2009年10月31日土曜日

仕事のスマートな主張の必要性

「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」に戻る
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」に戻る


自分はいまだに上司やマネジャー、仕事仲間に繰り返し
言われる事がある。

「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の同僚や、
特に上司にアピールしたほうがいいよ。」

と。

これを初めて言われた時に思ったことは、日本人的
な感覚からして

「んん?」

であった。なぜ自分の仕事をわざわざ同僚や
上司に主張しなくてはならないのか?と思った。

仮にきちんと仕事をしているのであれば、そんな事は
他人に、ましてや上司にアピールする事ではない
だろうと。

自分の中の基本理念はこうである。仕事とは、自分が
やりがいがあり、自分で作りたい映像があり、よい仕事
をすれば、その結果により次の仕事や、よりやりがいの
ある次のタスクにつながる。

そして、結果をだしていけば、成果はいずれ自然
とついてくる。つまり、自分の仕事ぶりを、そのため
わざわざ上司やマネージャーに主張する必要など無い
はずである、といったものである。

しかし、現実はこうではない。このブログのいろいろな
ところのテーマにもなっているが、自分の生活している
環境は、個人主義で自己主張の強く、それが普通な社会
である。

自己主張の強い環境においては、少なくとも最低限自分
の得るべく権利は主張しなくては、自分の得るべくものが
得にくいという現実がある。それは周りがみな主張している
ためである。

(この読み物はその応用編で、自分の権利を自己主張の強い
社会で守る基礎は、
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」
「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 2」
を見てほしい。)

自分の知り合いの中には、仕事が一つ終わるたびに、
自分がこれだけの仕事をしたのだから、これだけの手柄
(休暇、給与、精進など)が欲しいと、交渉している
ひとも結構いる。

こっちのカルチャーは、自分の権利を主張することが
横柄であるという感覚はない。もし上司やマネジャー
が自分の要求した権利に同意をしなかったら、その理由を
言われ、「そうか」と話が終わるだけである。

自分の思う得るべく権利を、仮に間違っていても、主張
すること自体は問題はない。もちろん、ただただ主張する
のではなく、このタイトルにもある「スマートな」主張が
必要であるが、それはまた後の読み物で具体例を書きたい。
(ちなみに、もし度が過ぎた主張をした場合でも、あとで
「あいつあんなむちゃくちゃな要求しやがったよ」と冗談で
言われるぐらいである。さすがにそれを繰り返しするの
はまずいが。。。おそらく我々日本人的な感覚では欲しい
物を全て主張しても足りないぐらいであろう。)

「欲しい物は欲しいと言わなくてはいけない」

この一言も、自分が何度も上司やマネジャーに言われている
セリフなのだが、自分が最初にこれを言われた時はかなり
驚いた。しかしこれが自己主張の強いカルチャーの日常であり、
こっちの人はこれが普通と思っているという事実を、海外で
働く我々は認識しなくてはならないと思う。

日本人の感覚からすると、むしろ欲しいものを主張するのは
いけないことといった感覚の方が強いと思う。謙虚に、与え
られる物を頂戴するというのが我々のカルチャーであり、
美徳である。

「日本人と外国人との仕事に対する姿勢の違い Part. 1」にも
書いたが、どちらが良い悪いかを議論するのが目的ではなく、
両者には文化に基づいた理由があると思う。考えなくては
ならないのは、片一方のカルチャーがもう片方に入ったときに、
いかに対応するかであると思う。

話を戻すと、「お前はもっと自分のやった仕事を、社内の
同僚や、特に上司にアピールしたほうがいいよ。」という
意見は、それをみなしているよ、そうでないとここでは
損をするよ、という事実に対するアドバイスである。

同じ仕事をしている人がいるとすると、やはり自己主張
をしていない人は、それをしている人においていかれて
しまう。残念ながらこれが現実である。

みなが自分の主張をするのが普通のカルチャーにおいて
は、最低限、自分の得るべく権利を守る為に、彼らの主張
の仕方を覚える必要があるというのが現在の自分の考え方で
ある。仕組みやカルチャーが自分の権利をまもってくれない
場合は、それを守る手だてを覚えるのは自分の責任であると
思う。

そのためにも、こっちでは我々も仕事のスマートな
主張の仕方を覚えなくてはならないと思う。

次は、上の基本理念である、自己主張など気にせず、
仕事をした人が、きちんと自然と手柄を得られる
仕組みを作るための考えを書いてみたい。