
ジェームズの仕事の為、仕事環境の知り合いも
全てジェームズの人間関係である。彼の奥さんは
自分が知り合った時点ではまだ新しい地で仕事を
はじめておらず、本人の仕事上の人間関係もできる
前であった。よって、ジェームズの奥さんはかなり
ホームシックになり始めている時期であった。
そんななか、ジェームズの奥さんの誕生日が訪れる。
その日仕事のあとジェームズとおちあい、彼の家に
バースデーを祝いに行く途中、ちょっと途中でピック
アップしなくてはならない友人がいるという。
自分は誕生日なので何とも思わず、ジェームズと
市内にあるアパートに乗り付け、そこでジェームズの
友達のベッカをピックアップする。
そして、ジェームズと、ベッカと自分の3人で、
バースデー会場であるジェームズの家につく。
我々3人は家の中に入り、ジェームズはキッチンにいる
奥さんに後ろから声をかける。そして振り返ったジェームズ
の奥さんは、半分悲鳴のような声を上げ、「ベッカ!
何であなたがここにいるの?!?!」と。なんだか
アメリカドラマのいちシーンの様であった(笑)。
なんとこのベッカは、アメリカに住んでいるはずの、
ジェームズの奥さんの大親友であったのである!しかも
この日の数日前に、ジェームズの計らいの一部として、
わざわざベッカに出発前に奥さんに国際電話をしてもらい、
アメリカからかかっているという電話の着信もつけ、
さらにはホームシックの話や今年の誕生日にはベッカが
参加できないといった趣旨の話をしてもらうといった
までの下準備をしていたのである。本当に手の込んだ
サプライズである。
ジェームズからホームシックになっている奥さんへの
サプライズバースデープレゼントは、遠いアメリカにいる
奥さんの一番の親友を、イギリスに誘い遊びに来てもらう
為のセットアップとその旅費だったのである!
このサプライズの種明かしは、自分は事前にベッカを
ピックアップした時点で聞いていた為、奥さんほどの驚きは
無かったが、その話を車で二人から聞いたときに、ジェームズ
の気遣いにはかなり驚いた。
もう察しがつくかもしれないが、ジェームズは自分の尊敬
する上司の一人である。
「パーティーに持っていく気の利いたプレゼント?」に進む
この読み物のタイトルに戻る...
ひさしぶりにGentlemanについて書いてみたい。
自分はジェントルマンシップと、海外でのリーダー
シップには大きく関連性があると考えている。大抵
自分の尊敬するリーダー達はこのジェントルマン
シップに長けており、また、日々このジェントルマン
シップに感心させられる様な人は、その人が何らかの
リーダーのポジションを仕事等でこなしていることを、
あとから発見する場合が多い。
今回は、数年前イギリスで仕事をしていた時の、
友人ジェームズの話である。
ジェームズはイギリス人で、奥さんはアメリカ人
である。二人は長い間アメリカで生活をしており、
自分が知り合った数ヶ月前に、アメリカからイギリス
のジェームズの故郷に住居を移した所であった。
つまり、ジェームズにしてみれば自分の故郷であり、
文化も、知り合いも、慣れ親しんだ環境である。
逆に、彼の奥さんからしていえば、自分の慣れた
アメリカのカルチャー、それまでの生活環境や交友
関係など、すべてから離れたばかりの状況である。
また、そもそもイギリスに住居を移した理由が、
ジェームズの仕事の為、仕事環境の知り合いも
全てジェームズの人間関係である。彼の奥さんは
自分が知り合った時点ではまだ新しい地で仕事を
はじめておらず、本人の仕事上の人間関係もできる
前であった。よって、ジェームズの奥さんはかなり
ホームシックになり始めている時期であった。
そんななか、ジェームズの奥さんの誕生日が訪れる。
その日仕事のあとジェームズとおちあい、彼の家に
バースデーを祝いに行く途中、ちょっと途中でピック
アップしなくてはならない友人がいるという。
自分は誕生日なので何とも思わず、ジェームズと
市内にあるアパートに乗り付け、そこでジェームズの
友達のベッカをピックアップする。
そして、ジェームズと、ベッカと自分の3人で、
バースデー会場であるジェームズの家につく。
我々3人は家の中に入り、ジェームズはキッチンにいる
奥さんに後ろから声をかける。そして振り返ったジェームズ
の奥さんは、半分悲鳴のような声を上げ、「ベッカ!
何であなたがここにいるの?!?!」と。なんだか
アメリカドラマのいちシーンの様であった(笑)。
なんとこのベッカは、アメリカに住んでいるはずの、
ジェームズの奥さんの大親友であったのである!しかも
この日の数日前に、ジェームズの計らいの一部として、
わざわざベッカに出発前に奥さんに国際電話をしてもらい、
アメリカからかかっているという電話の着信もつけ、
さらにはホームシックの話や今年の誕生日にはベッカが
参加できないといった趣旨の話をしてもらうといった
までの下準備をしていたのである。本当に手の込んだ
サプライズである。
ジェームズからホームシックになっている奥さんへの
サプライズバースデープレゼントは、遠いアメリカにいる
奥さんの一番の親友を、イギリスに誘い遊びに来てもらう
為のセットアップとその旅費だったのである!
このサプライズの種明かしは、自分は事前にベッカを
ピックアップした時点で聞いていた為、奥さんほどの驚きは
無かったが、その話を車で二人から聞いたときに、ジェームズ
の気遣いにはかなり驚いた。
もう察しがつくかもしれないが、ジェームズは自分の尊敬
する上司の一人である。
「パーティーに持っていく気の利いたプレゼント?」に進む
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2009年9月3日木曜日
社内政治が嫌い、または不得意で不快な思いをしている時に
突然だが、こんな状況を想像してみてほしい。
例えば人物Aが長年あるバーで働いており、Aはその店の
まわし方を誰よりも知っており、その店での経験は誰よりも
長く、知識も経験も豊富であるとする。いずれはそこの店長
になる事が目標で、そのポジションをうまくこなすためには
何が必要かを、いろいろ考え、勉強や努力もしている。
あるとき今の店長が店をやめる事となり、そのポジションを
引き継ぐひとを現在の社員のメンバーから決めなくてはいけ
ないとする。
そして、次期店長に選ばれたのは、「オーナーのお気に入り」
の「人気者」のBであったとする。Bは「クール」な性格で、
特に「管理職に気に入られる」様なタイプの人である。
(この上の4つのキーワードの理由は後半で説明したい。)
Aは自分の方がこの店長の仕事にBより向いていると思って
おり、なぜ自分ではないのだと、不愉快な思いをする。
さて、このAの状況に自分がいると仮定した場合、
どう思い、どういう行動をするだろうか?
このような状況で、以前自分が思い、とっていた行動は
大抵こんな感じであった。
* むかつく
* Bを選んだオーナーのせいにする、もしくは
オーナーに見る目がないと愚痴る
* Bはごますりがうまいといった趣の悪口を友達と言う。
* 自分はこの店には向いていないと考える
* 自分は社内政治に向いていないと考える
* この店は自分のことが分かっていない。こんな店で
働くのは無駄だから、店を辞める、もしくは辞めると
愚痴る。または自分と同じような境遇にいる同僚と、
そんな会社辞めた方がいいんじゃないといった会話をする。
さて、ここ数年思う事は、上のような考え方は間違って
いたということである。少なくとも、上のような考え方
よりも、より自分にとってプラスになる考え方があると
考える様になった。
このような話から自分の得た事は2つである。
一つ目は、どんな理由であり、自分が何か目指す物がある
とする。それにたどり着くための仕組みが自分の理想とは
合わない場合、どうするか。それに対する愚痴を言う、
自分には合わないとあきらめる、場所、環境が変われば
良くなると思う(これは多くの場合、結局どこに行っても
大抵の仕組みは一緒なので、その考えは現実逃避の場合が
多い)。というのが以前の自分の考え方であったが、いまの
考えはこうである。
この場において、愚痴を言うのは甘かったということである。
本当にそこを目指す価値が自分にとってあると判断し、その
仕組みが気に食わないのなら、まずはその仕組みに従い、
その流れに対応するくらいの辛抱がまずは必要である。
そして、そのときにまだ自分が仕組みが気に入らないので
あれば、自分がその仕組みを変えられる位置まで辿り着い
たら、そのときに自分の理想に変えれば良いのである。
今現在その仕組みをコントロールできる位置に居る人々は、
当然彼らにも理想があり、そこに辿り着くまでは、だれか
他の人の、自分の理想とは異なる仕組みの中で、辛抱もし、
現在その位置に居るのである。その辛抱もせずに、自分の
理想論や愚痴を言ったり、その場を逃げるのはあまいと
いうことである。
二つ目は、Bのことをごますり上手といった様な見方
をしているうちは、自分はまだ管理職になるために
必要な、いろいろな性格やスキル、人間性を備えて
いないということである。
上のBの人間性の説明は、以前の自分の見方であり、
すべて愚痴、皮肉、ひがみといった種の表現である。
しかし、上の例で、Bを「クール」と表現したのは、
言い方を変えれば大事なクライアントと対応する際に、
仕事を任せてもらう上での信頼を得る為のリーダーと
しての大切な人間性である。どんなに個人として仕事
ができても、例えばクライアントにこの人の率いる
チーム大丈夫か?と思われるようなイメージではリーダー
はつとまらない。
「人気者」と表現したのは、リーダーの立場にいる
人は、たとえばキツい仕事を受けたときに、みんなが
きついなか、その職場を自分の存在、言動により和める
ぐらいの、社交性が必要である。
「オーナーのお気に入り」とう表現をしたのは、
仕事では、各役職ごとにその仕事の性質により求め
られる人間性が異なると思う。管理職には管理職ゆえ
の仕事に対する責任があり、それをこなす上に必要な
人間性もまた異なる。「管理職に気に入られる性格」
という表現も、つまりはリーダーの立場の人からみて、
リーダーの仕事に必要な素質があるという意味でもある。
つまりは、Bのことを上のような捉え方をしているうちは、
自分は、まだまだあまかったということである。
個人としての仕事のスキルと、組織を率いるリーダー
に必要とされるスキルは全く違うと思う。このスキル
の違いの存在は一般的に広く認知されているかもしれない。
しかし、自分の様に、そのリーダーシップに必要なスキル
が備わっていない場合、その存在や必要性に気づかず、
なぜ自分がその役割を任せられないのかが分からない
ものであると思う。
自分はずいぶんと長い間こういった疑問を持っていた。
そして、自分が辿り着けないそのポジションに辿り
着く人を、上のBの説明のように、マイナスのイメージ
でとらえていたのである。
恥ずかしながら、このマイナスの考え方から抜け出すの
にずいぶんと時間がかかってしまった。この考え方が
正しいかは自分の経験がもっと増さないと分からない
だろうが、これが現時点での自分の経験から信じている、
社内政治、リーダーシップに対する考え方である。
少なくとも、以前の考え方よりは成長している
事を願う(笑)。
例えば人物Aが長年あるバーで働いており、Aはその店の
まわし方を誰よりも知っており、その店での経験は誰よりも
長く、知識も経験も豊富であるとする。いずれはそこの店長
になる事が目標で、そのポジションをうまくこなすためには
何が必要かを、いろいろ考え、勉強や努力もしている。
あるとき今の店長が店をやめる事となり、そのポジションを
引き継ぐひとを現在の社員のメンバーから決めなくてはいけ
ないとする。
そして、次期店長に選ばれたのは、「オーナーのお気に入り」
の「人気者」のBであったとする。Bは「クール」な性格で、
特に「管理職に気に入られる」様なタイプの人である。
(この上の4つのキーワードの理由は後半で説明したい。)
Aは自分の方がこの店長の仕事にBより向いていると思って
おり、なぜ自分ではないのだと、不愉快な思いをする。
さて、このAの状況に自分がいると仮定した場合、
どう思い、どういう行動をするだろうか?
このような状況で、以前自分が思い、とっていた行動は
大抵こんな感じであった。
* むかつく
* Bを選んだオーナーのせいにする、もしくは
オーナーに見る目がないと愚痴る
* Bはごますりがうまいといった趣の悪口を友達と言う。
* 自分はこの店には向いていないと考える
* 自分は社内政治に向いていないと考える
* この店は自分のことが分かっていない。こんな店で
働くのは無駄だから、店を辞める、もしくは辞めると
愚痴る。または自分と同じような境遇にいる同僚と、
そんな会社辞めた方がいいんじゃないといった会話をする。
さて、ここ数年思う事は、上のような考え方は間違って
いたということである。少なくとも、上のような考え方
よりも、より自分にとってプラスになる考え方があると
考える様になった。
このような話から自分の得た事は2つである。
一つ目は、どんな理由であり、自分が何か目指す物がある
とする。それにたどり着くための仕組みが自分の理想とは
合わない場合、どうするか。それに対する愚痴を言う、
自分には合わないとあきらめる、場所、環境が変われば
良くなると思う(これは多くの場合、結局どこに行っても
大抵の仕組みは一緒なので、その考えは現実逃避の場合が
多い)。というのが以前の自分の考え方であったが、いまの
考えはこうである。
この場において、愚痴を言うのは甘かったということである。
本当にそこを目指す価値が自分にとってあると判断し、その
仕組みが気に食わないのなら、まずはその仕組みに従い、
その流れに対応するくらいの辛抱がまずは必要である。
そして、そのときにまだ自分が仕組みが気に入らないので
あれば、自分がその仕組みを変えられる位置まで辿り着い
たら、そのときに自分の理想に変えれば良いのである。
今現在その仕組みをコントロールできる位置に居る人々は、
当然彼らにも理想があり、そこに辿り着くまでは、だれか
他の人の、自分の理想とは異なる仕組みの中で、辛抱もし、
現在その位置に居るのである。その辛抱もせずに、自分の
理想論や愚痴を言ったり、その場を逃げるのはあまいと
いうことである。
二つ目は、Bのことをごますり上手といった様な見方
をしているうちは、自分はまだ管理職になるために
必要な、いろいろな性格やスキル、人間性を備えて
いないということである。
上のBの人間性の説明は、以前の自分の見方であり、
すべて愚痴、皮肉、ひがみといった種の表現である。
しかし、上の例で、Bを「クール」と表現したのは、
言い方を変えれば大事なクライアントと対応する際に、
仕事を任せてもらう上での信頼を得る為のリーダーと
しての大切な人間性である。どんなに個人として仕事
ができても、例えばクライアントにこの人の率いる
チーム大丈夫か?と思われるようなイメージではリーダー
はつとまらない。
「人気者」と表現したのは、リーダーの立場にいる
人は、たとえばキツい仕事を受けたときに、みんなが
きついなか、その職場を自分の存在、言動により和める
ぐらいの、社交性が必要である。
「オーナーのお気に入り」とう表現をしたのは、
仕事では、各役職ごとにその仕事の性質により求め
られる人間性が異なると思う。管理職には管理職ゆえ
の仕事に対する責任があり、それをこなす上に必要な
人間性もまた異なる。「管理職に気に入られる性格」
という表現も、つまりはリーダーの立場の人からみて、
リーダーの仕事に必要な素質があるという意味でもある。
つまりは、Bのことを上のような捉え方をしているうちは、
自分は、まだまだあまかったということである。
個人としての仕事のスキルと、組織を率いるリーダー
に必要とされるスキルは全く違うと思う。このスキル
の違いの存在は一般的に広く認知されているかもしれない。
しかし、自分の様に、そのリーダーシップに必要なスキル
が備わっていない場合、その存在や必要性に気づかず、
なぜ自分がその役割を任せられないのかが分からない
ものであると思う。
自分はずいぶんと長い間こういった疑問を持っていた。
そして、自分が辿り着けないそのポジションに辿り
着く人を、上のBの説明のように、マイナスのイメージ
でとらえていたのである。
恥ずかしながら、このマイナスの考え方から抜け出すの
にずいぶんと時間がかかってしまった。この考え方が
正しいかは自分の経験がもっと増さないと分からない
だろうが、これが現時点での自分の経験から信じている、
社内政治、リーダーシップに対する考え方である。
少なくとも、以前の考え方よりは成長している
事を願う(笑)。
2009年8月30日日曜日
ドアの話2
「ドアの話」に戻る
ドアの話を書いてずいぶん経ったが、つい先週また新しい
ドアの経験をした。たかがドアの開け閉めだが、自分には
これも国際環境で生活する上での貴重な意味がこもってい
るように思えて面白い。
以前書いた様に、自分の生活している環境では、外国人が
ドアを年齢、性別かまわず人のために開けてあげるのは、
人生や仕事の経験が豊富で、大人やリーダーが兼ね備えて
いるべくマナーであると自分は考える。
そして、まだそれが新鮮であったころの自分が、先輩達のまねを
して同僚にドアを開けようと試みたときは、経験不足のためか
違和感を覚えた。自分には自然にそれができはしなかったのである。
最近では、まだまだではあるが、その頃よりはそういった
気遣いができる様になってきた気がする。
そんな中、先日朝会社についてから、コーヒーを隣のカフェで
買って来た帰り道である、カフェで一緒になった会社の幹部
の一人と雑談をしながら戻る際に、会社の入り口のドアをその
人の為自分が開けた所、なんと彼はもう一つのドアを自分で
開けて入っていってしまった。
あれれ?と思った。タイミング的にもその開いているドアを
くぐった方が自然なような気がした。ただの自分の気にし過ぎ
かもしれないし、タイミング的なものでしか無い可能性も高い。
しかし自分には、幹部という立場のひとが、自分にドアを
開けられることが少々居心地が悪かったということだったの
ではないかと想像している。要は自分が、この人から見て
まだドアを開けられて快適な大人には見えないということ
のような気がする。
確かに、自分より大人で(これは年齢ではなく人としての
大人さ)、会社でのリーダーシップの経験などが長く
豊富な知人が、自分の代わりにここでドアを開けていた
ことを想像すると、この人が自然とその開いたドアを
くぐる姿が、悔しいが想像できてしまう。
「ジェームズの話」に進む
この読み物のタイトルに戻る...
ドアの話を書いてずいぶん経ったが、つい先週また新しい
ドアの経験をした。たかがドアの開け閉めだが、自分には
これも国際環境で生活する上での貴重な意味がこもってい
るように思えて面白い。
以前書いた様に、自分の生活している環境では、外国人が
ドアを年齢、性別かまわず人のために開けてあげるのは、
人生や仕事の経験が豊富で、大人やリーダーが兼ね備えて
いるべくマナーであると自分は考える。
そして、まだそれが新鮮であったころの自分が、先輩達のまねを
して同僚にドアを開けようと試みたときは、経験不足のためか
違和感を覚えた。自分には自然にそれができはしなかったのである。
最近では、まだまだではあるが、その頃よりはそういった
気遣いができる様になってきた気がする。
そんな中、先日朝会社についてから、コーヒーを隣のカフェで
買って来た帰り道である、カフェで一緒になった会社の幹部
の一人と雑談をしながら戻る際に、会社の入り口のドアをその
人の為自分が開けた所、なんと彼はもう一つのドアを自分で
開けて入っていってしまった。
あれれ?と思った。タイミング的にもその開いているドアを
くぐった方が自然なような気がした。ただの自分の気にし過ぎ
かもしれないし、タイミング的なものでしか無い可能性も高い。
しかし自分には、幹部という立場のひとが、自分にドアを
開けられることが少々居心地が悪かったということだったの
ではないかと想像している。要は自分が、この人から見て
まだドアを開けられて快適な大人には見えないということ
のような気がする。
確かに、自分より大人で(これは年齢ではなく人としての
大人さ)、会社でのリーダーシップの経験などが長く
豊富な知人が、自分の代わりにここでドアを開けていた
ことを想像すると、この人が自然とその開いたドアを
くぐる姿が、悔しいが想像できてしまう。
「ジェームズの話」に進む
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2009年8月27日木曜日
[読み物タイトル] 外国における社内政治
社内政治はどこの国でもあるであろうし、日本にも得意な人、
不得意な人といると思う。
海外で仕事をしていて頻繁に思う事が一つある。仮に日本国内
で社内政治がニガテでない場合でも、海外(自分の場合はアメリカ)
に来ると、英語における社内政治がからっきしだめであるという
ことが起きるということである。
そして、ここで強調したいのが、我々日本人が海外における
社内政治がニガテな理由は、一般的に思われがちな「それは
英語が苦手だから」という理由より、もっともっと深い
というところである。一言で言うと、このブログのいろいろ
なところで表現している日本と西洋の文化的な違いが理由で
あると思う。
自分はこれが我々が海外でリーダーシップを発揮しにくい
大きな理由の一つであると考えている。
この読み物は、自分の経験する、海外における社内政治
のあり方について、そして、日本人にとってつまずき
易い点、それの対応方法も、見つけられれば書いていきたい。
不得意な人といると思う。
海外で仕事をしていて頻繁に思う事が一つある。仮に日本国内
で社内政治がニガテでない場合でも、海外(自分の場合はアメリカ)
に来ると、英語における社内政治がからっきしだめであるという
ことが起きるということである。
そして、ここで強調したいのが、我々日本人が海外における
社内政治がニガテな理由は、一般的に思われがちな「それは
英語が苦手だから」という理由より、もっともっと深い
というところである。一言で言うと、このブログのいろいろ
なところで表現している日本と西洋の文化的な違いが理由で
あると思う。
自分はこれが我々が海外でリーダーシップを発揮しにくい
大きな理由の一つであると考えている。
この読み物は、自分の経験する、海外における社内政治
のあり方について、そして、日本人にとってつまずき
易い点、それの対応方法も、見つけられれば書いていきたい。
2009年8月16日日曜日
「ニガテ」の話 Part.1
読み物タイトルに戻る
持論の項目の一つ目は、自分がかなり愛着の深い言葉「にがて」に
ついて書いてみたい。
一般的ににがてという表現は、マイナスの見方があるといって間違い
はないと思う。自分が不得意である事、一生懸命やってもうまく
いかないこと、自分より周りの人の方がうまくできる事、上達したい
けど何らかの適正にかける事、周りの人の方が自分より上達が早い
こと、またはあなたには向いていないからやめなさいと家族や友人
に言われる事、といった定義でおそらく文句は言われないであろう。
よっぽど恵まれた人ではない限り(というか、そんな恵まれた人は
いるのであろうか?少なくとも自分の周りにはそんな人はいない)、
通常我々はいろいろな所でこの自分のにがてにぶつかる。
なぜこのにがてという言葉が自分には愛着があるかというと、
これはいままでいろいろなニガテにぶつかってきたなか、
どうすればそのニガテを克服できるかと、いろいろと試行錯誤
してきたからであると思う。
もうかなりの数のニガテに悩まされてきたなか、とにかく
それを克服する「試み」には相当の労力を費やして来たつもり
である。
もちろんその中でなんとか克服できたものもあれば、どんなに
頑張っても克服できなかったものもある。はたまた、不満足では
あれど、自分に必要な程度克服できたものも有れば、有る程度
上達して来たが労力に疲れて克服をあきらめてしまったものもある。
一つだけ言える事は、今まで(もちろん今でも)相当自分のニガテと
対面して来たつもりである。
面白い事に、克服できた、できないという事実とは別に、「ニガテ
克服の試み」を数多くやってくると、ちょっと変わった面白い
「ニガテ」の定義が見えてくるようになった気がする。この
試行錯誤を数多くこなして来たことにより見える様になったと
思う、自分が信じているこの自分なりの定義を書いてみたい。
さて、深く掘り下げるまえに、そもそもニガテを克服する必要
などあるのだろうか?苦手なことよりも、自分の得意なことを
見つけた方が良いのではないか?
これはその通りであると思う。自分の得意な物を選んだ方が
上達も早いし、理にかなっている。何か上達するのに例えば
いちいち人の3倍の時間がかかっていたら参ってしまう。
自分の適正を判断することはすごく大事な事であると思う。
しかし、適正と自分の上達したい事は残念ながら必ずしも
一致するわけではない。もちろん、自分の「これっ」と
決めた事が自分が得意であったらそんな幸運な事は無い。
しかし、この「幸運」なひとは自分が考えるにほんの一握り
ではないかと思う。なので、自分がなにか上達したい事、仕事に
したい事が、仮に自分には適正がなく、ニガテである場合や、
得意な事が見つけにくい場合はどうすれば良いのか?
このように、大半の場合は、誰でもなんらかの克服したい
ニガテが有るはずである。
そんななか、こんなことを考えてしまったことが有る人もいる
かもしれない。ニガテなことが多く、特に才能のない自分は
上達して何かをうまくなることはできるのだろうか。。。
なにかをうまくできている人は、どうせ自分には無い何か
恵まれた才能や環境、適正があるだろう。。。過去に努力
したけどうまくいかなかった自分には、また次も努力しても
どうせニガテは解決しないだろう。。。
自分もニガテの克服を意識的に試み始めた頃にこのような
事を考えていた。
ニガテと分かっていることにチャレンジすることは、それなりに
覚悟が必要であり、リスクもあると思う。例えば得意な事に
チャレンジするのは簡単である。得意なのだからうまくいく
可能性も当然高いであろう。得意であれば上達も早いし、
それを感じる事ができるため、持続のモチベーションも上げ
やすいであろう。基本は努力するだけそれに見合った上達を
するから、努力をするもの比較的苦にはならない。
逆に、ニガテなことは上達も遅いし、本当に自分はこれが最終的
にうまくなるのだろうかと、不安になるし、時間の無駄なのでは
と疑いたくもなる。頑張ってもあまり上達しないことを持続する
のはかなり難しい。端で自分が苦労していることをすいすい
上達している人をみると、かなりブルーになりやる気も無くなる。
どうせこれもうまくいかないのではないだろうか...と。
では、自分の何か上達したいことが自分が苦手だったら、運が
悪かったと思いあきらめるしかないのか。
ここで2つ自分が信じていることは、「ニガテであっても、
適正が無くても、大丈夫」と言う事、そして、ニガテなことの上達を
試みた場合、なんと得意な事に取り組んだ場合よりも、自分に有利
なことが多くあるという事である。この2つを考える様になって
からは、苦手なことの上達を試みることがあまり苦痛ではなく
なった上に、その試みがうまくいく率も昔に比べて高くなって
きたと思う。
Part.2は、具体的にニガテにまつわる自分の経験、および
上の2つのことを書いてみたい。
持論の項目の一つ目は、自分がかなり愛着の深い言葉「にがて」に
ついて書いてみたい。
一般的ににがてという表現は、マイナスの見方があるといって間違い
はないと思う。自分が不得意である事、一生懸命やってもうまく
いかないこと、自分より周りの人の方がうまくできる事、上達したい
けど何らかの適正にかける事、周りの人の方が自分より上達が早い
こと、またはあなたには向いていないからやめなさいと家族や友人
に言われる事、といった定義でおそらく文句は言われないであろう。
よっぽど恵まれた人ではない限り(というか、そんな恵まれた人は
いるのであろうか?少なくとも自分の周りにはそんな人はいない)、
通常我々はいろいろな所でこの自分のにがてにぶつかる。
なぜこのにがてという言葉が自分には愛着があるかというと、
これはいままでいろいろなニガテにぶつかってきたなか、
どうすればそのニガテを克服できるかと、いろいろと試行錯誤
してきたからであると思う。
もうかなりの数のニガテに悩まされてきたなか、とにかく
それを克服する「試み」には相当の労力を費やして来たつもり
である。
もちろんその中でなんとか克服できたものもあれば、どんなに
頑張っても克服できなかったものもある。はたまた、不満足では
あれど、自分に必要な程度克服できたものも有れば、有る程度
上達して来たが労力に疲れて克服をあきらめてしまったものもある。
一つだけ言える事は、今まで(もちろん今でも)相当自分のニガテと
対面して来たつもりである。
面白い事に、克服できた、できないという事実とは別に、「ニガテ
克服の試み」を数多くやってくると、ちょっと変わった面白い
「ニガテ」の定義が見えてくるようになった気がする。この
試行錯誤を数多くこなして来たことにより見える様になったと
思う、自分が信じているこの自分なりの定義を書いてみたい。
さて、深く掘り下げるまえに、そもそもニガテを克服する必要
などあるのだろうか?苦手なことよりも、自分の得意なことを
見つけた方が良いのではないか?
これはその通りであると思う。自分の得意な物を選んだ方が
上達も早いし、理にかなっている。何か上達するのに例えば
いちいち人の3倍の時間がかかっていたら参ってしまう。
自分の適正を判断することはすごく大事な事であると思う。
しかし、適正と自分の上達したい事は残念ながら必ずしも
一致するわけではない。もちろん、自分の「これっ」と
決めた事が自分が得意であったらそんな幸運な事は無い。
しかし、この「幸運」なひとは自分が考えるにほんの一握り
ではないかと思う。なので、自分がなにか上達したい事、仕事に
したい事が、仮に自分には適正がなく、ニガテである場合や、
得意な事が見つけにくい場合はどうすれば良いのか?
このように、大半の場合は、誰でもなんらかの克服したい
ニガテが有るはずである。
そんななか、こんなことを考えてしまったことが有る人もいる
かもしれない。ニガテなことが多く、特に才能のない自分は
上達して何かをうまくなることはできるのだろうか。。。
なにかをうまくできている人は、どうせ自分には無い何か
恵まれた才能や環境、適正があるだろう。。。過去に努力
したけどうまくいかなかった自分には、また次も努力しても
どうせニガテは解決しないだろう。。。
自分もニガテの克服を意識的に試み始めた頃にこのような
事を考えていた。
ニガテと分かっていることにチャレンジすることは、それなりに
覚悟が必要であり、リスクもあると思う。例えば得意な事に
チャレンジするのは簡単である。得意なのだからうまくいく
可能性も当然高いであろう。得意であれば上達も早いし、
それを感じる事ができるため、持続のモチベーションも上げ
やすいであろう。基本は努力するだけそれに見合った上達を
するから、努力をするもの比較的苦にはならない。
逆に、ニガテなことは上達も遅いし、本当に自分はこれが最終的
にうまくなるのだろうかと、不安になるし、時間の無駄なのでは
と疑いたくもなる。頑張ってもあまり上達しないことを持続する
のはかなり難しい。端で自分が苦労していることをすいすい
上達している人をみると、かなりブルーになりやる気も無くなる。
どうせこれもうまくいかないのではないだろうか...と。
では、自分の何か上達したいことが自分が苦手だったら、運が
悪かったと思いあきらめるしかないのか。
ここで2つ自分が信じていることは、「ニガテであっても、
適正が無くても、大丈夫」と言う事、そして、ニガテなことの上達を
試みた場合、なんと得意な事に取り組んだ場合よりも、自分に有利
なことが多くあるという事である。この2つを考える様になって
からは、苦手なことの上達を試みることがあまり苦痛ではなく
なった上に、その試みがうまくいく率も昔に比べて高くなって
きたと思う。
Part.2は、具体的にニガテにまつわる自分の経験、および
上の2つのことを書いてみたい。
2009年8月7日金曜日
英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 (修正)
このテーマを続けて書いきたなか、Part.2で書いた
6つのステップのなか、第1ステップと第2ステップの
間にもう一つステップを足した方が、自分の経験により
そぐうような気がしてきた。なのでPart.1〜Part.3b
までの書き物に、ステップ1.5を追加してみた。
6つのステップのなか、第1ステップと第2ステップの
間にもう一つステップを足した方が、自分の経験により
そぐうような気がしてきた。なのでPart.1〜Part.3b
までの書き物に、ステップ1.5を追加してみた。
英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3b
「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.1」に戻る
「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.2」に戻る
「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3a」に戻る
Part.3aで書いたが、まず日常会話、学校、仕事場での英会話が
快適になってきてから、英語の雑談になんとかチャレンジしようと
思った場合、この第2ステップにたどり着くのはどうやらみんなに
結構共通のことであるようである。
まず初めて雑談に参加しようと思うと、それがかなり難易度が
高い事に気づく。そして、初めのうちはうなずいたり、笑顔で
振る舞ったり、今イチ内容の分からない雑談にも分かった振り
をして笑ったりする。
そして、なんの理由であれ雑談に参加したい場合、できない
自分が面白くなく、次は無理矢理会話に参加をしようとする。
そして多くの人がたどり着くのがどうやら第2ステップの
様である。
自分の場合もそうだが、雑談に参加しようとすると、参加
できていない自分が嫌で、自然と参加する試みをするのだが、
雑談はそうそう簡単に習得できる物ではなく、結局雑談の
「ふり」を習得してしまう。
そもそも雑談とは、相手の存在を会話のやりとりで楽しむ
ものであると自分は思う。雑談ができるかできないかという
ことを気にしている時点でそもそも雑談をする意味が違って
きているのだが、あまりにも雑談できないことがショックで、
ずいぶんと長い間、雑談が「できる」ということがテーマに
なってしまっていた。
会話に参加できないから自分の日本人としてのアドバンテージ
である日本の話をする。仕事仲間との雑談であれば仕事の
テーマを持ち出せば、会話には困らない。いつもしている
テーマのある話なので、これには参加できる。また、みんなが
している自分の追いつけない会話に関しては、「質問君」に
なれば参加している感じにはなる。これらの第2ステップに
共通しているのは、自分の場合「雑談をしている自分」に
なる為に編み出した方法でしかなかった。そして、本来の
そこに居る雑談相手の存在を会話のやり取りにより
楽しむということをしていなかった。これに共感していただける
人はいるのではないだろうか。
では、自分が第2ステップにもし居る事に気づいてしまった
場合、具体的にどうすればよいのか。
まず自分が試みたのが、第2ステップにリストアップした、
「ふり」の会話をやめてみる事である。もちろん日本の話、
仕事の話、会話に対する質問、をしてはいけないなどと
言うルールは何処にも無いが、少なくとも自分はこの「ふり」
をやめる所から始めた。それはすなわち
-日本の話はしない
-仕事の話はしない
-会話に参加しているふりの為の質問はしない
ということになる。そして、本来の、相手の存在を
楽しむ為の会話を心がける様にした。
そして、いま振り返って考えてみると、Part.2で書いた、
第3ステップや第4ステップのようなテーマになってくる。
Part.4は、この第3ステップ、第4ステップをもっと掘り下げて
考えてみたい。
「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.2」に戻る
「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3a」に戻る
Part.3aで書いたが、まず日常会話、学校、仕事場での英会話が
快適になってきてから、英語の雑談になんとかチャレンジしようと
思った場合、この第2ステップにたどり着くのはどうやらみんなに
結構共通のことであるようである。
まず初めて雑談に参加しようと思うと、それがかなり難易度が
高い事に気づく。そして、初めのうちはうなずいたり、笑顔で
振る舞ったり、今イチ内容の分からない雑談にも分かった振り
をして笑ったりする。
そして、なんの理由であれ雑談に参加したい場合、できない
自分が面白くなく、次は無理矢理会話に参加をしようとする。
そして多くの人がたどり着くのがどうやら第2ステップの
様である。
自分の場合もそうだが、雑談に参加しようとすると、参加
できていない自分が嫌で、自然と参加する試みをするのだが、
雑談はそうそう簡単に習得できる物ではなく、結局雑談の
「ふり」を習得してしまう。
そもそも雑談とは、相手の存在を会話のやりとりで楽しむ
ものであると自分は思う。雑談ができるかできないかという
ことを気にしている時点でそもそも雑談をする意味が違って
きているのだが、あまりにも雑談できないことがショックで、
ずいぶんと長い間、雑談が「できる」ということがテーマに
なってしまっていた。
会話に参加できないから自分の日本人としてのアドバンテージ
である日本の話をする。仕事仲間との雑談であれば仕事の
テーマを持ち出せば、会話には困らない。いつもしている
テーマのある話なので、これには参加できる。また、みんなが
している自分の追いつけない会話に関しては、「質問君」に
なれば参加している感じにはなる。これらの第2ステップに
共通しているのは、自分の場合「雑談をしている自分」に
なる為に編み出した方法でしかなかった。そして、本来の
そこに居る雑談相手の存在を会話のやり取りにより
楽しむということをしていなかった。これに共感していただける
人はいるのではないだろうか。
では、自分が第2ステップにもし居る事に気づいてしまった
場合、具体的にどうすればよいのか。
まず自分が試みたのが、第2ステップにリストアップした、
「ふり」の会話をやめてみる事である。もちろん日本の話、
仕事の話、会話に対する質問、をしてはいけないなどと
言うルールは何処にも無いが、少なくとも自分はこの「ふり」
をやめる所から始めた。それはすなわち
-日本の話はしない
-仕事の話はしない
-会話に参加しているふりの為の質問はしない
ということになる。そして、本来の、相手の存在を
楽しむ為の会話を心がける様にした。
そして、いま振り返って考えてみると、Part.2で書いた、
第3ステップや第4ステップのようなテーマになってくる。
Part.4は、この第3ステップ、第4ステップをもっと掘り下げて
考えてみたい。
2009年8月2日日曜日
英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3a
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Part.3aは、Part.2で紹介した英語でのカジュアルトーク上達の為の
ステップをもっと掘り下げてみたい。
=== 第1ステップ ===
-英語で会話が理解できる
-言いたい事が英語で言える
=================
第1ステップはそのままである。英語でのカジュアルトークは
Part.1で書いた様に、英会話の中でも難易度が高いほうであると思う。
カジュアルトークを覚える為には、英語でのコミュニケーション
がまずある程度できる必要がある。
もしステップ1が難易度が高いと感じる場合は心配せず、まずは
意思疎通の為の英会話を習得することにターゲットを定めるのが
良いかもしれない。その場合は、「海外での生活の上で日々
心がけている事 Part. 1-a」などをみていただけるとうれしい。
=== 第1.5ステップ ===
-日常生活をする上での必要不可欠な英会話、
学校での授業の会話、もしくは会社での仕事上の
会話を離れ、初めて雑談をしようと試みる。
-英語で雑談をしてみるとそれがかなり難しいことに気づく。
-雑談に全く参加ができず、うなずいたり、笑顔で会話に相づちを
うったり、今イチ内容の分からない雑談にも分かった振りをして
笑ったりする。
=================
ステップ1.5は、まだ雑談にあまり慣れていないときに、初めて
英語での雑談を試みると、まず初めに気づくのが、自分が日常生活で
使っている英語や、学校、仕事場で使っている英語とはちょっと別物で
あることに気づく。日本語とは違い、我々日本人が英語を覚えるのは、
留学や仕事といった目的がある場合が多いと思う。もちろん外国人と
雑談をする目的の人ももちろんいると思うが、自分の周りには学校や
仕事といった、英会話の目的が定まっている場合が多く、雑談というの
は比較的比重が小さい場合が多い。
そんな中、慣れていない雑談にチャレンジすると、ステップ1.5の様に、
テーマのある英会話なら参加できていたはずなのに、雑談となると話に
参加できないという経験をすることが多い。
=== 第2ステップ ===
-日本の事を話す
-仕事の事を話す
-質問をする
=================
第2ステップは、自分の中でちょっとこだわりのあるステップで
ある。それは、ずいぶんと長い間、自分はこのステップから先へ
進めずすごく苦労したからである。むしろ、このステップに居た
頃は、そもそも自分がそのステップに居た事すら気づいておらず、
それで有る程度カジュアルトークができていると思っていた。
しかし、どこか何か違うなあといった感覚がいつもあった。
ホームパーティや、飲みの場で一応会話はできるし、カジュアル
トークができていないとも自分では思っていなかった。しかし、
やはり何か外国人と会話をしていてもあまり楽しくないし、
進んでそのカジュアルトークの場に参加したいとも思えないし、
日本人と会話をしている時とは明らかに差があった。
そんな中、友達と話をしている中で、あるとき自分がいつも
同じパターンの会話をしている事に気づいた。それは、自分の
外国人としている会話は、ほぼ決まって日本のテーマの話か、
仕事の話、もしくは、自分が何かテーマのある会話に参加
していない時は、その場で行なわれている会話に、「それって
どういう意味?」や、「へー、そうなんだ、知らなかった」や、
「えっ、そうなんだ、もっと詳しく教えて」などといった具合に、
自分は「質問君」になっていた。
これは、一見自分が会話に参加しているように見えるし、自分が
話に参加している「気分」になることはできるが、先ほどいった、
「何か会話に参加しているはずなのに楽しくない」といった感覚が
残る。
これは今だから思うのだが、「会話に参加している」のではなく、
単に「参加しているふりをしている」だけだった様な気がする。
もちろん、雑談で友達と日本の話をして悪いわけはない。また、
仕事の話をカジュアルトークですることは多々ある。そして、
英語がネイティブで、カジュアルトークが大得意なアメリカ人
でも行なわれている会話に対して質問をもちろんする。
問題はこれらの項目ではなく、もし自分のしているカジュアル
トークが、これらの項目「のみ」から成り立っているとしたら、
これは自分が思うに、それは雑談をしてお互いの存在を楽しんで
いるのではなく、雑談をするための努力をしているだけで、
悪く言うと雑談をしているふりをしているにすぎない。
雑談とは、努力をしてする物ではないし、ふりをするものでも
ないし、いつもいつも同じテーマを話すのもちょっと違う気が
個人的にはする。
長くなったが、この第2ステップは以外と多くの日本人が
はまりやすいステップのような気がする。英語で日常会話
は結構できて、仕事の上での英語でのコミュニケーション
にもあまり不自由がなく、プライベートで外国人とたまに
時間を過ごす人の多くに、いままでこのステップに共感して
もらえる人が結構いた。もし、何かの理由で外国人と
カジュアルトークをしたくて、試みてはいるが、何となく
会話をしている気がしない、あまり楽しくないという
感覚のある場合は、自分がこのステップにはまっていないか
どうかを考えてみると面白い。
もし、この第2ステップに自分が当てはまると思う場合は、
Part.2のステップアップのリストが、カジュアルトークの
幅を広げる為の参考になるかもしれない。
Part.3bは、この第1.5と第2ステップに自分がいたときに、
具体的にどのようにステップアップを試みたかを書いてみたい。
「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3b」に進む
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Part.3aは、Part.2で紹介した英語でのカジュアルトーク上達の為の
ステップをもっと掘り下げてみたい。
=== 第1ステップ ===
-英語で会話が理解できる
-言いたい事が英語で言える
=================
第1ステップはそのままである。英語でのカジュアルトークは
Part.1で書いた様に、英会話の中でも難易度が高いほうであると思う。
カジュアルトークを覚える為には、英語でのコミュニケーション
がまずある程度できる必要がある。
もしステップ1が難易度が高いと感じる場合は心配せず、まずは
意思疎通の為の英会話を習得することにターゲットを定めるのが
良いかもしれない。その場合は、「海外での生活の上で日々
心がけている事 Part. 1-a」などをみていただけるとうれしい。
=== 第1.5ステップ ===
-日常生活をする上での必要不可欠な英会話、
学校での授業の会話、もしくは会社での仕事上の
会話を離れ、初めて雑談をしようと試みる。
-英語で雑談をしてみるとそれがかなり難しいことに気づく。
-雑談に全く参加ができず、うなずいたり、笑顔で会話に相づちを
うったり、今イチ内容の分からない雑談にも分かった振りをして
笑ったりする。
=================
ステップ1.5は、まだ雑談にあまり慣れていないときに、初めて
英語での雑談を試みると、まず初めに気づくのが、自分が日常生活で
使っている英語や、学校、仕事場で使っている英語とはちょっと別物で
あることに気づく。日本語とは違い、我々日本人が英語を覚えるのは、
留学や仕事といった目的がある場合が多いと思う。もちろん外国人と
雑談をする目的の人ももちろんいると思うが、自分の周りには学校や
仕事といった、英会話の目的が定まっている場合が多く、雑談というの
は比較的比重が小さい場合が多い。
そんな中、慣れていない雑談にチャレンジすると、ステップ1.5の様に、
テーマのある英会話なら参加できていたはずなのに、雑談となると話に
参加できないという経験をすることが多い。
=== 第2ステップ ===
-日本の事を話す
-仕事の事を話す
-質問をする
=================
第2ステップは、自分の中でちょっとこだわりのあるステップで
ある。それは、ずいぶんと長い間、自分はこのステップから先へ
進めずすごく苦労したからである。むしろ、このステップに居た
頃は、そもそも自分がそのステップに居た事すら気づいておらず、
それで有る程度カジュアルトークができていると思っていた。
しかし、どこか何か違うなあといった感覚がいつもあった。
ホームパーティや、飲みの場で一応会話はできるし、カジュアル
トークができていないとも自分では思っていなかった。しかし、
やはり何か外国人と会話をしていてもあまり楽しくないし、
進んでそのカジュアルトークの場に参加したいとも思えないし、
日本人と会話をしている時とは明らかに差があった。
そんな中、友達と話をしている中で、あるとき自分がいつも
同じパターンの会話をしている事に気づいた。それは、自分の
外国人としている会話は、ほぼ決まって日本のテーマの話か、
仕事の話、もしくは、自分が何かテーマのある会話に参加
していない時は、その場で行なわれている会話に、「それって
どういう意味?」や、「へー、そうなんだ、知らなかった」や、
「えっ、そうなんだ、もっと詳しく教えて」などといった具合に、
自分は「質問君」になっていた。
これは、一見自分が会話に参加しているように見えるし、自分が
話に参加している「気分」になることはできるが、先ほどいった、
「何か会話に参加しているはずなのに楽しくない」といった感覚が
残る。
これは今だから思うのだが、「会話に参加している」のではなく、
単に「参加しているふりをしている」だけだった様な気がする。
もちろん、雑談で友達と日本の話をして悪いわけはない。また、
仕事の話をカジュアルトークですることは多々ある。そして、
英語がネイティブで、カジュアルトークが大得意なアメリカ人
でも行なわれている会話に対して質問をもちろんする。
問題はこれらの項目ではなく、もし自分のしているカジュアル
トークが、これらの項目「のみ」から成り立っているとしたら、
これは自分が思うに、それは雑談をしてお互いの存在を楽しんで
いるのではなく、雑談をするための努力をしているだけで、
悪く言うと雑談をしているふりをしているにすぎない。
雑談とは、努力をしてする物ではないし、ふりをするものでも
ないし、いつもいつも同じテーマを話すのもちょっと違う気が
個人的にはする。
長くなったが、この第2ステップは以外と多くの日本人が
はまりやすいステップのような気がする。英語で日常会話
は結構できて、仕事の上での英語でのコミュニケーション
にもあまり不自由がなく、プライベートで外国人とたまに
時間を過ごす人の多くに、いままでこのステップに共感して
もらえる人が結構いた。もし、何かの理由で外国人と
カジュアルトークをしたくて、試みてはいるが、何となく
会話をしている気がしない、あまり楽しくないという
感覚のある場合は、自分がこのステップにはまっていないか
どうかを考えてみると面白い。
もし、この第2ステップに自分が当てはまると思う場合は、
Part.2のステップアップのリストが、カジュアルトークの
幅を広げる為の参考になるかもしれない。
Part.3bは、この第1.5と第2ステップに自分がいたときに、
具体的にどのようにステップアップを試みたかを書いてみたい。
「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3b」に進む
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