2009年8月30日日曜日

ドアの話2

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ドアの話を書いてずいぶん経ったが、つい先週また新しい
ドアの経験をした。たかがドアの開け閉めだが、自分には
これも国際環境で生活する上での貴重な意味がこもってい
るように思えて面白い。

以前書いた様に、自分の生活している環境では、外国人が
ドアを年齢、性別かまわず人のために開けてあげるのは、
人生や仕事の経験が豊富で、大人やリーダーが兼ね備えて
いるべくマナーであると自分は考える。

そして、まだそれが新鮮であったころの自分が、先輩達のまねを
して同僚にドアを開けようと試みたときは、経験不足のためか
違和感を覚えた。自分には自然にそれができはしなかったのである。

最近では、まだまだではあるが、その頃よりはそういった
気遣いができる様になってきた気がする。

そんな中、先日朝会社についてから、コーヒーを隣のカフェで
買って来た帰り道である、カフェで一緒になった会社の幹部
の一人と雑談をしながら戻る際に、会社の入り口のドアをその
人の為自分が開けた所、なんと彼はもう一つのドアを自分で
開けて入っていってしまった。

あれれ?と思った。タイミング的にもその開いているドアを
くぐった方が自然なような気がした。ただの自分の気にし過ぎ
かもしれないし、タイミング的なものでしか無い可能性も高い。

しかし自分には、幹部という立場のひとが、自分にドアを
開けられることが少々居心地が悪かったということだったの
ではないかと想像している。要は自分が、この人から見て
まだドアを開けられて快適な大人には見えないということ
のような気がする。

確かに、自分より大人で(これは年齢ではなく人としての
大人さ)、会社でのリーダーシップの経験などが長く
豊富な知人が、自分の代わりにここでドアを開けていた
ことを想像すると、この人が自然とその開いたドアを
くぐる姿が、悔しいが想像できてしまう。


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2009年8月27日木曜日

[読み物タイトル] 外国における社内政治

社内政治はどこの国でもあるであろうし、日本にも得意な人、
不得意な人といると思う。

海外で仕事をしていて頻繁に思う事が一つある。仮に日本国内
で社内政治がニガテでない場合でも、海外(自分の場合はアメリカ)
に来ると、英語における社内政治がからっきしだめであるという
ことが起きるということである。

そして、ここで強調したいのが、我々日本人が海外における
社内政治がニガテな理由は、一般的に思われがちな「それは
英語が苦手だから」という理由より、もっともっと深い
というところである。一言で言うと、このブログのいろいろ
なところで表現している日本と西洋の文化的な違いが理由で
あると思う。

自分はこれが我々が海外でリーダーシップを発揮しにくい
大きな理由の一つであると考えている。

この読み物は、自分の経験する、海外における社内政治
のあり方について、そして、日本人にとってつまずき
易い点、それの対応方法も、見つけられれば書いていきたい。

2009年8月16日日曜日

「ニガテ」の話 Part.1

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持論の項目の一つ目は、自分がかなり愛着の深い言葉「にがて」に
ついて書いてみたい。

一般的ににがてという表現は、マイナスの見方があるといって間違い
はないと思う。自分が不得意である事、一生懸命やってもうまく
いかないこと、自分より周りの人の方がうまくできる事、上達したい
けど何らかの適正にかける事、周りの人の方が自分より上達が早い
こと、またはあなたには向いていないからやめなさいと家族や友人
に言われる事、といった定義でおそらく文句は言われないであろう。

よっぽど恵まれた人ではない限り(というか、そんな恵まれた人は
いるのであろうか?少なくとも自分の周りにはそんな人はいない)、
通常我々はいろいろな所でこの自分のにがてにぶつかる。

なぜこのにがてという言葉が自分には愛着があるかというと、
これはいままでいろいろなニガテにぶつかってきたなか、
どうすればそのニガテを克服できるかと、いろいろと試行錯誤
してきたからであると思う。

もうかなりの数のニガテに悩まされてきたなか、とにかく
それを克服する「試み」には相当の労力を費やして来たつもり
である。

もちろんその中でなんとか克服できたものもあれば、どんなに
頑張っても克服できなかったものもある。はたまた、不満足では
あれど、自分に必要な程度克服できたものも有れば、有る程度
上達して来たが労力に疲れて克服をあきらめてしまったものもある。
一つだけ言える事は、今まで(もちろん今でも)相当自分のニガテと
対面して来たつもりである。

面白い事に、克服できた、できないという事実とは別に、「ニガテ
克服の試み」を数多くやってくると、ちょっと変わった面白い
「ニガテ」の定義が見えてくるようになった気がする。この
試行錯誤を数多くこなして来たことにより見える様になったと
思う、自分が信じているこの自分なりの定義を書いてみたい。

さて、深く掘り下げるまえに、そもそもニガテを克服する必要
などあるのだろうか?苦手なことよりも、自分の得意なことを
見つけた方が良いのではないか?

これはその通りであると思う。自分の得意な物を選んだ方が
上達も早いし、理にかなっている。何か上達するのに例えば
いちいち人の3倍の時間がかかっていたら参ってしまう。
自分の適正を判断することはすごく大事な事であると思う。

しかし、適正と自分の上達したい事は残念ながら必ずしも
一致するわけではない。もちろん、自分の「これっ」と
決めた事が自分が得意であったらそんな幸運な事は無い。

しかし、この「幸運」なひとは自分が考えるにほんの一握り
ではないかと思う。なので、自分がなにか上達したい事、仕事に
したい事が、仮に自分には適正がなく、ニガテである場合や、
得意な事が見つけにくい場合はどうすれば良いのか?
このように、大半の場合は、誰でもなんらかの克服したい
ニガテが有るはずである。

そんななか、こんなことを考えてしまったことが有る人もいる
かもしれない。ニガテなことが多く、特に才能のない自分は
上達して何かをうまくなることはできるのだろうか。。。
なにかをうまくできている人は、どうせ自分には無い何か
恵まれた才能や環境、適正があるだろう。。。過去に努力
したけどうまくいかなかった自分には、また次も努力しても
どうせニガテは解決しないだろう。。。

自分もニガテの克服を意識的に試み始めた頃にこのような
事を考えていた。

ニガテと分かっていることにチャレンジすることは、それなりに
覚悟が必要であり、リスクもあると思う。例えば得意な事に
チャレンジするのは簡単である。得意なのだからうまくいく
可能性も当然高いであろう。得意であれば上達も早いし、
それを感じる事ができるため、持続のモチベーションも上げ
やすいであろう。基本は努力するだけそれに見合った上達を
するから、努力をするもの比較的苦にはならない。

逆に、ニガテなことは上達も遅いし、本当に自分はこれが最終的
にうまくなるのだろうかと、不安になるし、時間の無駄なのでは
と疑いたくもなる。頑張ってもあまり上達しないことを持続する
のはかなり難しい。端で自分が苦労していることをすいすい
上達している人をみると、かなりブルーになりやる気も無くなる。
どうせこれもうまくいかないのではないだろうか...と。

では、自分の何か上達したいことが自分が苦手だったら、運が
悪かったと思いあきらめるしかないのか。

ここで2つ自分が信じていることは、「ニガテであっても、
適正が無くても、大丈夫」と言う事、そして、ニガテなことの上達を
試みた場合、なんと得意な事に取り組んだ場合よりも、自分に有利
なことが多くあるという事である。この2つを考える様になって
からは、苦手なことの上達を試みることがあまり苦痛ではなく
なった上に、その試みがうまくいく率も昔に比べて高くなって
きたと思う。

Part.2は、具体的にニガテにまつわる自分の経験、および
上の2つのことを書いてみたい。

2009年8月7日金曜日

英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 (修正)

このテーマを続けて書いきたなか、Part.2で書いた
6つのステップのなか、第1ステップと第2ステップの
間にもう一つステップを足した方が、自分の経験により
そぐうような気がしてきた。なのでPart.1〜Part.3b
までの書き物に、ステップ1.5を追加してみた。

英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3b

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「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3a」に戻る

Part.3aで書いたが、まず日常会話、学校、仕事場での英会話が
快適になってきてから、英語の雑談になんとかチャレンジしようと
思った場合、この第2ステップにたどり着くのはどうやらみんなに
結構共通のことであるようである。

まず初めて雑談に参加しようと思うと、それがかなり難易度が
高い事に気づく。そして、初めのうちはうなずいたり、笑顔で
振る舞ったり、今イチ内容の分からない雑談にも分かった振り
をして笑ったりする。

そして、なんの理由であれ雑談に参加したい場合、できない
自分が面白くなく、次は無理矢理会話に参加をしようとする。
そして多くの人がたどり着くのがどうやら第2ステップの
様である。

自分の場合もそうだが、雑談に参加しようとすると、参加
できていない自分が嫌で、自然と参加する試みをするのだが、
雑談はそうそう簡単に習得できる物ではなく、結局雑談の
「ふり」を習得してしまう。

そもそも雑談とは、相手の存在を会話のやりとりで楽しむ
ものであると自分は思う。雑談ができるかできないかという
ことを気にしている時点でそもそも雑談をする意味が違って
きているのだが、あまりにも雑談できないことがショックで、
ずいぶんと長い間、雑談が「できる」ということがテーマに
なってしまっていた。

会話に参加できないから自分の日本人としてのアドバンテージ
である日本の話をする。仕事仲間との雑談であれば仕事の
テーマを持ち出せば、会話には困らない。いつもしている
テーマのある話なので、これには参加できる。また、みんなが
している自分の追いつけない会話に関しては、「質問君」に
なれば参加している感じにはなる。これらの第2ステップに
共通しているのは、自分の場合「雑談をしている自分」に
なる為に編み出した方法でしかなかった。そして、本来の
そこに居る雑談相手の存在を会話のやり取りにより
楽しむということをしていなかった。これに共感していただける
人はいるのではないだろうか。

では、自分が第2ステップにもし居る事に気づいてしまった
場合、具体的にどうすればよいのか。

まず自分が試みたのが、第2ステップにリストアップした、
「ふり」の会話をやめてみる事である。もちろん日本の話、
仕事の話、会話に対する質問、をしてはいけないなどと
言うルールは何処にも無いが、少なくとも自分はこの「ふり」
をやめる所から始めた。それはすなわち

-日本の話はしない
-仕事の話はしない
-会話に参加しているふりの為の質問はしない

ということになる。そして、本来の、相手の存在を
楽しむ為の会話を心がける様にした。

そして、いま振り返って考えてみると、Part.2で書いた、
第3ステップや第4ステップのようなテーマになってくる。

Part.4は、この第3ステップ、第4ステップをもっと掘り下げて
考えてみたい。

2009年8月2日日曜日

英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3a

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Part.3aは、Part.2で紹介した英語でのカジュアルトーク上達の為の
ステップをもっと掘り下げてみたい。

=== 第1ステップ ===
-英語で会話が理解できる
-言いたい事が英語で言える
=================

第1ステップはそのままである。英語でのカジュアルトークは
Part.1で書いた様に、英会話の中でも難易度が高いほうであると思う。
カジュアルトークを覚える為には、英語でのコミュニケーション
がまずある程度できる必要がある。

もしステップ1が難易度が高いと感じる場合は心配せず、まずは
意思疎通の為の英会話を習得することにターゲットを定めるのが
良いかもしれない。その場合は、「海外での生活の上で日々
心がけている事 Part. 1-a」
などをみていただけるとうれしい。

=== 第1.5ステップ ===
-日常生活をする上での必要不可欠な英会話、
学校での授業の会話、もしくは会社での仕事上の
会話を離れ、初めて雑談をしようと試みる。
-英語で雑談をしてみるとそれがかなり難しいことに気づく。
-雑談に全く参加ができず、うなずいたり、笑顔で会話に相づちを
うったり、今イチ内容の分からない雑談にも分かった振りをして
笑ったりする。
=================

ステップ1.5は、まだ雑談にあまり慣れていないときに、初めて
英語での雑談を試みると、まず初めに気づくのが、自分が日常生活で
使っている英語や、学校、仕事場で使っている英語とはちょっと別物で
あることに気づく。日本語とは違い、我々日本人が英語を覚えるのは、
留学や仕事といった目的がある場合が多いと思う。もちろん外国人と
雑談をする目的の人ももちろんいると思うが、自分の周りには学校や
仕事といった、英会話の目的が定まっている場合が多く、雑談というの
は比較的比重が小さい場合が多い。

そんな中、慣れていない雑談にチャレンジすると、ステップ1.5の様に、
テーマのある英会話なら参加できていたはずなのに、雑談となると話に
参加できないという経験をすることが多い。


=== 第2ステップ ===
-日本の事を話す
-仕事の事を話す
-質問をする
=================

第2ステップは、自分の中でちょっとこだわりのあるステップで
ある。それは、ずいぶんと長い間、自分はこのステップから先へ
進めずすごく苦労したからである。むしろ、このステップに居た
頃は、そもそも自分がそのステップに居た事すら気づいておらず、
それで有る程度カジュアルトークができていると思っていた。

しかし、どこか何か違うなあといった感覚がいつもあった。
ホームパーティや、飲みの場で一応会話はできるし、カジュアル
トークができていないとも自分では思っていなかった。しかし、
やはり何か外国人と会話をしていてもあまり楽しくないし、
進んでそのカジュアルトークの場に参加したいとも思えないし、
日本人と会話をしている時とは明らかに差があった。

そんな中、友達と話をしている中で、あるとき自分がいつも
同じパターンの会話をしている事に気づいた。それは、自分の
外国人としている会話は、ほぼ決まって日本のテーマの話か、
仕事の話、もしくは、自分が何かテーマのある会話に参加
していない時は、その場で行なわれている会話に、「それって
どういう意味?」や、「へー、そうなんだ、知らなかった」や、
「えっ、そうなんだ、もっと詳しく教えて」などといった具合に、
自分は「質問君」になっていた。

これは、一見自分が会話に参加しているように見えるし、自分が
話に参加している「気分」になることはできるが、先ほどいった、
「何か会話に参加しているはずなのに楽しくない」といった感覚が
残る。

これは今だから思うのだが、「会話に参加している」のではなく、
単に「参加しているふりをしている」だけだった様な気がする。

もちろん、雑談で友達と日本の話をして悪いわけはない。また、
仕事の話をカジュアルトークですることは多々ある。そして、
英語がネイティブで、カジュアルトークが大得意なアメリカ人
でも行なわれている会話に対して質問をもちろんする。

問題はこれらの項目ではなく、もし自分のしているカジュアル
トークが、これらの項目「のみ」から成り立っているとしたら、
これは自分が思うに、それは雑談をしてお互いの存在を楽しんで
いるのではなく、雑談をするための努力をしているだけで、
悪く言うと雑談をしているふりをしているにすぎない。
雑談とは、努力をしてする物ではないし、ふりをするものでも
ないし、いつもいつも同じテーマを話すのもちょっと違う気が
個人的にはする。

長くなったが、この第2ステップは以外と多くの日本人が
はまりやすいステップのような気がする。英語で日常会話
は結構できて、仕事の上での英語でのコミュニケーション
にもあまり不自由がなく、プライベートで外国人とたまに
時間を過ごす人の多くに、いままでこのステップに共感して
もらえる人が結構いた。もし、何かの理由で外国人と
カジュアルトークをしたくて、試みてはいるが、何となく
会話をしている気がしない、あまり楽しくないという
感覚のある場合は、自分がこのステップにはまっていないか
どうかを考えてみると面白い。

もし、この第2ステップに自分が当てはまると思う場合は、
Part.2のステップアップのリストが、カジュアルトークの
幅を広げる為の参考になるかもしれない。

Part.3bは、この第1.5と第2ステップに自分がいたときに、
具体的にどのようにステップアップを試みたかを書いてみたい。

「英語でのカジュアルトーク(雑談)上達方法 Part.3b」に進む